第3話 千歳-わかれ-
赤い髪の謎の少年は、千歳とわたしの間に素早く割って入り、左フックを千歳の頬にぶち当てた。
「ウゴフゥゥゥ!!」
千歳が奇妙な声を上げながら壁に激突。壁に大きなヒビが入った。
少年はすぐさま千歳の
千歳が天井に叩きつけられ、床に落下。
何度かのバウンドをした後、リビングの真ん中に大の字で倒れた。
「準備運動にもならねぇな」
少年は手をパンパンと払い、静かに呼吸を整えている。
「あ、あの——」
「なんだ」
わたしが口を挟むと、少年は無愛想な眼差しで睨みつけてきた。
「あ、あの子……わたしの、友達……」
わたしは極限状態の中、かろうじて言葉を返す。
「……そうか。
じゃあ、これ以上傷つけるのやめるよ。
悪かったな」
少年は一度
「——次で終わらせる。
お前は動くなよ」
猫のように細めた瞳孔で、そう宣言。
少年は両腕をググッと前に突き出して、集中。
わたしは、少年が何かとんでもない技を用いて、千歳を絶命させようとしていることを悟った。
それを理解した途端に、ようやくわたしは立ち上がって動けるようになった。
これが夢なのか、そうでないのか。
もはや、そんなことを考えている余裕はなかった。
悲しみや憎しみ、怒りを抱く程の状況の整理もできない。
〈ありがと!
弁当に春巻き3個サービスしてあげる〉
〈はは、あんたは天使かよ〉
脳裏によぎる、今日千歳と交わした言葉。
〈……う〜ん、それじゃあさ。
今度、カラオケに付き合ってよ。
もちろん、みんなでね〉
蘇る、千歳からのお願い。
千歳は先程両親を殺した。
だが、明らかに千歳本人の意思でやったことだとは思えない。彼女は何者かに異形の怪物に姿を変えられてしまった。
たぶんわたしに、今の彼女への殺意は無い。
千歳を殺させたくない。
わたしは両親の
…………もう、何が正しいのかはわからなかった。
わたしはほぼ無意識のまま飛び出して、床にうずくまっている千歳と、彼女に引導を渡そうとしている少年の間に割り込んだ。
「——!?」
少年は明らかに動揺した。今繰り出そうとしていた技の発動を止めようと試みている。
しかし——時すでに遅し。
少年の両腕から、紫色の気体が発生した。
「馬鹿野郎!
動くなって言っただろうがっ」
その気体は瞬く間にわたしと千歳を包み込む。
身体の中に気体が入っていく。たちまちに体内に走る異常。
この感触——詳しくないからよくわからないけど、きっと【毒ガス】だ。
「リ、ク……」
背後で、千歳の声がした。
わたしは振り返り、笑いかける。
千歳はこちらを見つめていた。そんな姿をしていても抱きしめたくなる程の、弱々しい瞳だった。
「……大、丈夫……だよ……千歳。
……きっと、あなたは悪くない……。
……悪い夢を……見せられているだけ……
お父さんも、お母さんも、きっと許して……くれる」
毒ガスを吸ったせいだろうか。むせたりはしないが、意識が
それでも、わたしは千歳に声をかけ続けた。
自分が死のうとも、消えようとも……千歳ともう一度……。
「リク……ミテ……」
「——!!」
その時。
わたしは千歳の瞳に、心に、思考に吸い込まれていった。
* * *
わたしは、みんなと別れてからの千歳の身に起こった出来事を見た。千歳の心がその光景を映してくれていた。
「羽!?」
千歳の声。姿も見えている。
鏡に自分の身を映している千歳の背中に、まるで天使か神様のような巨大な翼が生えている。さっきまでの千歳に生えていたのと同じものだ。
「どうです、親友からのプレゼントは」
突然、千歳しかいないはずの室内から男の声がした。
千歳が慌ててベランダの方へ振り向くと。
窓の前に、黒い中折れ帽を被った背広姿の男が立っていた。赤いネクタイにサングラスも身につけている。
「…………あ、あなたは……」
アイツだ。【わたしが落としたフラットポーチを拾ってくれた——あの男】だ。
千歳は逃げようとしているが、身体が硬直してしまっているらしく動けないでいた。
1階には千歳の両親がいるはずだが、助けを求めようと思っても、何故か大きな声も出せないのだろう。
「私は『天使』——『ジェノ』。
この辺りに暮らす人々の中で、選ばれた者だけを救済しております」
天使と
「…………天使…………この翼は……」
「そう、あなたも私の術にかかって天使になりました」
「……なんのこと……?」
千歳が警戒心全開で聞き返す。千歳の蒼白の顔中が冷や汗で、非常に苦しそうだった。
