第3話(2)封じられた四人目は、この城の中に
三本目の糸を巻き上げたとき、現れたのは小さな女の子だった。
光の中からころんと転がり出てきて、大広間の石の床にぺたんと尻もちをつく。八歳くらいだろうか。薄い緑色の髪を二つに結び、耳の先がほんの少しとがっている。ハーフエルフだ。粗末な麻の服を着て、両腕で薬草のつまった籠を抱きしめていた。
女の子は、広間を見回した。
巨大な黒狼。燃える角の少女。剣を背負った勇者。山羊頭の老人。白い法衣の聖女に、顔に傷のある騎士団長。
そして最後に、背広を着た冴えない男、つまり俺を見た。
「……ひっ」
大きな目に、みるみる涙がたまっていく。
「る、ルゥ、なにもしてない……! 薬草、ちゃんとお金はらって、もらって……!」
「大丈夫です。誰も怒っていませんよ」
俺は膝をついて、目の高さを合わせた。子どもの相続人と話すときの基本だ。
「お名前は、ルゥさんですね。お母さんはいますか?」
「……去年、しんじゃった」
「そうでしたか。お父さんのことは、知っていますか」
ルゥは、ふるふると首を振った。それから、籠の中から一枚の古い紙を取り出した。
「お母さんがね、しぬまえに、これくれたの。おとうさんからの、おてがみだって。でもルゥ、字、よめないの」
受け取って開くと、そこには流れるような、見覚えのある筆跡があった。遺言書と同じ字だ。
『リディアへ。
娘の名は、ルゥにするといい。光という意味だ。
いつか必ず、会いに行く。 ヴァル』
読み終えて顔を上げると、ノクティアがすぐ後ろに立っていた。手紙をのぞきこんでいたらしい。
彼女は何も言わなかった。ただ、唇を強く結んでいた。
ゼファルは腕を組んだまま、顔をそむけていた。
「……親父め。こっちには、手紙のひとつもよこさなかったくせに」
小さなつぶやきが聞こえた。
◇
問題は、四本目の糸だった。
何度呼びかけても、四本目は反応しなかった。広間の天井の近くで、白い光にくるまれたまま、ぴくりとも動かない。
「封印でございますね」
ガルムロッドが、苦い顔で光を見上げた。
「誰かが、この相続人の血を隠しているのです。それも、かなり高位の術で」
「誰が、何のために」
「分かりませぬ。ですが……」
老宰相はそこで言葉を切り、ちらりと聖女のほうを見た。
マリエルは、変わらず微笑んでいた。
「まあ。あの白い光、聖教会の聖印に似ていますわね」
自分から言った。
「ですが、聖印を扱える者は、大陸に何千人とおりますもの。私どもの教会の者とは限りませんわ」
「聖女様のおっしゃるとおりだ」
騎士団長ハロルドが、初めて口を開いた。低い声だった。
「我々を疑うなら、証拠を出していただこう、執行者殿」
「疑ってはいません。相続人を探しているだけです」
俺はそう答えた。それは本当だった。今のところは。
けれど、ひとつだけはっきりしたことがある。
相続人が一人でも欠けたままでは、遺産分割協議は成立しない。四本目の相続人を見つけないかぎり、四十五日後、俺は自動的に魔王になる。
「ねえ」
服のすそを、小さな手が引っぱった。ルゥだった。
「ルゥのおとうさん、しんじゃったの?」
「……はい」
「そっか」
ルゥはうつむいて、薬草の籠をぎゅっと抱きしめた。
「じゃあ、もう会いにきてくれないね」
誰も、何も言えなかった。
ノクティアがそっぽを向いたまま、ルゥの頭に手を伸ばしかけ、途中でやめた。ゼファルは黒狼の首筋の毛を、黙ってなでていた。
ばらばらの三人の子どもたち。一人の父親が、それぞれ違う場所に、違う形で遺していった子どもたち。
これが、魔王の家族だった。
◇
夕方、ルゥの寝る部屋を決める段になって、また一悶着あった。
「ルゥは、どこで寝ればいいの……?」
