「天才の10年」への応援コメント
オフ会にての感想の文字起こしになりますが、記録として。
「スワンプマン」という強い言葉を題材とタイトルに選んだのは秀逸ですが、それに引きずられた印象。
読者はタイトルから内容に期待するので、そこに満たなかったり違和感があれば評価を下げることになります。
その意味で、この内容を堅持するならタイトルの方を変える方が早いかもしれません。「自分そっくりなロボット」ならおそらく意見は割れませんし、お題の「機械」にも近くなるので。タイトルのインパクトは減じてしまいますが。
すでに伝えたので割愛しますが、私も今作の展開は、私の思うところのスワンプマンではないと考えます。
「死ね」以降の考察も見ましたが、そのためには「主人公がそういう行動を取る人物」であるという伏線が必要です。でなければスワンプマンなのに「主人公と異なる行動」を取ったことになるので。まあスワンプマンの解釈違いと言えばそれまでですが、変化するならそれなりの説明付けは欲しいところですね。
スワンプマンでなく「コピーロボット的な発明」なら、この展開でもよかったかなと思いますが。オリジナル設定なのでそういうものだと納得できますし。
単純なオチとしてはイマイチ、裏を読ませる部分も伏線不足という印象。タイトル選びに光るところはあったので星1とします。
あ、文章は半分にはダイエットできます!w
作者からの返信
梶野さん、わざわざありがとうございます。
まずですが……「タイトルに引きずられた」ということはありませんね。なぜならタイトルは作品を書いた後に決めたからです。
タイトルを決めた後も多少の調整はしましたが、大きくは変えていません。
ここまでのコメント欄をご覧いただいたなら私にも色々と考えがあったのは理解して頂けるかとは思いますが、本作は「間違いなくスワンプマンだ」と胸を張らせて頂きます。
梶野さんが相手でも譲れませんよ?w
そうですねぇ。コメントで書いていないことであれば……。
原典のスワンプマンではオリジナルは物理的に死にます。
本作のオリジナルは生きてはいますが、社会的には死んでいます。代わりに社会を生きたのはアンドロイドです。
これだけを見てもスワンプマンだと思いませんか?
また「変化するならそれなりの説明付けは欲しいところ」とのことですが、「10年という月日」がその説明となっていると考えています。
10年間、一切何も変化のない人間なんていませんからね。それこそ変化しないのはロボットくらいかと。
本作のアンドロイドに「主人公が取る行動なのか?」と疑問に感じられたのであれば、それがまさしく「アンドロイドは単なるロボットではなかった」とも読み取れるのではないでしょうか?
あと、毎度恒例でもある「文章は半分にはダイエットできます」とのことですが……本作に用いるには不適切だと感じますね。
だって梶野さんは「本作はスワンプマンではない」と感じられたのでしょう? それで何をどう改稿するんです?
「解釈違い」と感じておられるのであれば、仮に梶野さんが書き直した本作は別物です。そうでしょう?
私も「スワンプマン要素を排して、ただ怠け者の教訓話」にしたなら文章量は半分くらいにできるかもしれませんよ(断言はしないw)
まぁ色々と反論しましたが、私の実力不足は認めています。
こうして苦言を頂けることにも感謝しています。
ただやはり「スワンプマンを語るには足りない」なら呑み込めますが「スワンプマンではない」は呑み込めませんがね。
しかしタイトル評価のみで★1ですか……。
嬉しくねぇ……ww
「天才の10年」への応援コメント
改めてコメントです。よろしくです。
https://kakuyomu.jp/shared_drafts/hMmWdAlUaiDNlebn3NTPNgKdiRx7v7un
作者からの返信
わざわざありがとうございます。
やはりタイトルが問題点ですか……。
私としては「序盤のみを切り取ってスワンプマン」としたつもりはありませんでしたね。むしろ「後半こそスワンプマンを表している」とすら思っています。
恐らくですが「命令」という部分に、皆さん引っかかっておられるように感じます。「命令が絶対ならば、個人としての人格は否定される」のだと。
しかし私はそうは考えておりませんね。むしろ生身の人間でも様々な「拒否できない事柄(命令)を受けて生きている」と思います。
「命令」は「人格の有無」には関係ないと考えてますね。「命令に従っていても、そこに意思がないとは言えない」と思います。
そして本作のアンドロイドを「一個の人格」として見てみれば、意外と人間臭くないでしょうか?
歌って回れという命令に「仕方ねぇな」と零したり、堕落しきった男に説教をしたり。
最後の命令の「死ね」も、アンドロイドは「本当にそれを命令と受け取って停止したのか?」なんて思えませんかね?
