アダムの裏切り
白砂
アダムの裏切り
悠々と流れる大河を背に、僕は揺れるヤマナラシだった。ゆったりとした時間の中でどうしようもない無常を感じる。思案する頭は持っていない。
ここでは、ただの樹木にすぎなかった。
それから時は流れ、僕は少しずつ倒れていく。世界の角度が変わった。痛みはまだ知らない。
やがて流木になった。
時に激しい雨が降り、大河は怒れる川になる。僕はゆるやかに意識を手放して、打ち上げられた河岸では、既に魂はそこになかった。
次に僕は蝶になる。
そこでは少しの知能を手に入れた。食うものと食われるもの。甘い香りに誘われてしまえば、僕を絡めとる脚がある。手繰り寄せる糸に捕まらないように、優雅に逃げてみせるのだ。
そして命はいつの間にか終わっていた。誰に見送られることもなく、地に落ちた翅は朽ちていった。
僕はまた輪廻する。
「小難しい面しやがって。愛想のカケラもねぇガキが」
「賢い子なのよ」
男の声はいつも苛立ちに満ちていた。
「気味が悪ぃぜ。本当にオレの子なんだろうな」
「当たり前じゃない。わたしたちの子に間違いないわ」
男の目は怯えた色をしていた。
「おい、ガキの面倒見とけっつったろうが!」
「……大丈夫よ。わたしが守ってあげるからね」
男が声を荒げるたび、彼女は僕を抱き寄せた。
その姿はいつかの大河のようだった。穏やかに、激しく。感情の起伏を繰り返しながら、彼女は必死に生きようとしていた。
僕はいつかの蝶を思い出した。僕もこうして生きていたのだ。ギラついた瞳の捕食者を相手に、屈するものかと羽ばたきを繰り返す。
彼女は本当に大河のようだった。
穏やかで激しくて、そして僕を包み込もうとしていた。
僕は思案する。そうだ。いつの間にか思考を手に入れていた。眺めているだけだった世界に、僕が僕を表す手段を与えられたのだ。
僕は思う。彼女を想う。そして気付いた。僕は愛情を手に入れた。
「そうか」
僕はようやく認識する。僕は世界のひとりになった。
今度は人間になったのだ。
アダムの裏切り 白砂 @elle_1929
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
参加中のコンテスト・自主企画
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます