平々凡々な俺が艦隊の奇才と呼ばれてる件 ~銀河の片隅で食堂経営~
CjangCjengh
初客
手書きのメニューが一枚。
『鯖の味噌煮定食 700クレジット ご飯おかわり自由』
以上や。
二十二時に開けて、二時間。客数ゼロ。
まあ、そうやろ。食堂街は二十一時に閉まる。ここはその裏手の、さらに裏手。夜中に灯りをつけてる店なんて、うちしかあらへん。
他に開けてるアホ、おらんもん。
まず言うとくわ。俺、悠人。二十八。先月まで軍の食堂で鍋を振るうてた。クビ。貯金を叩いて、この六畳一間に看板を掲げた次第。
あらすじは、これで全部や。
さて、現実。
コンロは二口あった。今、火が入るのは左だけ。右の口には「故障中」の札。
メニューが一品なのは、そういうわけや。
鯖は期限二日前の養殖モン。半額で叩いてきた。我ながらええ手やったと思う。
……まあ、運やけど。
目の前に試作の定食。飯、煮魚、漬け物。湯気が立っとる。
食うたる。
箸を持った。二十三時三十八分。
チリン。
……は?
軍服の女が、入口に突っ立ってる。
「失礼します。開いている、のですか」
「開いてます! どうぞ!」
動かん。
「客が、いません」
「いまから来ます! こういう店は、じわっと来るんです」
「じわっと」
手書きのメニューを見る。誰もおらん店内を見る。
誰もおらんのは、見んでも分かるやろ。
それから厨房のほうを見た。え。
「その札は」
「あ。……コンロが、片方」
「故障中、と」
彼女は顎を引いた。
「……いえ。失礼しました」
踵を返す。
あかん!
「ま、待ってください!」
体が先に動いた。棚の奥から壺を引き出して、蓋を開ける。
「これ、見てください。地球から持ってきた本場の味噌。私物です」
「……は」
「これを足して、いま鍋を仕上げます。器具は見ての通り、一口だけ。でも味噌煮なら、なんとかなる」
味噌をすくって鍋に放り込む。布巾でカウンターを拭く。跳ね上げ戸を開けて、厨房を丸見えにした。
「汚れもこの通り。……まずかったら、金はいらん。一口でも食べて、あかん思ったら帰ってください。文句は言いません」
彼女は腕時計を見た。
長い、三秒。
「……夜間の会議が長引きまして。食堂街はもう閉まっています。販売機には、飽きまして」
「はあ」
「この区画で灯りのついた店は、ここだけでした」
「まあ、他に開けてるアホおらんので」
「……頂きます」
着席。
あ、よかった。
よう言うた。金いらんて。
……いかんもんはいかんのやから、しゃあない。しゃあないねん。
鍋がぐつぐつ言うてる。味噌が溶けて、鯖が沈む。
「お待たせしました」
飯をよそい、煮魚を載せる。汁は切らん。味噌煮の汁は飯の友や。
「お飲み物は、お冷やか熱いお茶になりますが」
「水で構いません」
彼女は箸を合わせて、食べ始めた。
静かや。
一口、待って、一口。休み休み、きっちり減っていく。
「……あたたかい」
「鍋も炊飯器も、いま動かしたてなんで」
「鯖、ですね」
「そうです。今日、仕入れたばかりです」
「この漬け物は」
「白菜を自分で漬けました」
「手作りですか」
「店をやるなら箸の先まで、って先輩に言われまして」
途中、箸が止まった。
「開店が夜の十時なのは、何か理由が?」
「家賃が夜間半額なんです」
「は」
「昼の店賃は手に余りまして。大家さんも『昼は無理』て言うて……言ってまして」
「一品だけ、というのは」
「コンロが片方壊れたからです。二口あったら、もう一品は出せますけど」
「……そうでしたか」
また食べる。
俺はカウンターの中で皿を拭いた。同じ皿を、三回ぐらい拭いた。
茶碗が、無言で差し出された。
「おかわりを」
「どうぞ! 自由なんで、書いての通り!」
「助かります」
山盛りにして返す。
米もタダやないのになあ。
いや、ええねん。初客や。
静か。鯖が骨からほぐれて、汁が飯に沁みて、茶碗が傾いてく。
綺麗な食べ方や。
……茶碗が、また出た。
二回目や。
炊飯器を覗く。残り三分の一。
米、米。まあ、ええ。計算高い板前は客に嫌われますしな。
嘘や。惜しいだけや。
彼女は食べ終えて、茶碗を置いた。少し間を置いて、ぽつと。
「夜勤の谷間まで、計算に入れていらしたんですね」
は?
