①祭りの日


「あれ、ララティエ達だ」


 音楽はどうやら生演奏のようで、一体誰が奏でているのだろうと背伸びして覗き込めば、トリコロールピッグスの三人がそこには居た。意識して聞いてみれば、それは数日前にミュラが教えた簡単なコードを繰り返している基本的な演奏だった。


 それでも、囚人たちは大いにはしゃぎ、喜ぶ。三人が、とても楽し気に奏でているからだろう。音楽とは、本来こういうものなのかも知れない。それだけで充分なのかも知れない。そんな風に思う。


 演奏に耳を傾けていると、ふと、ララティエと目が合った。今日のララティエは少しおめかししていて、あの日ミュラが買ったドレスを身に着けている。あの服屋の老婆に頼んだのか、薄化粧に髪まで整えていた。そんな淑女のララティエがミュラに微笑み、運指の合間に手招きする。何だろうと特に警戒もせず、演奏の邪魔にならない程度の距離に近付き……さらに手招きされたので、すぐ近くまで寄ることとなる。


「歌って、ミュラ」


「え?」


 急な誘いに、ミュラは目をぱちくりさせてしまった。ララティエはもう一度、歌ってとせがむ。それから自身も、小さな声でラララと口ずさんだ。戸惑いはしたが、少しの後、結局ミュラは口を開いた。ララティエの口ずさんだメロディを大衆へアピールするように、高らかに歌声にする。


 おぉ、と囚人達が歓喜の声を上げる。


 今日ばかりは祭り仕様なのか、広場に面したあのステーキ屋もテラス席を用意し、ステーキを串焼きにして提供していた。そこの席で肉と酒で騒いでいた囚人達も、届いた歌声に一度広場へと目を向ける。


 それは簡単で、繰り返すばかりのメロディだった。教えられていないのだから、当然だ。さて、この歌をどうやってサビへ持って行こうか。出来れば、ララティエ達の気を削がず、自然に導いてやりたい。


 ——そんなことをミュラが呑気に考えていると、急に、曲が転調した。


 振り返ると……気付かぬうちに、そこに居たアイゾが、ララティエと連弾を試みている。ララティエは戸惑い、基本のメロディを繰り返そうとする。それをアイゾがときに追い立て、ときに導きながら、盛り上がりへと変えていく。大丈夫か、上手くできるか。歌いながらも内心冷や冷やしていたが、それは結局上手いこと、ララティエの当初のメロディを生かしたまま、サビへと変化した。ララティエが驚きに目を見開き、アイゾの顔を見る。それに微笑み、アイゾはそっと目を伏せた。それが優秀な生徒の上達に喜んでいるときの素振りだと、ミュラだけが知っている。


「ミュラ! 君もおいでっ!」


 気分良く歌っていると、急に声を掛けられ、誰かに腕を引っ張られた。歌声が少しはねてしまったが、それでも何とか歌い続ける。


「今日でしばらく会えないかも知れないからね。スーベニアだ、踊ろう!」


 誰かは、アポロだった。ぐいぐいとミュラを引っ張り、踊りの輪に引き込もうとする。そんな状態ではとても歌えたものではなかったが、歌の音源であるミュラが輪に入り込んだことにより、踊り騒いでいた群衆にも歌が移り、広がる。ミュラは一人が歌わなくても音楽が続く状況に一度歌声を止め、アポロに声を掛けた。


「何だよ、いきなり」


「言っただろう、しばらく会えないのだからと。君は今日のレースで勝ち、ブタバコから脱獄するんだ。そうしたら、私達スカイオレンジカンパニーが次に優勝するまで、会えなくなってしまう」


「優勝するまでって、お前、脱獄した後に俺のこと探しに来るつもりかよ」


「探すし、きっと探すまでもないさ。君の歌声は覚えた。歌声は、とても遠くまで届くからね。きっと、すぐに見付かる」


 音楽に合わせて、アポロはくるくると身を翻し、ミュラを振り回す。今日も、体調は安定している様子だった。安定しているからこそ、どこまでも全開で傲慢に立ち振る舞うその素振りに、ミュラは相方シトラスの存在を渇望する。


「見付けたら、招待状を送るよ。私達の結婚式の」


「結婚式は、外に出てから挙げるつもりなのか?」


「ああ。小さな頃から夢見ていた、着てみたいウエディングドレスがあるのだよ。それにブタバコ内唯一のブティックは、少女趣味過ぎてあまり私の趣味ではなくてね。いや、でも、夢を見ていたんだ。夢だったんだよ。叶うとは思わなかった。私は異性に憧れもなく、いつかこの価値観が変わるか、変わる前に寿命を迎えるかだろうと。しかし価値観の変化は、人格の変貌だろう? そのときにはあのウエディングドレスに夢見た私では無くなってしまうかも知れない。それが、そうだな、正直なところ、怖かった。それが、それがどうだい、ミュラ! 私は私のまま、夢を叶えられそうなのだよっ!」