本作は短編ですので端折りましたが、10年という月日の間にアンドロイドが何を考え、何を想ったのかを想像すれば、最後の「命令」で機能を停止したのにも何らかの意図があるように見えないでしょうか?
「ひょっとすると」の部分を、本作では意図的に大きく解釈の幅を作って書きました。
まぁ作者の言い訳と言えば、その通りなのかもしれませんけどねw
ただ、これらは「あえて書かない」ことを選んで書きました。書けば「答えが固定されてしまう」と感じたからです。
スワンプマンは思考実験であり、私は「答えを出すべきではない」と考えたからです。
私の好きな言葉の1つに「誤読は読者の自由であり、権利である」というものがあります。
読者の皆さまが本作を読んで「しょせんは機械」と感じるのも「人間って傲慢で怠惰」と感じるのも「同じ人格の分岐」を感じるのも「男の未来を想像」するのも自由です。
ただ「本作はスワンプマンをテーマにするには浅すぎる」なら奥歯を噛んで納得もできますが「本作はスワンプマンではない」というご意見は承服しかねますねw
いやオフ会の続きですので、少し本音で言い過ぎたかも知れません。
決して怒ったりはしてませんので、ご安心をw
先日に引き続き、ご意見ありがとうございました!
「天才の10年」への応援コメント
昭和のこち亀でもありましたねぇ…
まぁアレは両津の欲望ダダ漏れで制御不能でしたがw
作者からの返信
あぁ、ありそうなネタですね。
そのエピソード自体は覚えてませんけど、元々あの作品にはロボットの準レギュラーキャラがいましたし(「ダ〇太郎」だったかな?)
こっちも設定は近いんですけど、ギャグではなくブラックユーモアの方に舵を切りましたw 作者的には「藤子・F・〇二雄の短編」みたいな作品を目指しましたね。
目指しはしましたけど、意識すればするほど「天才との差」を感じずにはいられませんねぇ。
媒体の差もあるかとは思いますけど、私のような凡才では天才の後追いをするのがやっとです。50年くらい遅れでねww
「天才の10年」への応援コメント
読みやすかったです。
そして、考えさせられる作品ですね('ω')
10年という月日の間に、天才だった人間は自堕落なポンコツに成り果て、一方の機械は人間らしく成長していく。
でも、機械はあくまでも機械。
最後は命令に従う存在として、退場してしまう。
なんとも皮肉な結末ですね。
作者からの返信
コメントありがとうございます。
本作から何かを感じ取って頂けたのなら嬉しく思います。
しかし、アンドロイドは本当に「ただ命令だから停止した」のでしょうか? 「死ね」という言葉は、本当に命令として受け取ったのでしょうか?
そんなことも考えながら、「作中で答えを出さない」ことを選んで執筆しましたw
編集済
「天才の10年」への応援コメント
【追記+補足あり】
オフ会後に考えが深まったり、変わった部分もあるので、改めて。
結構ズレた発想するので、あまり参考にはならないかもですが。
オフ会でも話題になったタイトルですが。
個人的にスワンプマン問題はあまり面白いネタとは思っていないので、そこはフックになりませんでした。むしろ「機械仕掛け」のほうが引っかかる。SFでこの字面を見たら、どうしてもキューブリックを連想する。あれの原題は"A Clockwork Orange"で、ゼンマイと歯車の時計的なメカなんですよ。
その印象を引きずって読むと、アンドロイドが妙にスッキリと未来的に見える。アンドロイド自身のメカニズムやそれに起因するエピソードが無いので、「機械仕掛け」感が薄い。これ、生身のクローン人間でも話は成立しますよね?
なので、私はタイトルは前半も後半も忘却しました。すると、先のコメント返信にも書かれている通り、「怠け者の教訓話」になるんですよ。そう思って読むとクスリと笑える軽妙なお話かな、と思いました。
ですが、これがボルコムさんの「スワンプマン問題」をテーマにした作品だというのなら、かなり疑問が残ります。少なくとも、一般に言われる「スワンプマン問題」と違う話に見える。湾多さんや梶野さんへの返信を見ても、です。
ボルコムさん、スワンプマン問題はどこまで掘り下げました? 由来はどこから? そこがちょっと一般認知とズレてませんか?
