第4話:はじめての手料理と激重な忠誠

第4話:はじめての手料理と激重な忠誠


ふわりと、鼻をくすぐる香ばしい匂いがした。


シオンがゆっくりとまぶたを開けると、そこは見知らぬテントの中だった。


見上げれば、まるで高級な絹のように滑らかな布地が天井を覆っている。


自分が横たわっているベッドも、雲の上にいるかのようにふかふかだった。


「ここは……?」


体を起こそうとして、シオンは自分の肉体に起きた信じられない変化に気づいた。


痛くない。


生まれてからずっと、彼女の体を内側から焼き焦がしていた魔力の暴走が、完全に消え去っていたのだ。


それどころか、体の奥底から澄み切った清らかな力が泉のように湧き上がってくるのを感じる。


そっと自分の頭に触れてみる。


無残に折れ、血を流していたはずの左の角が、元通り……いや、以前よりもはるかに美しく、クリスタルのような滑らかさを持って再生していた。


「私、治ったの……? あの人が、私のことを……」


シオンの脳裏に、意識を失う直前の記憶が蘇る。


ボロボロの作業着を着た、優しげな目をした青年。


家族にすら見捨てられ、ゴミ捨て場に放り出された自分を「最高の逸品だ」と言ってくれた人。


『もう誰にも、欠陥品なんて呼ばせないさ』


その言葉を思い出すだけで、胸の奥が熱くなり、視界が涙で滲みそうになる。


「やあ、目が覚めたか」


テントの入り口がめくられ、昨日の青年――ロアが顔を出した。


彼の手には、湯気を立てる木製の椀がふたつ握られている。


「ちょうどスープができたところだ。腹が減ってるだろ? 無理に起き上がらなくていいから、ゆっくり食べな」


ロアはベッドの脇に腰を下ろし、シオンに椀を手渡した。


受け取った椀からは、野菜と肉を煮込んだ甘く優しい匂いが漂ってくる。


シオンは震える両手で椀を持ち、おそるおそるスープを口に含んだ。


「……っ」


温かい。


ただ物理的に熱を持っているだけではない。


体の芯から冷え切っていたシオンの心を、じんわりと溶かしていくような、途方もなく優しい味がした。


「美味しい、です……すごく、美味しい……」


「そいつはよかった。まあ、食材はこの辺に生えてた野草と、魔物の肉だけどな」


ロアは事もなげに笑って自分のスープを啜っている。


だが、シオンは驚愕していた。


このスープに使われている素材、ただの野草や魔物の肉ではない。


スープに溶け込んでいるのは、口にしただけで傷を癒やす超高濃度の魔力だ。


おそらく、ロアが自分の『廃棄物処理』の能力を使って、劣悪な食材の毒素やえぐみを完全に消し去り、最高級の栄養素だけを抽出して調理したのだろう。


鍋や食器も、ゴミ山から拾った廃材を最適化して作ったものに違いない。


「どうした? 口に合わなかったか?」


ロアが心配そうに覗き込んでくる。


シオンは首を横に振り、ポロポロと大粒の涙をこぼし始めた。


「ちがっ、違います……美味しすぎて……優しすぎて……」


涙が止まらなかった。


竜族の名家に生まれたシオンは、幼い頃から魔力制御ができない『欠陥品』として扱われてきた。


与えられる食事は冷え切った残飯ばかりで、暗く冷たい地下室に閉じ込められる毎日。


両親からは「お前のような出来損ないは一族の恥だ」と罵られ、最後には生きたままこの魔境に捨てられた。


誰かに心配されることも、温かいご飯を作ってもらうことも、生まれて初めてだったのだ。


「私……ずっと、痛くて、苦しくて……」


スープの椀を両手で握りしめたまま、シオンは嗚咽を漏らした。


「パパもママも、私をゴミ箱に捨てたのに……あなたは、どうしてこんなに優しくしてくれるんですか……?」


ロアは椀を脇に置くと、大きな手でシオンの銀色の髪をそっと撫でた。


「言っただろ。お前は欠陥品なんかじゃないって」


その声は、どこまでも平坦で、だからこそ嘘偽りのない本心だとわかった。


「俺は十年くらい、他人が捨てたゴミを片付ける仕事をしてきた。その中で学んだことがあるんだ。世の中に、最初から不要なものなんてひとつもないってことにな」


ロアの大きな手が、シオンの頭を優しく包み込む。


「ただ、いる場所が間違っていたり、少しだけ歯車が噛み合っていなかったりしただけだ。お前を捨てた連中は、お前の本当の価値を理解する目を持っていなかった。それだけのことさ」


その言葉が、シオンの心を覆っていた分厚い氷を完全に打ち砕いた。


「ああ……ああああっ……!」


シオンは椀を置き、ロアの胸に顔を埋めて声を上げて泣き崩れた。


自分を否定し続けてきた世界の中で、たった一人だけ、自分を肯定してくれた人。


壊れていた自分の体を直し、心までも救い上げてくれた絶対的な存在。


ロアの心臓の音を聞きながら、シオンの中でひとつの『感情』が爆発的に膨れ上がっていくのを止められなかった。


それは単なる感謝や好意ではない。


神に対する信仰よりも深く、狂気すら孕んだ、重すぎるほどの愛情と執着。


「……ロア、様」


ひとしきり泣いて落ち着いた後、シオンはゆっくりと顔を上げた。


紫水晶のように澄み切った瞳の奥で、決して揺らぐことのない『狂信的な光』が静かに燃えている。


「私の命も、魂も、すべてあなたのものです」


シオンはベッドの上に正座し、ロアに向かって深く頭を下げた。


「私を拾い、直し、価値を与えてくださった。この御恩は、永遠にあなたのおそばでお仕えすることで返させていただきます」


「いや、そんな大げさな……」


「大げさではありません。私はあなたのためなら、この命を投げ出すことも、世界を敵に回すことも厭いません」


シオンの声には、一切の迷いがなかった。


神竜として覚醒した彼女の力があれば、国をひとつ滅ぼすことすら容易い。


その絶対的な力を、彼女は目の前にいるたった一人の青年のためだけに行使すると誓ったのだ。


「あなたが望むなら、どんな敵も私が排除します。あなたの平穏を脅かすゴミは、すべて私が焼き尽くしてみせます」


「お、おう……? まあ、あんまり物騒なことはしないでくれよ。俺はここでのんびりスローライフを送りたいだけなんだから」


ロアは頬を掻きながら、どこか的外れな返事をした。


彼は全く気づいていないのだ。


自分が拾って直した少女が、国家の軍隊すら凌駕する『厄災級』の力に目覚めていること。


そして、その少女が自分に対して、異常なほどの『激重な忠誠』を抱いてしまったことに。


(ロア様は、私が守る。絶対に、誰にも邪魔はさせない)


シオンは心の中で固く誓った。


自分を捨てた愚かな世界が、もしも彼の平穏を奪おうとするならば。


その時は、神竜の炎をもって、すべてを灰燼に帰してやろうと。


ただのんびり暮らしたいだけの追放職人と、彼を狂信的に溺愛する最強の竜族の少女。


ゴミ捨て場から始まる彼らの規格外なスローライフは、こうして静かに、だが確実に幕を開けたのだった。


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