第4話 友人
事故の直前まで、私は凛と一緒にいた。
本当に、直前まで。
それがずっと頭から離れない。
*
「喉かわいた」
凛が言った。
「さっき飲んだじゃん」
「もうかわいた」
「燃費悪すぎ」
「人間に燃費とか言う?」
笑った。
くだらない。
本当にくだらない会話だった。
私たちはフードコートを出て、エスカレーターの前で別れた。
私は一階の雑貨屋。
凛は地下。
「じゃ、あとで」
「うん」
それだけ。
振り返りもしなかった。
また十分後には会うと思っていたから。
*
爆発した。
音はよく覚えていない。
床が揺れた。
何かが落ちてきた。
人が叫んだ。
私は走った。
走ったというより、押されて流された。
気づいたら壁際にいた。
誰かに引っ張られて、狭い空間に入った。
暗かった。
埃で息ができなかった。
スマホはなかった。
落としたのか、壊れたのかわからない。
私は泣いた。
「お母さん」
って言った。
言ってから、子どもみたいで嫌だった。
でも止まらなかった。
「怖い」
隣にいた知らない女の人が手を握ってくれた。
その人も泣いていた。
しばらくして、腕の中で小さな振動がした。
救命ID。
学校で何度も習った。
有事になると起動する。
「大丈夫」
女の人が言った。
「IDある?」
「あります」
「私も」
その瞬間、少しだけ安心した。
見つけてもらえる。
私たちはここにいるって、もう誰かが知ってる。
*
救助されたのは、たぶん十時間後だった。
時間の感覚はなかった。
でも病院で聞いた。
「発生から九時間五十二分」
看護師さんが言った。
「よく頑張ったね」
私は泣いた。
お母さんも泣いた。
お父さんもいた。
スマホを借りた。
最初に凛へ電話した。
つながらない。
メッセージ。
既読つかない。
そこでやっと思い出した。
凛、地下だった。
*
「凛は?」
お母さんに聞いた。
「連絡つかないの?」
私のお母さんの顔が変わった。
警察に言った。
直前まで一緒だった。
エスカレーター前で別れた。
凛は地下に降りた。
何時だった。
服装。
髪型。
持っていたバッグ。
何度も同じことを言った。
「救命IDは?」
警察の人が聞いた。
「知りません」
普通あると思っていた。
だから、
「あると思います」
って言った。
そのときは。
*
救命ID反応は七人。
全員救出。
ニュースが流れた。
私はその七人のうちの一人だった。
なのに凛は帰ってこない。
おかしい。
「七人って、私も入ってる?」
お母さんに聞いた。
「たぶん」
「じゃあ凛は?」
答えなかった。
「凛も入ってるなら、場所わかるよね?」
お母さんは、
「今捜してるから」
と言った。
それだけ。
*
次の日、学校のグループチャットが荒れていた。
《凛まだ?》
《救命ID反応なかったらしい》
《え、なんで》
《未登録?》
《そんなことある?》
私は画面を閉じた。
息が苦しくなった。
未登録。
意味がわからなかった。
凛は十五歳だ。
自分でそんなの決めたの?