一般的な認知と異なる、ボルコム流スワンプマン問題をテーマにするなら、そのセットアップに必要な情報が伝わっていないと思います。書き慣れていないのでどのくらいの文字数が必要なのかは分かりませんが。もしかしたら短編には収まらないのかもしれません。それはそれで興味深いですが、コレとは違う話になってしまいそうですね。
【追記】
えーまず。「スワンプマン問題」とはそもそも科学哲学の命題です。あちらの分野では様々な思考実験があり、科学に関する認知とか概念を哲学として追求するものです。アレンジをすると原義から外れてしまう。違う原義に基づく思考実験は、別の思考実験なんですよ。それは「ボルコム問題」であって、「スワンプマン問題」では無い。
原義上、以下の3つをすべて満たす必要があります。
1.完全に同一でなければいけない
2.因果関係=歴史的繋がりが有ってはいけない
3.同時に存在してはいけない
1.は、まず物質的に生身の人間とアンドロイドという差があります。精神面に限定したスワンプマンだとしても、両者はオリジナルとアンドロイドという自覚がある、精神面に置いても同一ではない。
2.も、主人公が意図してアンドロイドに転送しているので、この部分で因果関係がある。SFの転送装置などがスワンプマン問題では無いとされるのと同じ理由です。
3.は、観測者にとって同時ではないという意味で、社会から見たら成立しているとしても良いですが。
となると、この作品の「スワンプマン問題」度は大きめに見ても33%なんですよ。物語がアンドロイドが社会の中でアレコレする話であれば、社会側から見てアンドロイドがスワンプマンかもしれないという理屈が33%は成立するかもしれない。しかし、物語は主人公とアンドロイドで進むので、この線で解釈するのも難しい。故に、これはスワンプマン問題では無い。
……極力、原義に沿う方向で詳細を書いてみましたが。
これにボルコムさんが違和感を覚える部分がズレなんじゃないかなぁと思います。どうでしょうか?
【補足】
再読して、すれ違いポイントに気付いたので補足しておきます。
私の書いた「一般」というのは理系的な用法ですね。普遍性とか、法則において例外がない状態などを指すもので、主観よりは客観的な意味あいが強いです。なので、「世間一般」の一般とは違うニュアンスなのです。だから、世間の認知が多数だからといって「一般」とは限らないのです。
コレは文化圏が変わると誤解を招く用法なので、私が不用意に使ったのが良くなかったですね。ここは謝罪しておきます。
私は理解がズレていると書いたのであって、浅いという意図はありません。スワンプマン問題と違う考察を深めているのでは無いか、という意図です。
で、私が書いた動機は、ボルコムさんに認めさせたいのではなく、私の認識とのズレはこうですよと説明できれば、と思っただけです。それを理解した上で、私のような認識は対象読者外と思えば不採用で破棄してもらえば良いので。ボルコムさんの考えや作品をどうこうしたいという意図は全く無いのです。
【再追記】
「スワンプマン問題ではない」は、スワンプマン問題の範囲を越えた新しい問題提起ではないかという前向きな意図で書いたのですが。
揶揄と受け取られてしまったのは残念です。ご不快でしたら削除してください。
作者からの返信
コメントありがとうございます。
オフ会で話題になった……というより私の作品に関しては、ほぼ「スワンプマンか否か」しか議論になっていなかったかと思いますが……w
「機械仕掛け」に関しては、単に語呂でつけただけですので深い意味はありません。「アンドロイドだからつけた」というだけです。
なのでこの点は割愛で。
「生身のクローンでも成立する」も仰る通りですね。
そもそも原典のスワンプマンからして「沼にある物質が変異したもの」ですから。
ここも「お題が『機械』だったから」というだけです。
そして「怠け者の教訓話に見える」とのことですが、まずはそう読めるように書きましたからね。その上で、立ち止まって深く読み込むとスワンプマンが見えるように書いたつもりです。
そこまで読み込むか、気付くかは読者に委ねてますけどね。
まぁオフ会のお三方は「説明してもスワンプマンではない」という結論でしたので、読み込む・気付くといった問題ではないのでしょう。
しかしながら「一般認知とズレている」というのはどういった根拠ですかね?
確かに私は、スワンプマンをネットで知り・調べた程度の知識しか持っていません。ですが「ネットの知識は一般的ではない」という主張でしょうか?
