第38話 情報操作
不陸の屋敷周辺は、再び戦場になろうとしていた。
結界の外縁。
森。
山道。
旧街道。
あらゆる方向から、ゴールズワージの軍勢が押し寄せている。
「敵影確認! 東側、来ます!」
「西にも展開! 数、多いです!」
次々と報告が飛び込む。
それでも、作戦室の空気は異様なほど落ち着いていた。
九龍が地図を見下ろす。
「……想定通りだな」
「ええ」
九十九も頷いた。
今回。
こちらには一つだけ、今までになかったものがある。
――相手へ流す情報を、こちらで選べる。
環が、自分が持っていた通信符についてすべて話し。
その日の夜には、露希もゴールズワージへの内通を告白した。
こうして、こちらには二つの情報経路が残った。
それを切るのではなく、逆に利用することにした。
露希からは、不陸の内部統制がまだ取れていないという報告。
環からは、補給経路と防衛配置について意図的にずらした情報。
二人が別々の経路から、互いに矛盾しない嘘を流した。
その結果が、今、地図の上に現れている。
「向こうはこちらの防衛配置を誤認しています」
九十九が地図を指す。
ゴールズワージの部隊配置は、明らかに歪だった。
本来なら優先して押さえるべき場所ではなく、こちらが意図的に〝弱点〟として流した場所へ兵が集中している。
「主力が分散してる」
九龍が地図を見る。
「ここを本命だと思ってるのか」
「そのようですね」
九十九の指が別の場所へ移る。
「その分、こちらとこちらが薄い」
九龍の目が細くなる。
「……引っかかったな」
◇
戦闘は、すぐに始まった。
森。
山道。
結界外縁。
至るところで、両軍が激突する。
だが、今回は今までと違った。
「右翼から報告! 黎明さんが敵前衛へ突入! 敵部隊、後退しています!」
別の通信が入る。
「憂玄さんの攻撃で敵後方が分断! 補給部隊との接続が切れました!」
さらに。
「七人衆、中央で敵指揮部隊と交戦中!」
戦場の右翼。
黎明が一人、敵陣の中へ踏み込んでいた。
妖怪たちを率いているわけじゃない。
王本人。
ただ一人。
それでも、敵の前線が崩れていく。
別の戦線では。
憂玄が扇子を振る。
次の瞬間、風向きが変わった。
ただの突風じゃない。
巨大な風の壁が戦場を横断し、前衛と後方支援を強引に切り離す。
そして、中央。
「っしゃあああ!!」
瑠璃音の大鎌が、敵の武器をまとめて弾き飛ばす。
その背後から、かごめの神使が飛び出した。
狐の姿をした二体の神使が左右へ分かれ、敵の退路を塞ぐ。
「寧音!」
「分かってる!」
空間の一部が切り取られる。
敵の足場だけが、突然消えた。
その隙を、愛飴の毒が塞ぐ。
黒紫色の液体が地面へ広がり、敵の進路を強制的に変えていく。
桜羽希も、自分の指先から流した少量の血だけを使い、細い刃を作っていた。
無理はしない。
以前みたいに大量の血を使えば、自分が先に倒れる。
だから、狙うのは一人。
前線へ指示を飛ばしていた敵だけ。
血の刃が走る。
敵指揮官の腕を貫いた。
「指揮、止まりました!」
「今!」
瑠璃音が踏み込む。
今まで隠れていた西の力が。
初めて、不陸を守るために正面から使われていた。
「……押してる」
作戦室で、誰かが呟いた。
九十九も地図から目を離さない。
「はい。ゴールズワージは、こちらの偽情報を信じて戦力を割きすぎています」
各戦線から入る報告も、こちらの優勢を示していた。
東では九龍を中心に前線を維持。
中央では七人衆が指揮系統を削る。
右翼には黎明。
後方分断には憂玄。
そして、ゴールズワージの主力は存在しない弱点へ大量に兵を送り込んでいる。
「このままなら」
九龍が地図を見る。
「押し返せる」
その言葉に、誰も反論しなかった。
初めてだった。
ゴールズワージと正面からぶつかって、こちらが明確に優位を取っている。