この光景の少し前の時間軸では、そんなことなかったというのに。
「私は【人間を天使に変えるため】に存在している。
天使になれば、翼が生えて無限の命——すなわち、不老不死になって好き放題できる。
その同胞を増やすのが私の役目。
【この世界の存続のため】に……ね。
……ただ、どうせならストレートにそれを遂行するよりも、あえて【回りくどいこと】をした方が、我が悠久の命を楽しませられると考えましてねぇ……」
ジェノはショーの進行をしているかのように、大仰に勿体つけて、
「昨日、あなたのお友達が、一番くじでキーホルダーを当てたのを遠くから見ていました」
友達……一番くじ……キーホルダー……。
全部、わたしのことだ……。
「…………
「それが【誰かへのプレゼント】だと察した私は、今日の朝にそれを盗み取り、細工をしてお友達に返したのです。
【こちらが術をかけた道具を一定時間所持した人間を天使に変える】という能力」
今この光景の中で、わたしは意識しかそこにいない。
しかし、わたしは口元を押さえて吐いている感触と、心臓を締め付けられるような痛みに陥った。
「何も知らないお友達は、それをそのままあなたにプレゼントした。
あなたはプレゼントに喜び、肌身離さず持っていた。
そのまま時間が経過し、術が発動。
そうしてあなたは見事に天使になった!」
「うっ、うううえがぁあっ!」
告げられていく衝撃の真相に比例して、千歳の苦しみが増大していく。遂に彼女は立っていられなくなり、悶えながら床に倒れ込んだ。
「あなたはもはや人間ではなく、我々の
本能のままに生きて、不老不死にすがるだけの怪物なのですよ!
ア〜ッハッハッハッハッハッハッ、実に愉快!
ここまで計画通りに事が運ぶとは!」
ジェノは高らかに笑い続けた。
わたしは、この男に殺意を抱いた。
今芽生えた感情があれば、この男を
「…………ウグゥゥゥゥ!!」
千歳が唸り声を上げる。彼女の顔が膨らんでいき、目と歯が飛び出る。手足が焼け落ち、人間と認識できない姿になっていく。
「……ア……ア……!
アアアア……!!
ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙!!!」
千歳…………。
わかってはいたけど、この姿になるのにこんなに苦しい目に
これは、過去。
しかもわたしはそこにいないから、介入することができない。
今すぐに、千歳を助けてこの男を殺したいのに……!
「さぁ、あなたの平和と日常を壊したのは誰だ!?
私か!?
違う、彼女だ!」
わたしは、ハッとした。
「彼女が一番くじを当てたから!
私にポーチを取られたから!
返されたそれを、疑いもせずにあなたに渡したから!
全て、あの女が悪い!」
——あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙!!
くそおおおおぉぉぉ!!
そうだよ、なんでわたしは、そのままキーホルダーを千歳に渡したんだ!!
悪いのは、わたしだろう!
わたしがしっかりしていれば、この男の描く未来予想は訪れなかった!!
わたしは、わたしに殺意を抱かなければいけないんだ!
「怨むなら、あの女を怨め!
あの女の家に行き、女とその家族を殺せ!!
そうすれば、奴らも天使になって同胞ができる!
ついでにあなたの家族も殺しなさい!
みんなで天使になって、学校? 宿題? 両親の手伝い? 全てから解放されて、無限の時を本能のままに生きるのです!!」
「……黙れ」
「む?」
千歳が静かに呟いた。重みのある一言に、わたしの聴覚がピクッと反応。
「あたしの……友達を……
キモ男……全部お前の仕業だろうがあっ!
あたしは……あんたの思い通りになんか……ならないッ!
………………………………ごふっ!」
千歳は消え入りそうな声で、最期の
その後滝のような吐血をし、息絶えた。
…………そこで、わたしは千歳の心から追い出された。
* * *
わたしの意識は、毒ガスに包まれた状態の中に戻ってきた。
救いたい、千歳を。
痛い。
苦しい。
……だけど!
わたしは余力全てを振り絞り、毒の霧を掻き分けて千歳の首を探り当てる。
「リクウゥゥゥゥ」
……ありがとう……千歳。
あんたの能力なのかわからないけど、あんたの心を見せてくれて。
おかげで、なんであんたがこんなことになったのか、はっきりと理解できた!
