娘が人の命を奪う祭りに喜んで参加し、父親が必死に止めようとしても、誰ひとり真剣に取り合わない。その異様さにぞっとしました。特に、市役所も警察も大学も、それぞれもっともらしい理由を並べているのが怖い。誰かが止めるべきなのに、全員が自分の役割をこなすことで、当たり前のように人が死んでいく。沙耶が選ばれた瞬間、父親以外の人々が歓喜する光景もつらいです。そして最後の「うちの娘は今年、死なんで済んだ」という言葉。娘を失う父親に礼を言う、その身勝手さに言葉を失いました。伝統の恐ろしさ以上に、他人の犠牲を自分の幸運として受け入れる人間の姿が、いつまでも後味の悪さとして残ります。