勝てる。
少なくとも、今日。
不陸を守り切ることはできる。
誰もが、そう思い始めた。
――その時だった。
「……っ!?」
結界を監視していた人間が突然立ち上がった。
「上空に未確認反応!」
「何?」
「転移反応です! でも……規模がおかしい!」
九十九が顔を上げる。
「ゴールズワージの増援ですか?」
「識別できません!」
次の瞬間。
外から、轟音が響いた。
全員が窓の向こうを見る。
空が。
裂けていた。
「…………は?」
青白い光が、空を縦に切り開いている。
まるで、世界そのものへ巨大な亀裂が入ったみたいに。
そこから、何かが降りてくる。
一人。
十人。
百人。
違う。
もっと。
白と金を基調とした装甲。
寸分違わず揃った陣形。
その背後に広がる、巨大な光。
その軍勢を見た瞬間。
九十九の表情が変わった。
「……天界軍」
「え?」
俺は九十九を見る。
「なんで天界が……?」
通信が飛び込む。
「上空より別系統部隊が侵入!」
「ゴールズワージ軍ではありません!」
そして。
一拍。
「戦力規模……第一陣を上回ります!」
作戦室の空気が、一気に凍った。
「待て」
九龍が地図から顔を上げる。
「天界軍が、なんでここに来る?」
九十九の表情が険しくなる。
「セイビさんの抹殺を、天界がゴールズワージへ依頼していることは分かっていました」
「……うん」
それは、俺も知っている。
黒いコートの男。
処理工程。
俺を狙って動いている天界。
それ自体は、今さら驚くことじゃない。
「ですが」
九十九は空を見上げる。
「天界軍そのものが動くとは聞いていません」
「じゃあ……」
俺も空を見る。
白と金の軍勢が、次々と降りてくる。
「今回は、自分たちで来たってこと?」
「その可能性が高いです」
戦場でも、異変に気づいた不陸の人間たちが次々と空を見上げていた。
攻撃の手が止まる。
突然現れた大軍へ、視線が集まっていく。
でも。
ゴールズワージ側は違った。
慌てていない。
陣形を崩す者もいない。
天界軍へ武器を向ける者もいなかった。
「……向こう、知ってたのか」
俺が呟く。
九十九が小さく頷く。
「おそらく」
つまり。
ゴールズワージは最初から知っていた。
天界軍が来ることを。
こっちは、露希と環の情報経路を使ってゴールズワージの配置を崩した。
相手より一歩先に行けたと思っていた。
でも。
向こうにも、こっちが知らない手が残っていた。
――天界軍。
しかも。
今までみたいに、ゴールズワージへ俺の処理を任せるだけじゃない。
今回は、天界自身が戦場へ出てきた。
「……そこまでするのかよ」
思わず口から出た。
俺一人のために。
これだけの軍を。
その時。
天界軍の中央が、ゆっくりと開いた。
一人の人物が前へ出る。
白い外套。
金の装飾。
胸元には、王族を示す紋章。
周囲の兵士たちが、一斉に頭を下げた。
その人物が戦場を見下ろす。
そして。
静かな声が魔力に乗って、不陸の周囲全体へ響いた。
「――天界第三王子、ロウエル」
一拍。
「ここに到着した」
誰も、すぐには動かなかった。
目的は、まだ分からない。
どうして第三王子本人まで来たのかも。
でも。
あの軍勢がここへ来た理由に、俺が関わっていることだけは分かる。
さっきまでこちらへ傾き始めていた戦場の流れが、たった一つの軍勢の出現で完全に止まった。
俺は空を見上げる。
白と金の軍勢。
その中央にいる、天界第三王子ロウエル。
「……なんなんだよ、今度は」
やっと、押し返せると思った。
ようやく、こっちから戦えると思った。
なのに。
ゴールズワージの向こうに。
まだ、天界がいる。
しかも今度は。
誰かに任せるんじゃなく。
自分たちで、ここまで来た。
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