第9話 父さんの地図に、道がありました
「蓮。この注意書き、読める?」
翌朝、出発の準備をしていると、九条さんが父さんの地図を指さした。
第三取水室へ続く緊急通路。
その横に、赤いペンで小さく文字が書かれている。
『水位上昇時、通行禁止』
「……水位?」
「ええ。排水路だから、水が増えることもあるんでしょうね」
九条さんは地図を畳み、俺を見た。
「今日はまず、通路の状態を確認しましょう。白峰さんたちを見つけられても、帰り道が危険なら無理に連れ出せないわ」
「……そうですね」
俺は頷いた。
これまで一人で採掘に行くときは、自分が通れるかどうかだけを考えていた。
でも、今日は違う。
怪我人がいるかもしれないのだ。
「それに、もう一つ気になることがあるの」
「なんですか?」
九条さんが地図を広げた。
北側排水路に沿って、細い点線が引かれている。
「これ、別の通路じゃないかしら」
「……本当ですね」
ただし、文字は擦れて読めない。
父さんの地図には、こういう印がときどきある。
道を調べる途中で書きかけたものかもしれない。
「まあ、現地で確認しましょう」
「ええ。今日は慎重にね」
「了解です」
俺は地図をリュックへしまった。
いつもより荷物は少ない。
採掘用の道具も、必要最低限にしてある。
今日は鉱石より、人を探すことが優先だからだ。
◇◇◇
零号迷宮へ到着すると、黒鎧の守護者がいつもの場所に立っていた。
九条さんが大剣を逸らし、俺が胸を殴る。
それだけで戦闘は終わった。
「……もう、この光景にも慣れてきたわ」
九条さんが剣を納める。
「それはよかったです」
「……慣れていいのかは、少し疑問だけれど」
彼女は小さく笑った。
俺たちは門をくぐり、昨日見つけた地下水路へ向かった。
途中、九条さんが何度か立ち止まり、床や壁を調べていた。
「……ここ、昨日は亀裂がなかったわ」
彼女が指さした先に、新しいひび割れが走っている。
「通路が変わり始めてるんですか?」
「その可能性はあるわ。奥へ進むなら、帰り道を覚えておかないと」
俺は頷き、地図に小さく印をつけた。
九条さんが危険を見つけ、俺が位置を記録する。
昨日よりも、少しだけ連携がよくなった気がした。
やがて、黒い水が流れる地下水路に到着した。
「……この辺りね」
九条さんが地図を確認する。
昨日は壊れた橋を跳び越えたが、今日はその手前側を調べる。
父さんの地図によれば、北側排水路の入口があるはずだった。
「……あれ?」
俺は壁の下に、錆びた金属の棒が突き出しているのを見つけた。
周囲には崩れた岩が積もっている。
「九条さん、これじゃないですか?」
二人で岩をどかすと、古い鉄格子が現れた。
その奥には、狭い通路が続いている。
「……本当にあったわね」
「父さんの地図、正しかったみたいです」
俺は少し嬉しくなった。
九年前の地図なのに、ちゃんと今でも使える場所がある。
父さんがどれだけ細かく調べていたのか、改めて分かる気がした。
「じゃあ、開けますね」
「待って。ここの文字を見て」
九条さんが鉄格子の横を指さした。
『排水門操作口』
その下には、錆びた金属板が取り付けられている。
「……なるほど。開ける仕組みがあるんですね」
「ええ。無理に壊すと、水の流れが変わるかもしれないわ」
俺は周囲を調べ、壁に隠された古いレバーを見つけた。
長い間使われていなかったらしく、びくともしない。
「……これ、動くかしら」
「俺がやってみます」
俺はレバーの根元を押さえ、壊さないようにゆっくりと力を加えた。
ギギギッ!