客室はどこも、王国の使節団と黒狼公の家臣たちで埋まっていた。ガルムロッドが地下牢獄の一室を片づけましょうかと言いかけたので、俺は全力で止めた。八歳の子を牢屋で寝かせる相続手続きがあってたまるか。
「東の塔に、空いている部屋があるわ」
ぶっきらぼうに言ったのは、ノクティアだった。
「わたくしの隣の部屋。……別に、あなたのためじゃないわ。父上の血を引く者を、地下で寝かせたなんて噂が立ったら、魔王家の恥だからよ」
「……おねえちゃん?」
ルゥが、おずおずと見上げた。
ノクティアの肩が、びくりと跳ねた。
「お、おねえ……っ!? ち、違うわ! わたくしは、ただ……!」
「ちがうの?」
「……違わない、けど」
ノクティアは真っ赤になって、そっぽを向いた。それから、ドレスの隠しから小さな包みを取り出し、ルゥの手に押しつけた。蜂蜜を固めた飴だった。
「夕食のあとで食べなさい。歯は、ちゃんと磨くのよ」
「うん!」
ルゥは包みを両手で握りしめ、ノクティアのドレスのすそをつかんで、ちょこちょことついていった。
二人の背中を見送りながら、俺は思った。
遺産分割で一番難しいのは、財産を分けることではない。ばらばらになった家族を、一つのテーブルに座らせることだ。
けれど、ときどき、こういうことが起きる。故人の死が、生きている者同士をつなぐことが。
黒狼公ゼファルは、廊下の柱にもたれてその光景を見ていた。俺と目が合うと、舌打ちをして去っていった。
◇
その夜、俺は眠れなかった。
客室の寝台に横になって、天井を見つめる。右手の数字が、闇の中でぼんやりと光っていた。
ふと気づいた。
部屋の隅に、何かが光っている。
起き上がって目をこらすと、それは一本の糸だった。昼間、血統の書から伸びた四本目の糸。白い封印に包まれて途中で消えたはずのその先が、今は髪の毛より細い金色の線になって、壁を抜け、廊下へ続いていた。
【遺言執行者】の加護が見せる、綻びの糸だった。
封印は完璧ではない。ほんのわずか、ほつれている。
俺は上着をはおり、そっと部屋を出た。
廊下で、扉の前に座りこんで眠っていたセレスが、はっと顔を上げた。
「どこへ行く」
「散歩です」
「嘘をつけ」
結局、二人で糸を追うことになった。
夜の魔王城は、昼間よりもずっと広く感じた。燭台の青白い炎が、等間隔に石の廊下を照らしている。足音がやけに大きく響いた。
「なぜ、夜中まで扉の前にいたんですか」
歩きながら聞くと、セレスは前を向いたまま答えた。
「護衛だからだ」
「監視の間違いでは」
「……両方だ」
少し間があってから、彼女はぽつりと付け足した。
「眠れないんだ。目を閉じると、あの玉座が浮かぶ。三年かけて、やっと辿り着いた敵が、笑って死んでいた。私は、何のためにここまで来たんだろうな」
答えようがなかった。だから、黙って隣を歩いた。
相続の現場では、ときどきこういう人に会う。故人と和解する前に、故人に先立たれてしまった人。怒りの行き場を失って、自分を責めはじめる人。
勇者も、同じなのかもしれない。
糸は、暗い回廊を抜け、中庭を渡り、城の西側へ続いていた。石段を上がり、また回廊を進む。
そして、ある扉の前で、すうっと隙間の中に吸いこまれていった。
白い扉だった。魔王城の黒い扉の中で、そこだけが白く塗り直されている。扉の上には、王国の紋章と聖教会の聖印が並んで掲げられていた。
西棟。
王国の使節団が泊まっている客室だ。
中からは、低い祈りの声がかすかに聞こえていた。
セレスが、息をのむ気配がした。
俺は扉の前に立ったまま、動けなかった。
封じられた四人目の相続人は、この城の中にいる。
しかも、魔王の死を「無主の地」と呼び、遺産を国のものにしようとしている人たちのど真ん中に。
(第4話「勇者は受け取らない」へ続く)
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