いや。
決められない。
親だ。
*
思い出したことがあった。
前に凛が言っていた。
「うちのお母さん、救命ID嫌いなんだよね」
私は笑って、
「また陰謀論?」
って言った。
凛も笑った。
「多分」
「でも凛は入ってるでしょ」
「知らん」
「知らんの?」
「赤ちゃんの時じゃん、覚えてないし」
それで終わった。
それだけだった。
私も確認しなかった。
凛も確認しなかった。
だって普通、入ってると思う。
*
二日目。
まだ見つからない。
私は病院のベッドでテレビを見ていた。
救命IDあり七人は全員救出。
未登録の行方不明者一人。
その言い方が嫌だった。
行方不明者一人。
凛なのに。
名前があるのに。
笑うし。
燃費悪いし。
地下にジュース買いに行っただけなのに。
*
もし。
私が一緒に地下へ行っていたら。
私はIDがある。
私の位置を探しに来て、
凛も一緒に見つけてもらえたかもしれない。
そう思った。
その瞬間から、もう止まらなかった。
私が雑貨屋なんか見たいって言わなければ。
いや、言ったのは私じゃないかもしれない。
覚えてない。
でも。
一緒にいれば。
私のIDがあれば。
私が凛のビーコンになれた。
*
お母さんに言った。
「私、地下行けばよかった」
怒られた。
「何言ってるの」
「でも」
「あなたまで危なかったかもしれないでしょ」
「でも私IDあるから」
言ってから泣いた。
「私なら見つけてもらえたじゃん」
お母さんは何も言わなかった。
その沈黙が余計につらかった。
*
五十八時間後。
見つかった。
生きてる。
その連絡を聞いた瞬間、私は叫んだ。
本当に。
病院なのに。
泣いて。
笑って。
「生きてる!」
って。
でも次に聞いたのは、
重度の脱水。
神経障害。
予後不明。
四肢麻痺の可能性。
私は何も言えなくなった。
十時間。
五十八時間。
何度計算しても、四十八時間。
私は十時間で外に出た。
凛はそこから、さらに丸二日。
*
しばらくして、面会できるようになった。
凛はベッドにいた。
管だらけだった。
顔が細くなっていた。
私は何を言えばいいかわからなかった。
「ごめん」
最初に出たのは、それだった。
凛の目が動いた。
「ごめん」
もう一度言った。
何に対して謝っているのか、自分でもわからなかった。
一緒にいなかったこと。
IDのことを知らなかったこと。
十時間で助かったこと。
普通に歩けること。
全部。
凛の指が少し動いた。
右手の人差し指。
私は泣いた。
「凛」
もう一度。
少し。
「聞こえてる?」
動いた。
*
私は次の日、紙を持っていった。
大きく文字を書いた。
「はい なら1回」
「いいえ なら2回」
凛は一回動かした。
通じた。
私は息を吸った。
ずっと聞きたかった。
でも、聞くのが怖かった。
「救命ID、入ってないって知ってた?」
二回。
いいえ。
胸が痛くなった。
「お母さんが入れなかったって、事故の前から知ってた?」
二回。
いいえ。
私は泣いた。
凛も泣いた。
「助けに来ると思ってた?」
一回。
「IDがあるから、来ると思ってた?」
一回。
もう聞けなかった。
*
帰り道、駅にポスターがあった。
――見張るためではなく、見失わないために。
何度も見てきた。
今まで何とも思わなかった。
私は立ち止まった。
凛も、このポスターを見ていたはずだ。
この言葉を信じていたはずだ。
自分も対象だと思っていたはずだ。
私はスマホで救命IDの登録画面を開いた。
自分の状態。
《登録済み》
当然だった。
その下に、小さく書いてあった。
《未成年者は保護者の判断により未登録となっている場合があります》
そんな文言、初めて読んだ。
*
数週間後。
学校で救命IDについての特別授業があった。
先生が言った。
「今回の事故を受けて、制度の見直しが議論されています」
教室は静かだった。
みんな凛のことを知っている。
「皆さんも、自分の登録状況を確認してください」
ざわついた。
スマホを出す子。
友達に聞く子。
「私ある」
「俺も」
「家で聞いてみる」
私は何も言わなかった。
確認なんか、とっくにしていた。
*
放課後。
一人の子が言った。
「親が入れないって言ったらどうすんの?」
別の子が笑った。
「やば」
私は振り返った。
「笑うことじゃないよ」
自分でも驚くくらい強い声が出た。
「知らないままの子、いるから」
教室が静かになった。
私は続けた。
「自分のことなのに」
声が震えた。
「自分が助けてもらえるかどうかなのに」
誰も何も言わなかった。
*
凛はまだ歩けない。
声も、まだほとんど出ない。
でも指は前より動く。
最近は文字盤を使えるようになった。
この前、私は聞いた。
「退院したら何したい?」
凛はゆっくり文字を選んだ。
私は一文字ずつ読んだ。
《I》
《D》
《い》
《れ》
《る》
私は少し笑った。
「そりゃそうだよね」
凛も、ほんの少し笑った。
たぶん。
私は続けた。
「一緒に行くよ」
凛の指が一回動いた。
はい。
私はもう一度、あの日のことを思い出した。
「じゃ、あとで」
私はそう言った。
またすぐ会えると思って。
今度は、
ちゃんと一緒に行こうと思った。
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