悪役令嬢の破滅回避に奔走していたら、忠実な護衛騎士が逃げ道を全部塞いで溺愛してきます
フトダマノミコト
第1話 目覚めた朝、悪役令嬢でした
高熱は、三日三晩続いた。
視界の端がぐにゃりと歪み、天蓋の模様が渦を巻いて見える。喉は焼けるように乾いていて、額に冷たい布を載せられるたびに、遠くで知らない名前を呼ばれているような気がした。
私はセレスティア・ローゼンベルク。十二歳。ローゼンベルク公爵家の、一人娘。
そのはずなのに。
同時に、もう一つの人生が、熱に浮かされた頭の奥から溢れ出してきた。
満員電車。深夜のオフィス。帰り道のコンビニの明かり。
そして、眠る前にスマートフォンの小さな画面で夢中になっていた、あの乙女ゲーム。
(え……?)
息が止まった。
(待って。これ、私の記憶……? 前の、私の……?)
ばらばらだったものが、音を立ててつながっていく。
私は一度、別の世界で生きていた。そして気づけば、この世界の公爵令嬢として、十二年間を過ごしていたのだ。
ゆっくりとベッドの上で体を起こす。
熱はまだ残っているけれど、頭だけは不思議なくらい冴えていた。
私は、前世の最後の夜を思い出していた。
終電間際の帰り道。コンビニで買った温かい紅茶を片手に、画面の中の物語を進めていた夜。
「この悪役令嬢、何も悪くないのに、ほんと可哀想なんだよね」
同僚に、そんなことを話した気がする。
「悪役って、そういう役割だからでしょ?」
「そうなんだけどさ。だって、ヒロインのほうが先に仕掛けてるのに、全部あっちのせいにされるんだよ?」
「あはは、ゲームに本気になりすぎ」
笑い合った、ありふれた日常。
その悪役令嬢の名前が、セレスティア・ローゼンベルクだった。
私は、顔から血の気が引くのを感じた。
ふらつく足で、部屋の隅の姿見の前まで歩いていく。
鏡の中にいたのは、月の光を溶かしたような長い銀髪と、血のように深い紅色の瞳を持つ少女だった。
目尻はきゅっと上がっていて、黙っているだけで冷たい印象を与える。
その顔を見て、確信した。
間違いない。
『薔薇と聖女のロンド』。
平民上がりの男爵令嬢が、聖女として覚醒し、王太子や騎士たちと恋に落ちていく王道の乙女ゲーム。
その物語の中で、ヒロインをいじめ抜き、最後には卒業パーティーで断罪される悪役令嬢。
それが、鏡の中の私だった。
(私が、悪役令嬢……?)
ゲームの結末が、鮮明によみがえる。
卒業パーティーの夜、きらびやかな会場の中央。
王太子レオンハルトが、ヒロインの肩を抱いて、高らかに宣言するのだ。
「セレスティア・ローゼンベルク! お前との婚約を破棄する!」
積み上げられた罪状。ヒロインへの嫌がらせ。聖女暗殺の疑い。
公爵家は没落し、彼女自身は国外追放。
最悪のルートでは、そのまま処刑。
(処刑って……! まだ十八歳なのに、死ぬってこと……?)
膝から力が抜けて、その場にへたり込んだ。
絨毯の毛足が頬に触れる。心臓が、うるさいくらいに鳴っていた。
怖い。
ものすごく、怖い。
(……でも)
震える手を、ぎゅっと握りしめる。
(まだ、何も起きていない。ヒロインにも会っていないし、王太子殿下とだって、まだ婚約もしていない)
ゲームのセレスティアが破滅したのは、ヒロインをいじめたからだ。
それなら、いじめなければいい。
優しくして、関わらないようにして、婚約だって、穏便に解消してもらえばいい。
(そうよ。物語どおりに悪役をやらなければ、破滅なんて来ない。絶対に、生き延びてみせる)
私は顔を上げ、鏡の中の紅い瞳を、まっすぐに睨みつけた。
そのまま這うようにして、窓辺の机へたどり着く。
引き出しから、真新しい革張りのノートと羽根ペンを取り出した。
ゲームの流れを覚えているうちに、全部書き出しておかなければ。
忘れてしまったら、きっと対策も立てられない。
ペン先をインクに浸し、一行目に、こう書き込む。
『破滅回避ノート ~絶対に生き延びる~』
書いてから、はっとした。
(これ、うっかり誰かに読まれたら、大変なことになるんじゃ……)
悪役令嬢だの断罪だの、この世界の人には意味不明のはずだ。けれど、万が一にも見られたくはない。
少し考えて、私はペンを握り直した。
(日本語で書けば、誰にも読めないわ)
慣れ親しんだ平仮名と漢字を、一文字ずつ丁寧に並べていく。
登場人物。イベントの時期。起こりうる破滅フラグ。
書き出すほどに、ページは黒く埋まっていった。
どれくらい、夢中になっていただろう。
コン、コン、と控えめなノックの音がして、私は慌ててノートを閉じた。
「お嬢様、よろしいでしょうか」
少し低くなりかけた、少年の声。
私は急いでノートを引き出しに押し込み、咳払いをする。
「どうぞ」
扉がそっと開く。
水差しを載せた盆を持って入ってきたのは、黒髪に青みがかった灰色の瞳をした、十四歳の少年だった。
アルヴィン。
四年前から、この屋敷に仕えてくれている、護衛見習いの少年。
「お目覚めになったと聞いて、水をお持ちしました。お加減はいかがですか」
彼は盆を机に置くと、私の顔を覗き込んで、ほっとしたように微笑んだ。
「顔色が、少し戻ってきましたね。よかった……本当に、よかったです」
「ありがとう、アルヴィン。心配をかけたわね」
「いいえ。お嬢様がご無事なら、それだけで」
その声があまりにも優しくて、胸の奥がきゅっと痛んだ。
これから先、どんな未来が待っていても。
この子だけは、きっと私の味方でいてくれる。
根拠もなく、そう思った。
(大丈夫。私は絶対に、生き延びてみせる)
窓の外では、傾きかけた夕日が、庭の薔薇を赤く染めていた。
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