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 十年ぶりに会う兄が、もうじき、婚約者を実家に連れてくる。

 スマートフォンで時刻を確認した。

 鼓動がはやく強くなる。

 胸に手を当てると、鼓動が手のひらに移動してきそうなほどに。

 兄は中学卒業と同時に家を出ていった。

 ぼくは六年生だった。

 突然兄がいなくなり、涙がなかなか止まらなかった。

 兄から連絡があったとき、ぼくは自室でエアコンのリモコンを指でトントン叩いていた。

 本格的な夏を迎える前に、蒸し暑い日が続いていたからだ。

 リビングでは、電話の音が鳴り響いていた。

 電話が鳴り始めた瞬間、ぼくの心臓は跳ね上がった。

 間違い電話だろうと思い、ぼくは無視してエアコンをつけた。

 型が古いせいか、冷風が吹きはじめる前、エアコンの内部から石がぶつかりあっているような音がした。

 激しい音を立てていたエアコンが、冷たい風を出し始めるのと同

時に、エアコン独特の匂いも鼻に届いた。

ぼくは思わず顔をしかめた。

 エアコンの音はしばらくして収まった。だが、電話の音は鳴り続けていた。

 兄は固定電話に連絡をしてきた。

 ぼくは固定電話が鳴っても、まず出ることはない。

 呼び出し音は、いつまで経っても鳴り止む気配がなかった。

 面倒ではあったが、ぼくは受話器を取ることにした。

 電話に出ない限り、呼び出し音が消えることはない予感がしたからだ。

 電話に出ると、ぼくが声を出す前に、

「智か?」

 と聞き覚えのない声で名前を呼ばれた。だが、その声を聞いて、なぜか胸が締めつけられた。

 目を閉じて、記憶のなかを辿ってみた。

 ふと、兄の顔が浮かんだ。

 ぼくは肩をなでおろした。

「どうして、ぼくだと思ったの? 母さんかもしれないのに」

 ぼくはそう訊いたが、兄からの返答はなかった。

 言いたいことは数多くあった。

何から言おうか思案しているあいだに、兄が用件を言った。

 その内容を聞き、ぼくは思わず目を見開いた。

 婚約をしたので実家に挨拶に来たいという内容だった。

「まずは、母さんに伝えるべきことじゃないかな?」

 ぼくは息をひとつ吐いてから言った。

 兄はどちらに先に言おうが実家に行くことに変わりない、というようなことを言った。

 さっきより深い息を吐き、ぼくはいつ挨拶に来たいのかを訊いた。

 いくつか日時を言われたので、

「母さんに聞いておくよ」

 とぼくは言い、

「ぼくから連絡する」

 と言うと、

「携帯は持っていない」

 と返された。

 ぼくの独断で、土曜日の十二時からに決めた。

 母は平日仕事をしている。

「ぼくは家にいなくても問題ないよね?」

 と訊くと、

「すきにすればいい」

 と言われた。

 数秒間、沈黙が続いた。

 鈍色のような時間だった。

 ふいに、兄が、

「じゃあ」

 とだけ言い、電話を切った。

 兄の声を聞いて気になったことがある。

 声質は変わるものではないだろう。だが、十年ぶりに聞いた兄の声は、以前とは何かが違った。

 自室に戻ると、ぼくは兄の婚約者の姿を思い浮かべようとした。

 何かに縛られることを極端に嫌っていた兄が、一人の女性と家族になるなんて。

 結局、兄の婚約相手を思い浮かべることはできなかった。

 当日、夜明け前に、ぼくは目を覚ました。

 トイレに行こうと思い自室を出ると、リビングのソファーに母が座っていた。

 ソファーの向かいにあるテレビもつけずに。

ただ、座っていた。

本当に、ただ、座っているという表現が合う雰囲気だった。

 母も母なりに、期するものがあるのだろう。

 ぼくは声をかけずに自室へ戻った。

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