第十話 刻む時、氷るこころ
しばらくの間。
ぼくはなにもいえなかった。前回、一緒に戦うのが楽しいだとか、そんなお気楽なことをいっていたのが申し訳ない。
「それじゃあ、その……きみはずっと一人で魔物と戦い続けていた、ってこと?」
『はい』
「何年くらい?」
『数えることをやめて、もう長い時間がたっています。少なくとも何百年、もしかしたら千年以上がたっているのかもしれません』
「……なんか、ごめん」
『レンが謝る必要はありません。私は自ら志願して不死者になりました。さっきもお話ししましたが、私たち不死者は、魔物と戦う使命と引き換えに、アトラニカの住民であれば一度は夢見る無限の力を手に入れたんです』
アーシャの言葉に悲痛さはまったくなかった。いつもどおり、抑揚に乏しい話し方で淡々と応えている。
「辛くはないの? たった一人で何百年も戦い続けるのって」
『辛いとか苦しいとか、そういう感情は一番最初に擦り切れました。最初は、そんなことを思う間もないくらいに、魔物と戦い続けていましたし』
「一人でいることが、怖くなったりしたことは?」
『恐怖は……もしかしたら辛いとか苦しいといった感情よりも前に擦り切れてしまっていたかもしれません。恐怖や不安を感じていたら、魔物と戦うことはできませんから』
夢の中でなかったら、ぼくは頭を抱えていたと思う。
そもそも「感情が擦り切れる」という感覚がわからない。
恐怖をはじめ、辛いとか苦しいとか、そういうものを感じなくなってしまうのだろうというのはわかる。けれども、そうなった自分が恐怖や苦痛を感じる場面に遭遇したとき、どんな反応をするのか、まったく想像ができないのだ。
「苦労してきたんだね」
苦労、なんて一言でいい表してはいけないような経験をしてきたのだろうと思う。何百年……もしかしたら千年以上……を、たった一人で戦い続ける。──そんな時間を、「苦労」なんて一言で表現していいはずはない。
けれどもアーシャの応えは、いつもどおり淡泊だった。
『そうでしょうか』
抑揚のないその言葉を聞いて。
……そうか。
辛いとか苦しいとか怖いとか、そんなことを感じる心が擦り減ってしまえば、苦労だって苦労だと感じるはずもないのか。
胸が痛くなった。
勝利の喜びや敗北の屈辱。ゲーマーとして何度も味わってきた感情ではあったけれど。
アーシャは、そんな感情を抱く余裕などない……抱くどころかそんな感情は捨てなければならないような……場所で、ぼくなんかでは想像できないくらい長い時間を、ずっと戦い続けていたのだ。
現実のぼくだったら、大きく息を吐いていただろう。
「……ねえ、アーシャ」
ぼくは慎重に声を出した。もしかしたらそれは、軽々しく踏み込んではいけない場所なのかもしれない、と思ったから。
「感情が擦り切れたっていってたけど、きみはやっぱり、最初は普通の女の子だったんだよね?」
彼女は、自分から志願して不死者になった、といった。そして戦いを経ることで、感情を擦り切らしてしまった、とも。
そんなふうになる前は、彼女にも迷いや恐れがあったはずだし、なによりも守りたいものもあったのではないだろうか。
だからこそ。
ぼくは問うた。
「それでも、不死者になるって決めた理由……聞いてもいい?」
少しの沈黙。
ぼくの視界は〈ドルソーラス〉の視界だ。今までと同じく、コックピットにいるアーシャの姿は見ることができない。
けれどもぼくは、アーシャが小さく微笑んだような気がした。
『私には、恋人がいました』
アーシャはいつもと変わらない、淡々とした口調でいった。
『私は名の知れた魔法研究所の研究員でした。仕事では一定の成果を上げることができていたので充実していましたし、仕事を通じて知り合った男性と恋愛関係にもなって、公私ともに充実していました』
アーシャのいる世界……アトラニカ……における美醜の基準はわからないけれども、ぼくから見ればアーシャはかなりの美人だ。恋人の一人や二人、いてもおかしくはないだろう。
……とは思ったけれども、彼女に恋人がいた、という事実に少しだけショックを受けている自分がいる、というのも本音だったり。
……まあそれはともかくとして、アーシャの言葉は続く。
『ですが、そんな生活も長くは続きませんでした。魔法実験の失敗と魔物の出現。最初は遠い世界の出来事のように思っていた災いは、私の住んでいた街にも魔物が襲来したことで、身近な現実に変貌してしまったんです』
その先の展開については、なんとなく予想はできた。
けれどもぼくは、アーシャの言葉を黙って聞くことにした。