まぁ私の理解が浅いという部分は認めますがね。
しかしそれをもって「一般的ではない」と断じるのは少々乱暴でしょう。
むしろ「浅い知識だからこそ一般的」だとすら思います。だって「スワンプマン問題を深く理解している人」なんて、そんなに多くはないと思いますし。
もちろん本作は原典と相違点が多くあります。しかしただオリジナルをなぞるだけでは自作の小説とは言えないでしょう。
本作は「原典の翻訳」ではありませんし「ただ設定を変えただけ」でもありません。
そこには辺根さんの仰るように「私なりのスワンプマン解釈」があるのは事実でしょう。
しかしそれは「一般的ではない」と言われるほど隔絶したものだとは思いませんがね。
「自分と全く同じ記憶や体を持つ存在が生まれたら、それは自分と同一人物なのか、別人なのか」「複製の行動に、オリジナルの行動と同じ意味があるのか」という問いは、原典のスワンプマンにも本作にもあると思いますよ。
この2つを「ない」と私に納得させられたなら、私は「本作はスワンプマンではない」と認めますがね。
【追記】
わざわざ追記までしてくださったようで。
ですが暴論が過ぎます。
まず私は先にも述べた「自分と全く同じ記憶や体を持つ存在が生まれたら、それは自分と同一人物なのか、別人なのか」「複製の行動に、オリジナルの行動と同じ意味があるのか」の2点を、原典のスワンプマンの重要な問題提起だと考えました。
これは、辺根さんが挙げられた3点を満たさなければ問えない問題なのでしょうか?
私は「この2つを『ない』と私に納得させられたなら、私は『本作はスワンプマンではない』と認めます」と言いましたよね?
辺根さまのお考えは「本作に2点があるかどうか」を否定する根拠ではないと判断できます。
それとも「この認識こそが間違いだ」と仰るでしょうか?
もし「認識が間違い」だと仰るなら、ぜひ「一般的なスワンプマンの解釈」をご教授頂きたいですね。
「故に、これはスワンプマン問題では無い」とまで仰るなら「その三要素が欠けてはスワンプマン足りえない理由」を述べてください。「本作との違い」を挙げるのではなく。
「本作がスワンプマンそのものではない」ということは、最初から認めていますからね(創作である以上、当然なので言ってませんでしたが)
重要なのは「原作とどこまで同一か」ではなく「同じ問題提起をしているか」だと思いますね。
ここも「全く同じ」とまでは申しませんが、間違いなく「スワンプマンを元にした問題提起をしている」と自負しています。
それに有名な哲学問題を、「これが正解だ」などと断言することの方がおこがましくは思いませんか?
それを原典と違うから「これは『ボルコム問題』だ」などという揶揄は心外ですし、看過できません。
辺根さんにそのつもりはなかったでしょうが揶揄であり、暴論です。
「33%」という数字も、三要素の達成率がそのまま問題提起の成立度を示すという根拠が不十分です。
それこそ「辺根問題」では?
【補足についての返信】
「私の認識とのズレ」を伝えたいだけなのであれば、「本作はスワンプマンではない」などという強い言葉を使うべきではありません。
それは「相手への否定」になります。
曲がりなりにも創作者であるならば、自分の言葉には責任を持ってください。
私が強い言葉を使う時は、覚悟を決めています。
【再追記】
もう言葉がありませんが……まぁ、少ししつこすぎましたね。順番が悪かったのもありますが。
当然ですが、不快に感じていたのは今回のコメントだけではありません。辺根さんだけではありませんよ。
1度目は、笑って流しましょう(オフ会)
2度目も、まぁ怒りは隠しましょう(湾多さんのコメント)
3度目くらいから、隠しきれなくなってきたかも(梶野さんのコメント)
4度目では、辟易とし始めました(辺根さんのコメント)
5度目で、主観的にも限界です(追記コメント)
これだけ繰り返し作品を否定され続けて笑顔を保っていられるほど、私は人間ができていません。むしろ私にしてはよくもった方です。
ですが主義によりコメントは消しません。
だからもしこのコメントが消えたなら運営に削除されたのだとご理解ください。
「前向きな意図」ですか?
>アレンジをすると原義から外れてしまう。違う原義に基づく思考実験は、別の思考実験なんですよ。それは「ボルコム問題」であって、「スワンプマン問題」では無い。
この言葉のどこに「前向きな意図」を相手に伝えようとする表現があったのか、ぜひ教えてください。
ついでに私のこれまでの問いにもお答え頂きたいところですね。
その上で、まだ本作を「スワンプマンではない」と主張するつもりがあるのであれば、納得いくまで話しましょう。
私はもう話したくはありませんが、作者ですからね。作品を否定する議論から逃げたくはありません。
【再々追記】
あぁ、それと……。
私の経験則と予測では、いくら話を続けても恐らく「互いが納得できる理解」にはなりません。
せいぜい「相手の言い分はわかった」が限界でしょう。
それでも良ければ、ですけどね。
私は良いとは思ってませんので話す意味を感じませんが、作者の義務として応じます。