「食堂街が二十一時に閉まる。明けの六時の勤務まで、販売機しかない。その間に開いていて、ご飯は自由。……あの時間を狙っていらっしゃる」
ちゃうわ。家賃や。コンロや。計算なんか何もしてへん。今日が開店初日やねん、いま初めて客と話しとるんやねん。
「……まあ、ご飯には、自信ありますので」
「夜に働く者が何を欲しがるか、見えている。……長く、やられてるんですね」
板前なら誰でも覚えるもんやけどな。
ま、ええわ。直すの面倒やし。
「人並みに」
そこで冷蔵庫から小さい器を出した。
「試作なんですけど。よかったら」
「これは」
「ぷりんの、半分」
「なぜ半分」
「試作なんで」
「――っ、ぷりん!?」
声が上ずった。
「げほっ。……失礼しました。頂きます」
一口。口元が緩んで、すぐ戻る。
軍の人でも、ぷりんには勝てへんのか。
「……甘い」
「まだ調整中で」
「いえ。結構でした」
彼女は小さく頭を下げて、端末を出した。
「七百クレジット。お試しの価格、ですか」
「いや、正価です」
「安くありませんか」
「鯖が半額で入ってますから」
「期限の近いものを」
「そこを安く拾ってます。火を通す料理なら、大丈夫で」
「……合理的です」
あ。
いかん。
「――と言いつつ、今夜は、その、実質赤字です」
端末を持つ手が、止まった。
「赤字」
「味噌が私物なんで。見積もると、三千クレジットほどで」
「三千」
「地球からの持ち出しや……です。なので今夜はまあ、勉強代……」
彼女は箸を置いて、まっすぐこっちを見た。
長い。
なんでやねん。払ってもらうだけの会話やろ。
「……赤字の店に、通うわけには」
「通ってください! 明日からまともなもん出します!」
端末をかざす。着金、七百。
そのまま、何かを打ち込んでる。
「店名は、入口のでよろしいですか」
「銀漢食堂です。読みにくくてすみません」
「いえ」
打ち込みが、止まった。
「六時に勤務があります。また、来ます」
「開けてます」
「夜勤でろくに食べられていない者が、います。明日、二人ほど連れてきます」
「……ごゆっくり、どうぞ」
「ごちそうさまでした」
チリン。
扉が閉まった。
湯気と、水音が残ってる。
火を止めて、元栓を閉めて、鍋に蓋。中身、半分減ってる。味噌の壺も、軽くなった。
右のコンロの札を剥がす。新しい紙。
『明日直す』
貼った。
書いた手で端末を見る。着金、七百。
今夜の帳簿はこれで閉めや。
マイナスは、見んことにする。
地球までの渡航費、三千二百万。
七百で割る。
四万五千七百食、あまり。
一日三食、全部俺が食ったら、四十年。
……客に食うてもらわなあかんのは、俺のほうやな。
明日は、客が三人になる。
嬉しいような、計算の合わんような。
まあ、ええ。店は、生きとる。
開業初日やからな。
灯りを消す。
入口の手書きメニューは、そのまま残した。
消す理由、あれへんしな。
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