『街はあちこちが破壊され、大きな被害が出ました。混乱のなか、私はどうにか避難することができましたが、恋人のオルフェルは、避難が間に合わなかったようでした。街を襲った魔物は軍が撃退はしましたが、がれきの中から魔物に引き裂かれたオルフェルの遺体と、彼の所持品がいくつか、見つかりました』
アーシャは淡々と言葉を紡いでいった。何百年という時間が悲しみを風化させただけではない。きっと「悲しむ」という感情も、彼女は擦り切れてしまっているのだろう。
『その後しばらくしてから、私は無限魔力や不死者のこと、そして宇宙への脱出計画のことを知りました。当時は、恋人を奪った魔物への復讐心も残っていましたし、オルフェルを失って自暴自棄になっていた、というのもあったかもしれません。私は不死者候補に志願して、試験や訓練を経て、不死者となりました』
そういえば。
今日のアーシャは、饒舌だな。
もちろんぼくに話を聞かせるという目的がある以上、言葉が多くなるのは当然とはいえ。
今の彼女の恋人の話とか、もっと手短に話をすますことだってできたはずなのに、と思わないでもない。
それがいいことなのか悪いことなのかはわからないけれど、初めて見たときに感じた、人を寄せ付けないような冷徹な雰囲気がずいぶんと和らいだような気はする。
『ほかになにか、聞きたいことはありませんか?』
問われ、ぼくはもう一つの疑問を口にした。
「さっき、移民船団の話もしていたよね? 少しでも生き残った人たちがいたのなら、移民船団の人たちと合流しようとか、そういうことは考えなかったの?」
『もちろんそれは考えました。アトラニカでの戦いを終えて、私は移民船団のあとを追いました。ですが……』
珍しく、アーシャはいい淀んだ。
『私が航跡を追うことができた移民船は、すべて魔物の追撃によって撃沈されていました。中には魔導機兵の残骸が残されているものもあったので、不死者と魔導機兵をもってしても、魔物の攻撃を防ぎきることができなかったのだと思います』
……すべて、か。
彼女の口ぶりからすれば、それは一隻や二隻ではないはずだ。追っても追っても、同じ結末が繰り返される。生き残った人がいるかもしれない、という期待を抱いては、移民船が破壊されているという現実を突きつけられる。それを、彼女は何度経験してきたのだろう。
『その後も戦いをくり返す中で、移民船団の宇宙船を発見することがありました。ですが、残念ながら発見できた移民宇宙船は、どれも魔物によって破壊されたものばかりでした。総数は把握していませんが、私の記憶と照らし合わせる限りだと、アトラニカから出発した移民船は、ほぼすべてが魔物によって破壊されてしまったものと思われます』
その推測から導かれる結論は……。
あまり考えたくはなかったけれども、ぼくは確認せずにはいられなかった。
「じゃあ、きみがいたアトラニカっていう世界の生き残りは……」
『私が、アトラニカで生きていた人類の、最後の一人だと思います』
アーシャは、やはり淡々と応えた。
もう一度、ぼくは絶句した。
魔物を倒すために無限の魔力と不老の身体を得てたった一人で長い年月を戦い続け、そして戦い続けるなかで自分が人類最後の一人であることに気づく。
それは確かに、感情なんてあったらやっていられないだろう。
『レン……?』
言葉を失ってしまったぼくが、〈ドルソーラス〉からいなくなってしまったとでも思ったのか、アーシャがぼくの名前を呼んだ。
「ああ、ごめん。ちょっとなんていえばいいのかわからなくて」
ぼくはなんとか言葉を絞り出した。
『私の現状のことでしたら、気にしないでください。繰り返しになりますが、私は今の状況を辛いとか苦しいとか、感じてはいませんから』
たぶんぼくが思っていることを察してくれたのだろう。アーシャはそういってくれたけれども、だからといってはいそうですかというわけにもいかない。
「きみがそう感じていなくても、ぼくにはちょっと……いやかなり重い、かな」
『重い、ですか?』
「うん」
このことをいうべきなのかどうか、ちょっと迷ったけれども。
「ずっと一人きりで戦い続けてきたきみには申し訳ないけど、ぼくの世界は、それなりに平和なんだ。だからその……ぼくがもしきみと同じ立場だったらとても耐えられないだろうし、そう考えると余計に申し訳なくなってしまって……」
尻すぼみになってしまったぼくの言葉を受け取って、アーシャはいった。
『優しいんですね、レンは』
ぼくの……〈ドルソーラス〉の……視界が、小さく左右に動いた気がした。それがなにを意味しているのかはわからない。けれどもぼくは、「感情が擦り切れた」といっている彼女にも、なにかしら心の動きが残っているような、そんな気がしていた。
