久々に、誰かの何かを読んで脳天食らった感覚になりました。
うわーなるほど……そう言うことか……。
当然ですが、おそらくおばあちゃんの時代はスマホもラインもSNSもなかったものでして。
思いを伝えるとしたらそれはもう、手紙になるわけです。
主人公は、ついに一度も見ることのなかったおじいちゃんの輪郭に触れようと、
文通……してたのかな? おばあちゃんのとっておいた手紙を読んで、おじいちゃんを想像するのですが……
割と序盤から違和感を感じます。
いや、素敵な文章であるのは間違い無いんだけど、あれ? って……。
ラストで、違和感の正体、まあいわゆるネタバラシがあるのですが、
これの描写も鮮やかでございました。
これー、ちょっとおすすめしたいです。
ぜひ、ご一読を。
大前提として思うわけだ。もしも孫が、おばあちゃんの大事に持っている「ラブレター」なんかを見つけてしまったら。
五十年前の時代なんて、恋愛に関しても保守的で、愛し合うっていったらそれはもう一途なものだったに違いない。
そんな熱い想い、そしてあたたかい思い出なんかが「手紙」の中から紐解かれていくに違いない……って。
ポリーはアビゲイルおばあちゃんのもとに届いた三通の手紙を見る。そこには開発オタクの男の書いたものなど、とにかく「いとしのアビー」に何かを伝えたがっている様子が窺える。
けれど、手紙は三通。それは「おじいちゃん」とのやり取りのものなのかな、なんてことを当然考えながら読み進めて言うわけだが……。
これはきっと、何かの価値観がぐらぐらと来る話かもしれない。
平成や令和を生きていた人間にとっての「五十年前」。その時代では一体何が標準で、一体何がファンキーと呼ばれるレベルだったのか。
これからの時代、平成を生きてきた人たちが孫なんかを持つようになったら(いや、もういる人はいるっぽいけど)、「思い出話」に花を咲かせるなかで、ふと孫の感性をバグらせるようなことになってしまうこともあるかもしれない。
そんな、もしかしたら「局所的おばあちゃんあるある」とも言えるワンシーンを切り取った、クスっと笑える作品でした。