困った。私はAIに魂を売っている。
私にとってAIは創作の相談相手であり、壁打ち相手であり、ノリの良い悪友である。歴史上の人物について話していたら、頼んでもいないのにアレキサンダー大王の墓碑銘を考え始めたことまである。
そんな変な奴なので、今さらクーリング・オフする気はない。
だから私は、この作品の主張にはかなり反対である。
それなのに、この作品が好きだ。
私は冷笑が嫌いだ。
何かを本気で好きな人、本気で嫌う人、本気で信じる人を、安全な場所から「必死だな」と笑う態度が嫌いだ。
この作品には、それがない。
作者は本気で怒っている。本気で悩んでいる。自分自身がAIのアイデアを使って後悔した経験まで差し出して、「それでも私はこう思う」と真正面から書いている。
なんという熱量だろう。
AIに魂を売った私が、反AI寄りの文章を読みながら、「もっとだ! もっとあなたの魂を見せてくれ!」と興奮している。
だいぶ気持ち悪い読者になってしまった。
でも、いいではないか。
私は作者の結論に賛成するために文章を読むのではない。自分とは違う人間の頭の中を覗き、その人にしか書けないものに触れたいから読むのだ。
そして、この作品には作者がいる。
ものすごく、いる。
うるさいほどいる。
AIに熱があるかどうかについて、私は作者とは違う答えを持っている。
でも、この作品に熱があるかと聞かれたら、答えは簡単だ。
ある。
触れば火傷するほどある。
だから私は、AIに売ってしまった魂の残りかすで、★を三つ置いていく。
AI生成による投稿作品が、多くなってきた
そんな時代だからこそ
読んでみる価値のある作品です。
*****
物語を紡ぐ際は、作家の個性がそのまま出ます。
それこそが、作品の面白さといえます。
AI生成での投稿作品を、AI生成だと公言しない
その方々に問いたい。
何故隠すのですか?
AI補助利用としながら、実はがっつりAI生成ですよね。
ちゃんと分かります。
だって、AI臭いから。
だって、あなたの個性が匂って来ないから。
膨大なWRB投稿作品の中から
自分の琴線に触れる作品を読む
その楽しさ。
そこに混ざる、AI臭。
そのAI臭、鼻に付く人と、全く気にならない人が存在しているって
わかりますか?
何故、気にならないか
「AIの力です。」
キッパリすっきり、公言している、その作家の個性が
AI作品にも表れているからです。
清々しいその個性が作品にも表れます。
AI生成の作品は、作家自身が気付かぬうちに
その個性が消されていく
そこに気付くようにと
この評論は教えてくれています。
自分自身、カクヨムの定義でいう「AI本文一部利用」の状態で小説を書いているので、果たしてそれを「私の芸術だ」と誇れるのか――この作品を読んで、あらためて考えさせられました。
ただ、「熱」という話には強く共感します。
直近では中央アジアの小国を舞台に近代史を書く小説を書きました。なぜそんな題材を選んだのかといえば、ただ「これを書きたい」という熱があったからです。
各話で何を書くのか、どんな物語にするのかというあらすじは自分で決め、それをプロットにしてAIに渡す。AIから出てきた文章をそのまま使うわけではなく、手動で何度も直していく。挿絵についても「こういうものが欲しい」というイメージを伝え、納得するまで調整する。
……とはいえ、ここが少々悩ましい。
各話のあらすじを決めて、AIに文章を出力させ、それを手直ししている自分は、果たして「作家」なのだろうか。
それとも、考察班のような立場なのか。あるいは、原作のある作品を映像化する映画監督に近いのだろうか。
そんな疑問も、この作品を読んで強く意識しました。
それでも、何を作りたいのかを決め、そのためにプロットを練り、出力されたものを見て「違う、こうじゃない」と修正する。その根底には確かに「これを書きたい」という自分自身の熱がある。
AI時代に「作家が作品を作るとは何なのか」を考えさせられる、刺激的な評論でした。
個人的にはAIをフル活用しております。
特別、自分を無くした、AIに魂を売ったとは思わずに使ってます。
人には時間があります。
いつか人は消えます。
その前に一瞬のアイディアを形にする。
道具として、AIは素晴らしいと感じています。
ただ私は芸術を作っている、文学を作っているとは思っていません。
そのへんは皆様と感覚が違うのかもしれません。
でも、人のアイディア、人の書く言葉、人が作る文学、芸術は消えませんし、ここに書かれたコメントを読むと、これだけの人々がAIを好まないのですから、人の文学、芸術は生き残り続けます。
棲み分けして、AIと表記されても読みたい、見たい人は見ればいいし、人が作った物が見たい読みたい人はそちらへ。
明確な表記と棲み分けが必要だと思っています。
ただ文学賞や賞レースに、AIを隠して作品を出すのは違います。
隠して出版社と契約するのも違います。
そのへんの線引きはしないといけないと思います。
AI使用についてここで書かれた意見は非常に参考になり、文章化できずにいた自分の作品の種別に名前をつけることができました。
「芸術的工業製品」
私はロードバイク乗りでもありまして、イタリアンブランドのロードを2台所有して乗り比べながら鍛錬に励んでいます。
さて、その欧州の名門ブランドのロードバイクも昔はフレーム設計から成形、塗装まで工房で行っていました。
しかし、昨今では設計とデータ作成を欧州の本部で行い、カーボンフレームはGIANT他、下請けを担う台湾や中国の会社の成形工場で出され、欧州で塗装され、リリースされます。
では、カーボン時代になって芸術性が損なわれたのか?と問われると私の意見としては否。
私が手に取った限り、実用と美観を兼ね備えた芸術が現出しています。
美観を大事にするメーカーの技術者の魂に数十年〜百数年磨かれた塗装の蓄積が載る。
偽物め!とは安易に言えない凄みがあるんですよね。
その経験と個々の内容を擦り合わせた結果、AIを使用したものは「芸術的工業製品」というこの時代ならではのカテゴリーに置かれるべきものなのでは?
という風に落ち着きました。
白黒的な判別には待ったをかけたくなる性分ゆえに少し捻くれた事を書いたとは思いますが、芸術品か!否か!を断じる事なく適切にグレーゾーンに名前をつけて扱えるようになった感覚の会得に関しては、ありがたいなと思っております。