『大丈夫です。レンがどんな世界で暮らしていようと、私は気になりませんから。……あと、私はなにかを感じるという心は失くしてしまいましたが、感情という心の動きは、記憶として残っています。あなたの気持ちは理解できていると思いますから、気にしなくていいといっても気にしてしまう気持ちはわかるつもりです』
少しの間。
『ですから、レン。あなたのことを教えてもらうのはまた次の機会にします。私も長く話しすぎて少し疲れてしまいましたし』
「うん、そうしてもらえるとありがたいかな」
ぼくが応えると、アーシャの操縦で〈ドルソーラス〉は宇宙船へと帰還していった。
──いつもの朝。
すっかり習慣になってしまった、アラームが鳴る十五分前の起床。
またいつもと変わらない日常が始まる。
今日はハルトとデスモグラ・アリーナのトレーニングをする予定になっていたけれども、身が入るかどうか怪しい。
ぼくはスマホを手に取った。メッセージアプリを起動して、ハルトに今日のトレーニングを中止してくれと伝えるメッセージを入力していく。
『悪い、今日ちょっとメンタルヤバくて、トレーニングに集中できないかも。練習にならないかもしれないから、延期してもらっていいかな?』
送信ボタンを押すと同時にメッセージに既読マークがついた。
『珍しいな。なんかあったか?』
返信はすぐにやってきた。
『まあ、ちょっとね』
『オレはべつにかまわないけど、メンタルヤバいんだったら、デスモグラじゃなくて気分転換に別のゲームでもやるか? クラフト系のゲームでもやって、頭空っぽにして素材集めと建築でもやってれば、ちっとは気分も晴れるんじゃね?』
……ああ、そういう考え方もあるか。
『ああ、いいね。何やるかはハルトに任せていいかな?』
『オーケー、まかせとけ。じゃあ予定通り13:00に』
『うん、それじゃ』
返信メッセージを送信して、ぼくはメッセージアプリを閉じた。
結局夢の中のアーシャの言葉を引きずったまま、ぼくは午前中を無為に過ごしてしまった。
昼食をつくるのも面倒だったのでコンビニのサンドイッチですませてうだうだとしていると、メッセージアプリに通知が届いた。ハルトからのボイスチャットの呼び出し。メッセージアプリを起ち上げると、
『おう、どうだ? 少しは復活したか?』
ハルトの無遠慮な声が届いた。今は、その無遠慮な声がちょっとありがたい。
「いや、ちょっとまだテンション下がり調子だよ。……で、今日はなにやるの?」
『アストロ・クラフト』
宇宙を舞台に、いくつもある惑星を巡って冒険をするゲームだ。……この期に及んで宇宙が舞台のゲームか。内心苦笑いしつつも、いまさら「宇宙が舞台のゲームはちょっと……」ともいいづらく、ぼくはスマホの向こう側に向けて「オーケー」と応えた。
ゲームを起動すると、すでにハルトからの参加要請が届いていた。参加要請に応じてハルトのゲーム世界に移動する。
ゲーム内では、何人かのプレイヤーのキャラが動き回っていた。一人はハルト。それから……。
『あ、きたきた。やっほー』
ゲーム内のボイスチャットから聞き慣れた声。サキだ。サキのキヤラが手を振るモーションでぼくを出迎えてくれた。
そうしてほかの顔見知りのプレイヤーたちともしばらくの間協力プレイを続けていたのだけれど。
スマホに通知。ゲームを始める前にハルトがメッセージアプリで開いたボイスチャットにサキが入ってきた、という通知だった。ゲームを確認すると、サキはゲーム内のボイスチャットを一時的に切っているようだった。
『なんか、メンタルヤバいんだって? なんかあったんだよね?』
「まあね」
ぼくはうなずいた。
「ちょっとややこしい話だから、話しにくいんだけど」
『気になる女のコでもできた?』
「気になるっていうか……うん、まあある意味そうかも」
『ひゅーひゅー』
サキがおどけてみせる。
『で、どんな人よ?』
「うーん、なんていうのかな。ネットで知り合った遠い国の人なんだ。やむにやまれぬ事情があって、たった一人で長い間がんばり続けてるらしいんだけど、それに比べたらぼくなんてすごい恵まれてるな、って思ったら、なんかすごい落ち込んじゃって」
『なーんだ』
つまらなそうにサキが笑った。
『そういうことなら、レンにできることは、その人を応援してあげるしかないんじゃない? その人のことを考えてレンが勝手に落ち込むより、そっちのほうがその人は喜ぶと思うよ?』
「そういうものかな?」
『そーゆーもんだよ』
いって、サキはからからと笑った。
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