プロローグ~朽ち森へ~①
──光は、めぐる。
誰かを照らした光は、その胸の奥に小さな種を残してゆく。
すぐには芽吹かないこともある。
冷たい土の中で
誰にも見つけてもらえない暗闇の中で。
ただ静かに、その時を待ち続けることもある。
そしていつか
ほんのひとすじのぬくもりに触れたとき。
しかと大地に根を張り
小さな芽をのぞかせる。
やがて枝葉を広げ
空へと手を伸ばし
雨に打たれ風に揺られ
時折その身を折られながらも
少しずつ、少しずつ
強く、強く育っていく。
そしていつの日か。
その小さな種は
誰かを包み込めるほどの大きな樹となる。
大樹は花を咲かせ
やがて豊かな実りを結ぶ。
実りはいのちを繋ぎ
その実りの中には
また新しい小さな種が眠っている。
ちいさな種は形をかえて伝わり続け、広がっていく。
──そうして、光は、めぐってゆく。
太陽は、その身を削り世界を照らす。
花を咲かせ
木々を育て
小さないのちひとつひとつへ
光と温もりを分け与えてゆく。
けれど、明るく輝く太陽が眠り
光を休める夜が訪れる。
そんな夜には、月がいる。
月は、自分では光らない。
太陽から与えられた光を
大切に、大切に抱いて。
長い夜を、静かに照らし続ける。
すべてを照らすことは、できない。
闇を払うことも、できない。
それでも。
誰にも気づかれない場所で、たったひとり咲こうとする花を
その月だけが、柔らかく照らしている。
──焼け落ちた村に、少年がひとり立っていた。
このときの彼は、まだ知らない。
自分の中に、消えずに残っている光があることを。
その光を待っている、小さな花があることを。
そして、その花もまた。
いつの日か
彼の長い長い夜を照らす、かけがえのない光になることを…
*****************
雨がすべてを洗い流していた。
かつて故郷と呼んだ場所には
黒く炭化した柱だけが墓標のように突き立ち
雨に濡れて細い煙を上げている。
鼻をつく焦げ臭さにも、もう慣れてしまった。
──五年ぶりだった。
十歳で村を飛び出してから、一度も帰らなかった。
騎士になるまでは帰らない。
立派になった姿を見せるまでは合わせる顔がない。
だから帰らなかった。
騎士になれず傭兵に身を落としてからは、なおさら足が向かなかった。
いつか、いつかと先延ばしにしているうちに、その五年が過ぎていた。
そして皮肉なことに。
ようやく故郷の土を踏むきっかけとなったのは──依頼だった。
傭兵団[フェンリル]が受けた魔物討伐の依頼。
その討伐地が偶然にもこの村の近くの森だった。
依頼書に記された地名を見たとき胸が高鳴ったのを覚えている。
(──ついでに顔でも見せてやるか)
そんなふうに軽く考えていた。
母は驚くだろうか。
「この馬鹿息子!」とまた背中を叩かれるだろうか。
それとも…おかえり!随分大きくなったねと笑ってくれるだろうか。
村の連中には何と言われるだろう。
騎士になれなかったことを笑われるだろうか。
そんなことを道すがらぼんやりと考えていた。
だから──
村に辿り着いたその瞬間。
シュンはしばらく何が起きているのか理解できなかった。
最初に、匂いが来た。
次に、熱。
そして──炎。
崩れ落ちた家々。
見覚えのある道。
見覚えのある井戸。
そして、母が待つ家があったはずの場所。
そのすべてが燃えていた。
「──っ」
遅かった。
討伐に向かうはずだった森から、魔物の群れはすでに村へと降りていた。
仲間たちと共に必死に戦った。
斬って、斬って、斬り続けた。
だが──
戦いが終わったとき、立っていたのは自分だけだった。
共に依頼へ出た傭兵仲間は、誰ひとり生きて帰らなかった。
名前を呼んだ。
何度も呼んだ。
誰も、返事をしなかった。
彼らを弔ったのは、生き残ったシュンひとりだった。
村人たちの亡骸は魔物に食い荒らされ原形をとどめていなかった。
母の顔もわからなかった。
──五年ぶりに帰った故郷でシュンが最初にしたのは、母の顔を探すことではなく。
誰のものかもわからない骸を一つひとつ拾い集めることだった。
そして土を掘った。
燃え残った家の木材を削り墓標を立てた。
どの骨が誰のものかはわからなかった。それでも名を刻んだ。
焼け残った杖。
パン屋の焼き印。
母が肌身離さなかった、父の形見。
手がかりになったのは、それだけだった。
足りない分は決めた。
そう決めなければ、誰ひとり埋葬できなかった。
