雪花の中の創司:女に産まれた男の異世界行路
たけすみ
プロローグ ある守衛の語り、一つの死
ずいぶんと降ってきたねえ。本格的に積もりそうだよ。
あんたがた、見かけない顔だけど入学志望かい?
ああ、ああ、いいのいいの、大丈夫。ここでは自分の育った世界の言葉で通じるから。
書き文字も読めるし、ほら、そこの看板読めるでしょ、
『セント・シルフ魔導学園』『掃除は丁寧に、道具は大事に』
ね、読めるでしょ。
便利なもんだよね、これも迷宮の奥の御本尊が仕掛けた立体魔法陣型結界のうちの一つの力らしいんだけどさ。
いやあ、御本尊も、自ら石になって結界を維持する前に、この言葉の立体魔法陣の作った方法の伝授とかで残してもらえれば、国境や交易の街で便利だったのにねえ。
お名前は? まずそちらのエルフの方から。
小城井創司さん、ね。えーと紹介状とかは?
ああ、ある。育ったとこの派遣教師の……あ、名前が違うかも、と。
ちょっと確認させてもらってよろしいかな。
ああ、ああ、中身までは大丈夫。こっちも仕事だからね、紹介状の封印の仕方で、どのへんで顕現なさったかわかるから。
え、顕現じゃなくて生まれは北限のエルフ集落だって? じゃあ転移じゃなくて転生のほうかい。
それで、転生前の名前が小城井創司で、今の名前がユーフェ・ドゥ・リット。
で、紹介状の名義は、オギイ・ソージなんだね。
へえ珍しいねえ。うちに来る子は大抵土地の風習に適応できなかった他所の世界から転移してきた人の方が多いからさ。
そうかぁ、じゃあ人生2周目ってやつだね。
特殊能力とかは、特に聞いてない。憶えてない。あ、そう。まあね、生まれる前のことだからね、憶えてることには限りがあるよね。
じゃあなんか育った環境とは違った特技とかある?
交流のない亜人や外国の言葉がわかるのと、動物の言葉、あと感情が匂いでわかる。
ああ、コミュニケーション系の力だね。ただ、ここだと動物はちょっとどうかな。なにしろ地下迷宮が実技先だからね。それに最近の召喚術とかも意思疎通ができる召喚獣を呼ぶ術式がメジャーだっていうし。
その背負ったの、ずいぶん立派なものに見えるけど、もしかしてあんた『
うん、うん、うん……。これは集落で狩った獲物の売れ残り……。けど腰巻きとか、それクロツチヤマイヌの毛皮だろ、そっちは。こっちは自分で獲った。じゃあ山犬狩りは充分称号になるよ。……うん、そうか、称号管理権限のある人が集落にいなかった。運がなかったんだね。
まあ、校内でも称号は扱ってるから、なんか倒したらちゃんと証明できるもの、ツノとか装飾品とか宝珠とか回収してもっておくんだよ。称号は経歴書に書ける実力の証明だからね。それに校内で発注してるクエストを受注してれば、ダンバースの町でも使える『校貨』の報奨金も出るから。
うん、じゃあ、細かい手続きは受付で、あ、この紹介状は窓口で編入受け入れの担当者に渡せばいいから。必要なら写しをとって返してもらえるし。
そうなんだよ。コピーペーストっていうのかい、御本尊が開発した便利な魔法の一つさ。
おかげで魔術の勉強のための教本もわざわざ写本を書いたり買ったりしなくても、1冊と紙のロールさえあればいくらでも写せるんだよ。
あ、教本と書き取り用の巻紙は学校側が費用もつから大丈夫だよ。制服とか、寮費とかも、ここの土地の税金から出てるから。
あ、そうなんだよ。この学校、一応このあたり、ダンバースの『言葉の結界』の領域内を領地として召し抱えてるから、ある程度お金の自由効くんだよ。まあ、封土政権の国にいったら領主が学校運営してるなんて珍しい話でもないでしょ。それと似たようなもんだよ。
……さあ、長話しちまったね。もう一人の彼のほうも聞こうか。――
――そっか。二人とも大変だったね。
うん、頑張って。学校の外の町との間で困ったことがあったらいつでも話聞くから、門番小屋においで。
じゃあ、入学できるといいね、試験頑張って、いらっしゃい。
***
異世界転生というものを、俺はナメていた。
まさか自分がその当事者になるとわかっていたら、少しはそういうものについて目にもしただろうに、地球の人間だった頃の俺はそんなものよりも、娘と一緒に楽しめるゲームや妻との共通の趣味でもある日帰り旅行などを優先していきていた。
死因は、全身の打撲、複雑骨折、多臓器損傷、だと思う、たぶん。
医療事業関係の仕事をしているからといって、突然ふりかかった自動車事故の自己診断をできるほどの医療知識があるわけではない。
娘の小学校のPTAの役割で、登校の集団登校の付き添いをした帰りだ。
いわゆる最新機種の高級自家用車に搭載されている半自動運転の速度制御機能の不具合による暴走が生じたのだ。車はスピード制限のための区画整備で蛇行するように造られた住宅地の道を真っ直ぐに、多分60キロか70キロくらいですっ飛んできた。そして歩道と車道を隔てる生け垣を突破し、私の胸から下は住宅の外壁とハイブリッドSUVのバンパーによって潰された。
最後に覚えているのは、臨終の間際だった。人工呼吸器の管で吐きそうなほど喉がきつく、肺は乾燥した空気でヒリヒリと痛かった。
胸から下の感覚はなかったし、目を開く余力もなかった。
ただ、まるで居眠りしながら聞いていた乳児期の娘の泣く声のように、遠くおぼろに娘の泣きじゃくる声と、かろうじて残った手の感覚があった。俺の親指が、あの小さな手に包まれて、温められるのを感じていた。
鼻で息をしようとしても、病院の匂いしかしない。せめて娘の直海か、おそらくそばにいるであろう妻の沙羅の匂いでもかぎたかった。
自分がどんな状態かはわからなかった。とにかく、妻と娘の存在が恋しかった。
ただ、何があったのか、これからどうなるのかは、なんとなく察しがついた。
生命保険、どのくらいかけてたっけ。たしか自動車保険が適用されるんだよな。受取人は沙羅のはず。実印の場所、憶えてるよね。直海の学費くらいは足りるかな。ママはまだ若いし、いい人を見つけて再婚してくれたら経済的な心配は軽くなるけど、娘に手をあげるような男じゃないといいな。
沙羅とは大学で交際してそのまま社会人になってすぐに結婚したから、そういう男を見分ける場数をふんでないし、変な男に捕まらないといいけど。
ああ、そうだ。いっそのこと、実家に帰ってもらって、義父母に子育てを任せて、ママはばりばり働いた方がいいかもな。むこうの親子仲はわるくなかったし、飼い犬も直海とは愛想よくしてくれてたから。
……いつの間にか、俺は自分が死ぬかも知れない恐怖よりも、このまま父親としての自分が死んだ場合の経済的な負担をどうするかばかり考えていた。
実家に帰って分譲マンションを売却すれば、ローンはチャラになるかな。義父さんもうちの両親もまだ定年前だし、うちの両親も義理がたいところがあるから、一声頼めば直海の高校や大学の学費はなんとかしようとするだろう。
俺の親指を握る細い指の手が、震えている気がした。この感触は直海の手だ。沙羅の手は、もっと爪が大きいはずだ。
ああ、ナオ、泣かないで。
俺は、パパは遠くにいってしまうけれど、思い出のどこかに置いておくれ。このパパとの思い出以上に大切な出会いをたくさんしておくれ。それらがきっと今の悲しさや、これから起こる寂しさを埋め合わせてくれるはずだから。
それと、パパの分までママを愛してあげて。いっぱいいっぱいになると感情的になる人だけど、少しでも余裕があれば優しい人だから。君がママの心の余裕を作る存在になってあげて。
……そう思う間に、光の中に俺は居た。
光は言った。
「あなたは、死にました」
「そうですか、妻と娘は、幸せに生きていけますか?」
「そうですね……あなたを喪った悲しみは大きいですが、その分あなたは多くのものを多くの人に与えて生きてきましたね。それらに支えを得ながら、幸せに暮らしていますよ」
「そうですか。よかった、ただ自分はそんな大したもんじゃないですよ。ただの、国際医療支援団体の職員ですから。医師免許もありませんし」
「幸い、あなたには次の生を持ち越す機会を授けられました。いままでの人生を全て失う代わりに、新たに『力』を持って新天地にて生まれ変わる機会を得ました。あなたは、何をもって生まれることを望みますか?」
その言葉に少し考えた。
初めて海外の国際医療支援の仕事をしたとき、現地人の担当者と電話でやりとりに言語で苦労したのを思い出した。
お互いにそこにある惨状から一人でも多くの命を救いたいだけなのに、共通言語がないためにひどく苦労をした。あの頃はAIの機械翻訳なんかも今ほど発展していなくて、自動翻訳も誤訳まみれで使い物にならなかった。
「……誰とでも、誤解なく意思疎通をできる力がほしいです」
「それは、これから向かう世界ではあなたの努力次第で手に入る力です。あなたに授けられる力は、より大きなものが用意されています。他に望みはありませんか?」
「では、意思疎通の力に加えて、どんな心の持ち主かを感じ取る力を」
「わかりました。あなたには『万の対話』の力と、『感情を匂いで嗅ぎ分ける力』を授けましょう」
「ありがとう、ございます」
そういい交わして、光は失せ、生ぬるい闇の中から、頭から体が絞り出されるような感覚、肌を刺すような空気の刺激を全身に感じた。
それが、俺の転生して最初の瞬間、誕生の記憶だった。
俺が、肌を刺激する空気の感触に思わず声をあげて泣き出すと、ふわっと周囲の匂いが変わったような気がした。温かい、まるで歓喜に満ちた花のような匂いだ。
周囲にさまざまな女の声がした。聞き思えのない言葉だったが意味はわかった。『おめでとう』『よくがんばったね』そんな意味の言葉を言い交わしている。
俺は口や鼻元をやや固いガーゼに似た繊維質のもので丹念に拭われてから、さらりとした乾いた獣臭い布に包まれ、母と思しき柔らかく温かい、そして少し汗の匂いのする肌に抱かれた。
そして、それまで嗅いだことのない香りをふと感じた。
圧倒的な肯定感の香り、俺の全存在を愛で包み込むような優しくも芳しい香りだ。
これが、感情を嗅ぎ分ける力によるものだとだとすんなりと理解できた。
そしてその手渡す時、助産をしたと思しき女性の声が確かに、しっかりとこう言った。
『おめでとうございます。可愛らしいお嬢様ですよ』
(あっ)
それを聞いた瞬間、俺は一瞬泣き止んだ。
生まれ変わるときに遭遇した神だか、神の使いに一言いい忘れた。
次の人生も、できれば男にしてほしい、と。あてがわれた性と性自認の不一致は自殺を考えるほどの苦しみだと聞く、生まれ変わった先でそうなるのは嫌だった。
だが、その時にはもう遅かった。
俺は、そのようにして、森林北限地の小さなエルフ集落の族長の孫娘として生まれ落ちてしまった。
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