わたしは千歳の首にかかったネックレス——天使化の術を施したキーホルダーを手に取り、千歳の首から取り上げた。
こんな
本当は、これはわたしと千歳の絆なんだ!!
それが千歳をこんな風に苦しめるのなら、わたしがそんな呪いを引き裂いてやる!!
ブチッ!
同時に、毒ガスを吸い続けて限界に達したのか、わたしの意識が現世から遠ざかっていくのを実感した……。
* * *
「六空」
ここは夢だろうか。
わたしを呼ぶ声がする。
「六空、ごめんね」
その空間に、サラサラのロングヘアの少女が立っていた。しっかりしてそうな細身の女の子。
「千歳…………?」
今日の夕方まで一緒だった、彼女だ。
「最期に、謝らせて」
これが、本当の……千歳だ。
彼女から後光のような輝きが見える。
それはまるで、去年の夏祭りに
それとも、
…………そう言えば、来週は夏祭りだった。
みんなで行く予定だったなぁ……。
おいしい物いっぱい食べて。
写真もいっぱい撮って、思い出沢山作って。
…………それが、どうして。こんなことに。
そんなことを思っていると、目の前の千歳は口を開いた。
「ごめんなさい。
六空のお父さんと、お母さん……。
あたしが……あの力を制御できずに……殺してしまった……」
「……違うよ、千歳は悪くない……。
千歳をそうさせてしまったのは、わたしだよ。
わたしが悪いんだ、あの変態男の目論見通りの行動を取ってしまったから」
「あたしは……自分の両親も殺してしまった……。
どうしても、破壊衝動を抑えられなかったの……。
あたしの意識も殆ど無くて、ただただ暴走していて……」
「……わたしが、いけなかったのよ。
千歳をそんな風に……させて……」
千歳は夢の中にいるわたしの手を握ってきた。
そこには、確かな千歳の温もりがあった。
「あんたは……悪くないよ。
六空は優しいよね。
ありがとう、最期にあたしの意識を見てくれて。
最期に天使化の術から解放してくれて。
六空が感じたように、人の情景を覗いたり、自分の描いた情景を見せたりできるのが、天使にされたあたしの能力だったみたい」
「…………最期なんて、言わないでよ。
もっと、一緒にいたいよ。
一緒に、お父さんとお母さんの仇を討とうよ」
「……ごめん、あたしは……ここまで。
もうとっくに死んでるから。
どの道、いつまた暴れて誰か殺してしまうかわからないし、衝動を完全に抑え込むことも普通の生活を送ることもできない。
だから——生きていてはいけないんだ。
仇は……任せるよ」
「……でも、わたしも毒を沢山吸ったから、
きっと、もう長くは——」
「六空はダメ。
仇討ちもだけど、それ以上に六空にはやらなければいけないことがあるでしょ。
あたしが殺してしまったあたしとあんたの、お母さんとお父さん……今頃あたしみたいに化け物になって苦しんでる」
「そんな……!!」
「——
……それに、六空はこの悲劇を知ってる。
なら、この後どうすればいいのか、わかるでしょ?」
「…………八宵と、百夏……」
「そう、二人を守ってあげて。
できれば学校のみんなも。」
「………………」
「お願いね」
千歳の手がわたしから離れた。千歳がどこか遠くに行ってしまう。
「——待って!」
わたしは、追いかけて千歳を抱きしめる。
「六……空」
そして——いつも触りたくなると感じていたサラサラの髪を掴んだ。
わたしはその髪を無心で撫で続けた。
千歳の上擦る声が聞こえる。
「やっぱり、嫌だよ!
千歳がいたから、わたしはみんなと仲良くなれたんだ!
千歳、八宵、百夏、誰一人欠けたらダメなの!
わたしには、わたしたちには、まだ千歳が——」
「……全く、本当にみんな甘えん坊なんだから。
しっかりしなさい。
あたしは、もう時間だから」
「千歳エエェェェェ!!」
大声で、ひたすらに泣きじゃくる。
愛おしい存在を離したくないと、みっともなく泣き続ける。
「もう一度言うけど、あんたは悪くないから抱えすぎないでね。
全部、あたしたちの友情を利用して弄んだ、あのジェノって奴が悪い。
それを忘れないで。
……あとは——せめて、宿題くらいはちゃんとやんなさいよ」
その言葉を最後に、千歳の感触が、温もりが、声が
わたしに願いを託して消えていった、最期の千歳。
それは、正真正銘の天使だった。
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