八月のラムネが鳴る前に
商店街のいちばん奥、錆びついたシャッターの並びに、その「写真店」はあった。
大学生になった僕は、就職活動用の履歴書に貼る退屈な証明写真を撮るために、何年ぶりかも分からないその街の改札を出た。足が勝手に、子供の頃に通った路地の記憶をなぞっていた。
傾いた西日が、アスファルトに長い影を落としている。
湿った生ぬるい風が吹くと、どこからか「カラン」と、ガラスの弾けるような音が聞こえた。
「いらっしゃい」
引き戸を開けると、埃のダンスを踊らせる夕日の中に、彼女がいた。
白いブラウスの袖をまくり、古い現像機の手入れをしている。小学生の夏休み、僕がこの店で100円のラムネを買って、店先で飲み干すのをいつも眩しそうに見ていた、カメラ屋の年の離れたお姉さんだ。
「……あ、君。大きくなったね」
彼女は僕の顔を見るなり、すぐにあの頃の目をしてみせた。
店内は、まるで時間が止まったかのようだった。壁には、色褪せたこの街の四季の写真が飾られている。まだ駅前が開発される前、大きな入道雲が空を覆っていた頃の、青い夏の写真。
「もう、現像の仕事なんてほとんどないんだけどね」
彼女は苦笑いしながら、冷えたガラス瓶のラムネを僕に差し出した。
「まだ売ってたんですね」
「残り物。今年の夏で、この店も畳むから」
手渡されたラムネは、驚くほど冷たかった。
プラスチックのキャップを押し込み、ビー玉を落とす。カチャン、と鋭い音が店内に響き、気泡がシュワシュワと湧き上がった。口に含むと、あの頃と全く変わらない、少し安っぽい甘さが喉を焼いた。
「君がね、いっつも美味しそうにこれを飲むから、私、その瞬間を撮るのが好きだったの」
彼女はカウンターの奥から、一冊の分厚いアルバムを取り出した。
ページをめくると、そこには泥だらけの半ズボンを穿いて、ラムネ瓶を青空に掲げる小さな僕がいた。前歯が抜けていて、全力で笑っている。
その写真を見た瞬間、胸の奥が、ぎゅっと締め付けられるように痛んだ。
今の僕は、スーツの着こなしを気にし、他人の顔色を窺い、減点されないための志望動機を考えている。あの泥だらけの少年が、今の僕を見たら何と言うだろう。
「この頃の夏って、もっと長くて、もっと青かった気がします」
僕がぽつりと言うと、彼女はアルバムをそっと閉じ、優しい目で僕を見た。
「夏が変わったんじゃないよ。君が、一生懸命に大人になったの。それはね、ちっとも寂しいことじゃないんだよ」
彼女は首から下げた古い一眼レフカメラを構え、レンズを僕に向けた。
「はい、ラムネ持って。あの頃みたいにさ」
ファインダー越しに彼女と目が合う。僕は少し照れくさくなりながらも、スーツの襟を少し緩め、ラムネ瓶を手に、無理に作っていない、本当の笑顔を浮かべた。
カシャ、と静かなシャッター音が響いた。
「うん、いい顔。現像できたら、今の住所に送るね」
夕日が完全に沈み、街に紫色の夜が降りてくる。
僕はラムネの空き瓶を返し、店を出た。
振り返ると、オレンジ色のポツンとした明かりの中で、彼女が手を振っていた。
駅へ向かう道すがら、カバンの中で、お土産に持たされたもう一本のラムネが、歩く振動に合わせてカララン、カラランと、懐かしい音を立てて鳴っていた。
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