 シトラスの言う通り、彼女は一人で女三人分を担っているのだろう。ミュラが特に口を挟まずとも、これだけかしましいのだから。思わず、呆れ気味に、息をつく。


「それで、そのお前の伴侶様は? お前、恋人差し置いて俺と踊ってて良いのかよ」


「ふむ。それもそうだな。そろそろ、お互いのパートナーの元へと帰ろうか」


「え」


 急にくるりと勢いよくターンし、それから放り投げるようにアポロはミュラの手を放す。突然のことで、ミュラはされるがまま後ろ歩きにステップを踏んでしまったが、足がもつれて転ぶ前に、誰かが抱き止めてくれた。


「ではな! また会おう、ガールフレンドよ!」


 そしてアポロは踊りの輪から抜け出し、どこかへと駆けて行った。目で追えば、その先にはテラス席でアイスコーヒーを飲むシトラスの姿がある。


 お互いのパートナーの元へ。確認するまでもなく、ミュラを抱き留めたのは、アイゾだった。


「あれ。お前、演奏は?」


「どこかの誰かさんと違って優秀な生徒様でいらっしゃいましたので、すでに習得されたとお役御免を承りました。良いから目障りなカナリアを捕まえに行くようにと」


「ララティエはそんなこと言わねぇだろ」


 まあしかし……ララティエはきっと、言い方は違えどアポロに連れ去らわれた形となったミュラに助け舟を出せるよう、アイゾを送り出してくれたのだろう。見れば、すでに習得したというのは本当なのか、比較的フラットなメロディとサビを好きなように楽しんでいる。


 ミュラ達は今もなお、踊りの輪の中に居た。また人波に流されて、自然と踊りの足取りになってしまう。


「俺、踊りとか分かんねぇぞ? 社交界デビュー前に家出たし」


「私もでございますが、別にこのようなお祭り、しかもブタバコ内で、そんな格式ばったダンスもありませんでしょう」


「それもそうだな」


 群衆も、アポロだって、好き好きに身を翻していた。それなら自分もと、くるりと回ってみれば、弁えたようにアイゾは身を引く。それが気に食わなくて、ミュラはその手を掴み、自分の体を主軸にぐるりと大きく彼を振り回した。それが気に食わなかったのか、アイゾは苛立った、意地の悪い顔をして、今度は自分がミュラを振り回し返す。子どもの喧嘩の、じゃれ合いのような応酬が続く。ミュラは自然と笑ってしまい、アイゾも控えめに口角を上げる。


「なあ、アイゾ!」


「何でございましょう」


「腹減った!」


「同感でございます」


 しばらく、喧騒を楽しんで。ミュラの腹が鳴ったのを合図に、二人は広場から駆け出した。去り際、ララティエ達と視線を交わす。ララティエ達は軽快なメロディで、二人を送った。


 折角の祭りだ。ミュラとアイゾは惹かれた屋台の食品を、衝動的に購入しては、美味しくいただいた。


 途中、アイスクリームの屋台の前で、七星と志乃舞が何やら言い合っているのを見掛けた。それを群衆が「いいぞやれやれ」と囃し立てる。日頃の志乃舞であればその声で目を覚まし言葉を呑み込みそうなものだが、よっぽど気に入らないことがあったのか、それとも昨日のことで吹っ切れたのか、止め処なく二人はお互いの意見をぶつけている。……耳をすませばそれは、「チョコミントはアリかナシか」などと言う、何とも馬鹿らしい言い合いだった。


 二人は、傷だらけだった。その姿に七星は違和感がなかったが、頬に絆創膏を張り、髪を簡単に結わえ、傷に触れないよう緩く着物を着付けた志乃舞は、何とも新鮮に思える姿だった。でも、そんな姿の方が、ミュラの好みではあった。


 そんな二人を尻目に、食後のデザートにと、ミュラとアイゾもアイスクリーム買う。それから落ち着いて食べられる場所へと、裏通りに入る。するとそこは、地面と両壁が落書きに覆われた、圧倒されるような細道だった。


「ブタバコ内って落書き、しても良いのか?」


「いえ、祭りの間だけでございます。これらも明日には落とされるか、上から塗り潰されましょう」


「はぁ~諸行無常って感じだな」


「意味分かって口にされておられますか?」


「馬鹿にすんじゃねぇよ」


 落書きは、空と星、月や都市。外に対する憧憬がありありと伝わる……しかし実物を見ることは叶わないから、どこか抽象的な絵画だった。その空気に圧倒されながら、溶ける前に、アイスを口へと運ぶ。


 遠くから、先ほど広場でミュラも歌ったメロディが聞こえてくる。


 歌と、食事と、絵と。妙に、満たされる感覚。


「ここが、気に入られましたか?」


 分かってて聞いてやがると、ミュラは苦笑してしまう。正直、ブタバコでの日々は、嫌いではなかった。知り合った囚人達も、惜しい人ばかりだ。しかし、だからと言って、いつまでもここには居られない。


「俺は、帰るよ」


 質問には、あえて答えなかった。アイゾも、追及はしなかった。

 それからお互いがアイスを食べ切るのを皮切りに、二人は労働エリアを後にした。

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