『僕は、祈るときにだけ何かを感じるという。神がいるから祈るのではない。祈ったから、何かが現れる』
行為と引き換えに現れる。それは、取引という。
取引には対価がつく。見返りを求めずに祈ったとしても、向こうが何も求めてこないと、誰が保証するのだろう。
代償を取らずに姿を見せる存在はいるのか?代償はひっそりと取られているのではないか?無償でないとしたら、どこにどんな形で。
一度そう読むと、全てが裏返りました。
正しく生きた母は、事故で夫を失っても祈り続た。清らかな信仰の強さのはずが、豚の卑しい目には、代償の支払いがすでに済んだ顧客の姿に見えてしまう。
延長コード。電源から力を引き延ばすための線。祈りがもし一本の線を意味していて、12mが6mになってしまったのだとしたら、6mは祈りの差額の対価に取られたのではないか。
そして早朝、今日が少しでもいい日になればいいと祈った、その瞬間。
玄関で音がします。
ドアポストに落ちる新聞。それは対価月額990円。
祈りが届いた音ではなく請求書が届いた音なのでは、と。
とまあ、ここまで書いて、卑しいのは豚の発想なのです。
祈りに代償を探してホラーを見つけたのは、作品ではなく豚です。取引でしか世界を測れない者には、見返りを求めない行為の先にあるものが、ホラーの形にしか見えないというオチです。
それでも白状すると、あの投函の音はやっぱり少しだけ怖い。祈りに応えるように、毎週日曜、必ず届くのは――