金属が軋む音が響く。
やがて内部の留め具が外れ、鉄格子が横へ滑っていった。
「……開いた!」
九条さんが嬉しそうに声を上げた。
俺も思わず笑った。
こういう古い仕掛けを動かすのは、少し楽しい。
ただし、今日は遊んでいる場合ではない。
俺たちは通路の状態を確認し、慎重に中へ入った。
◇◇◇
排水路は、人が一人通れる程度の幅しかなかった。
天井も低く、俺たちは少し屈んで歩く。
足元には浅い水が流れているが、今のところ危険はなさそうだ。
「……九条さん」
「何?」
「これ、怪我人を運ぶのは大変そうですね」
「ええ。だから、帰りに使えるかどうかは慎重に判断しましょう」
九条さんが頷いた。
俺は壁を見た。
水が流れた跡が、かなり高い位置まで残っている。
「……これ、結構水が増えるんですね」
「そうみたいね」
「じゃあ、帰るときに水が増えてたら……」
「別の道を探すしかないわ」
九条さんは地図を開いた。
「朝見つけた点線が使えるといいんだけれど」
「そうですね」
俺たちは歩きながら、壁に残された古い印を確認していった。
そのとき、俺は見覚えのある傷を見つけた。
三本の短い線。
その下に、小さな矢印。
「……あ」
思わず足を止めた。
「どうしたの?」
「これ、父さんの印です」
九条さんが近づいてくる。
「お父様の?」
「はい。昔、採掘場で道に迷わないように、こういう印をつけてたんですよ」
三本線は帰り道。
矢印は進む方向。
子供の頃、何度も教わった。
俺は壁に触れた。
傷は古く、周りの石と同じように黒ずんでいる。
「……父さん、ここまで来てたんですね」
九年前、父さんは零号迷宮の調査へ向かったまま帰ってこなかった。
でも、こうして帰り道の印を残していた。
きっと、帰るつもりだったのだ。
「……蓮」
九条さんが静かに声をかけた。
「この先も調べましょう。お父様が残したものが、ほかにもあるかもしれないわ」
「……はい」
俺は頷いた。
胸の奥が、少しだけ熱くなっていた。
◇◇◇
排水路を抜けると、古い地下施設に出た。
壁には巨大な水道管が何本も走り、中央には上階へ続く階段がある。
九条さんが周囲を見回した。
「……かなり古い施設ね」
「ですね。人が使ってた場所みたいですけど」
「ええ。少なくとも、昔は管理されていたんでしょうね」
俺たちは階段へ向かった。
その途中で、九条さんが何かを見つけた。
「……蓮、あそこ」
壁に金属製の案内板が取り付けられている。
『第三取水室 上階』
そして、その下にもう一つ。
『上部点検路 高水位時通行』
「……これ、朝の点線じゃないですか?」
「ええ。たぶんそうね」
俺たちは案内板の先を確認した。
しかし、上部点検路の入口は錆びた扉で塞がれ、奥の状態までは分からない。
「……帰りに必要になるかもしれないから、場所を覚えておきましょう」
「そうですね。使えるかどうかも確認しておきます」
俺は地図に印を書き込んだ。
九条さんは満足そうに頷き、階段を上り始めた。
そのときだった。
「……蓮、待って」
「どうしました?」
九条さんが足元を指さした。
石の階段に、泥のついた靴跡が残っている。
大きさの違うものが、いくつもあった。
「……人の足跡ですね」
「ええ。それも、比較的新しいものよ」
俺は階段の先を見上げた。
父さんの地図を頼りに来た場所で、ようやく生きている人の痕跡が見つかった。
もしかしたら、本当に白峰さんがいるのかもしれない。
「……九条さん」
「ええ。行きましょう」
俺たちは階段を上った。
そして、上りきったところで。
カン、カン、カン。
遠くから、小さな金属音が聞こえた。
少し間を置いて、また三回。
九条さんの表情が変わった。
「……蓮」
「はい?」
「あれは、救助を求める合図よ」
「……本当ですか?」
「ええ。白峰さんたちが使っていたの。動けない人がいるとき、金属を三回叩いて知らせるのよ」
俺たちは顔を見合わせた。
誰かが、この先で助けを待っている。
「……急ぎましょう!」
「ええ!」
俺たちは音のする方へ走り出した。
父さんの地図が示した先に、ようやく人の声が聞こえる場所まで来た。
今度こそ、間に合ってほしい。
俺はそう願いながら、暗い階段を駆け上がった。
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