一番大きな墓標を、母のものにした。
雨の中を何日もかけてたったひとりで。
指の皮が破れ爪が割れ血が滲んでも手を止めなかった。
止めてしまえば何かが決定的に壊れてしまう気がした。
そして──それで終わりだった。
やるべきことは何ひとつ残らなかった。
──俺は何も守れなかった。
剣の腕だけは認められていた。
「努力で切り拓いた道だ」と皆が褒めてくれた。
けれど。
その剣で誰ひとり守れなかった。
幼い頃に村の年寄りから聞かされた、遠い昔の勇者の物語。
剣ひとつで魔王を封じ
世界を救ったというその英雄譚に憧れて
皆を守れる騎士になるのだと十歳で村を飛び出した。
──その夢は魔力を持たないというたった一つの理由で潰えた。
騎士にはなれず傭兵になった。
仲間は魔物の牙にかかり村は焼かれ
たった一人の家族だった母も、名前も顔もわからない骸のひとつになった。
そして──
「いつか帰る」と思っていた場所は二度と帰れない場所になった。
最後に立っていたのは自分だけだった。
(……こんなはずじゃなかった)
もっと早く帰っていれば。
依頼の道すがらではなく、ただ会いたいという理由だけで帰っていれば。
騎士になれなかったことなど笑い飛ばしてあの家の扉を叩いていれば。
(俺は母さんに……)
最後に交わした言葉すら思い出せなかった。
雨が頬を伝う。
それが涙なのかどうか、シュン自身にもわからなかった。
彼はゆっくりと村に背を向けた。
行くあてなどなかった。
ただ足が動いた。
北へ。北へ。
あの森にはまだ魔物がいる。
全部殺してやる。
仇を討ち、そして──俺も終わろう。
それが守れなかった者たちへの詫びだと
そう思っていた。
◇
朽ち森はその名の通り朽ちていた。
枯れ果てた木々が絡み合うようにして天を覆い隠している。
土は黒く干からび、踏むたびに乾いた音を立てて崩れた。
風は淀み微動だにしない。
村を濡らしていた雨は、森の入り口で途切れていた。
重なり合う枯れ枝が、雨粒ひとつ通さないのだ。
入り口には崩れた石組みが半ば土に埋もれていた。
門の跡にも見えたがシュンは目もくれなかった。
鳥の声も虫の羽音も聞こえない。
死んだような静けさだけがどこまでも広がっていた。
シュンは剣を握りしめ森の奥へと進む。
魔物の気配はまだ遠い。
だが不思議と怖くはなかった。
(もう失うものはない)
それが彼を強くした。
──いや。
強く見せていただけなのかもしれない。
失うものがないという事実は恐怖を消し去りはしても
心の空洞までは埋めてくれなかった。
一匹、また一匹と魔物を斬り伏せる。
返り血が、雨に濡れたままの銀の髪を汚した。
深い青紫の瞳が冷たく次の獲物を追う。
剣は正確で無駄がなく、それでいて──どこか機械的だった。
心が死んでいた。
(俺がこれ程強ければ)
(もっと早く強くなれていれば)
そんな思いだけが刃に乗っていた。
斬っても斬っても何も変わらない。
それでも他にできることを彼は知らなかった。
どれほど進んだだろうか。
いつしか魔物の数は減り、森はさらに深くなっていた。
そして──気づけば空気が変わっていた。
冷たく淀んでいたはずの大気がふわりとあたたかい。
それだけではなかった。
足元の枯れ草に、ほんの少しだけ色が戻っている。
「……なんだ?」
シュンは眉をひそめ茂みをかき分けた。
その瞬間。
「キィー!」
高く、澄んだ声が、頭上で響いた。
「……っ!」
反射的に剣の柄へ手がいく。
ばさり、と羽音がした。
一羽の鳥が、頭上を越えて飛び去っていく。
死んだような静けさだけが続いていた森で
初めて聞いた音だった。
鳥の声も、虫の羽音も、何ひとつなかったはずの場所で。
「…………」
見上げた空には、もう何もいない。
シュンは、気にせず歩みを進めた。
そして──息を呑んだ。
光があった。
朽ち果てた森の中心に泉が広がっていた。
淡い光を湛えた澄み切った水面。
周囲には色とりどりの花々が咲き誇っている。
小鳥が枝を渡り、小さな動物たちが警戒する様子もなく跳ね回っていた。
ここだけ世界が違っていた。
まるで死の森にぽっかりと空いた──神域のような場所。
(天国、か……?)
本気でそう思った。
俺はもう死んだのかもしれない、と。
──しかし
──泉のほとりに倒れている影があることに気が付いた。
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