第二章 邂逅
第8話 最初に触れた手
広い丘の上に大きな神殿が建っていた。一人の少女が神殿の入り口に立ち、巨大な石柱の間から中の様子を窺っている。彼女はアイボリーのキトンを体に巻いて金の帯で留め、シャンパンゴールドの髪をうなじでまとめていた。垂れた髪がこめかみで柔らかく揺れている。
「あの……」
行き交う人に声をかけるが、小さな声に気づく者はいない。彼女はおろおろするばかりだ。
「おい、そこの君。どうしたんだ?」
振り返ると、端正な顔立ちをした青年が立っていた。背が高く、黒いヒマティオンを着ている。緩い癖のついた短い髪と、凜とした瞳は吸い込まれそうなほど黒い。少女は一瞬目を見張ったが、自分に声をかけてくれたのだと分かると、ほっと表情を緩めた。
「私、今日からここで暮らすことになりました。」
「……新入りか。名前は?」
「ダイヤモンドと申します。」
彼は納得したように頷いた。
「よく来たな、俺はジェットだ。待っていろ、いま案内人を連れてくる。」
彼は神殿の奥へと引き返した。しばらくすると、別の男性がダイヤモンドの元へやってくる。
「ようこそダイヤモンド。お待ちしていました。私はここを取り仕切る家令です。」
彼の声は穏やかだが、堂々とした風格がある。
「よろしくお願いします……。」
ダイヤモンドは控えめに挨拶をした。
「あなたが噂の新人?」
「えっ?」
突然横から声がかかり、ダイヤモンドは驚いた。いつの間にかここの住人たちが彼女を囲んでいた。
「こんにちは、新しい宝石さん。」
「まあ、なんて可愛らしい子なの。」
「君はどんな宝石が出せるんだい?」
興味津々な彼らは次々に話しかける。
「あなたたち、彼女が困っていますよ。少し抑えて。」
家令がピシャリとその場を静めた。
「彼女はダイヤモンド、宝石の創成者です。これから一緒に働くことになりますので、温かく接してあげてください。」
ダイヤモンドの肩に家令が手を添える。
「ねえ、あなたってどんな宝石なの?」
住人の一人が尋ねた。
「あ……その……」
ダイヤモンドは顔を赤くし、両手を合わせて指をもじもじと動かしている。
「彼女の宝石は透明で輝きが強いのが特徴です。そして、とても硬いのが利点と言えるでしょう。」
答えられない彼女の代わりに家令が説明をする。
「どのくらい硬いの?」
「そうですね……ルビー石より硬いのは確かです。」
「ルビーより!?」
ざわ、と周囲にどよめきが走る。
「それはつまり、この世で一番硬いってことじゃないか。」
「なんということ……。」
住人たちはダイヤモンドから距離をとるように後ずさりはじめた。
「あなた方がきちんとルールを守って生活すれば、事故は起こりません。」
家令が言葉を付け加えたが、それでもダイヤモンドに近づこうとする者はいなかった。当の彼女は、なぜ急に自分が避けられたのか分からず、きょろきょろと辺りを見回すばかりだ。
「君がダイヤモンドか?」
その時、聞いたことのある声がして振り返った。家令を呼びに行ったきり姿を見せていなかったジェットが、いつの間にか後ろに立っていた。
「ええ、そうですけど……。」
さっき挨拶したばかりなのに、とダイヤモンドは首をかしげた。ジェットは構わず、周囲に聞こえる声で言った。
「そうか。俺はジェットだ、よろしくな。」
ダイヤモンドに向けて手を差し出す。彼女は戸惑いつつも、その手を握り返した。
「ジェット!危ないわよっ。」
周囲から心配の声があがる。ジェットはそんな彼らを余所に、ダイヤモンドをそばに引き寄せた。
「握るだけなら平気だ。擦らなきゃ傷にはならない。」
繋いだ手を見せるジェットに、一同は息を飲む。ダイヤモンドは彼を見上げた。
「あなたがそういうなら……大丈夫なのかしら。」
住人たちは二人の様子を見て、少しばかり警戒を解いたようだった。
***
「すまなかったな、仲間が失礼を働いて。」
ジェットとダイヤモンドは神殿の奥にある仕事場へ向かっていた。
「悪いやつらじゃないんだ。前にも、君に近い体質を持つ者を警戒したことがある。だが、すぐに打ち解けた。」
進みながら話すジェットに、ダイヤモンドは懸命に付いていく。
「まだ宝飾品を作ったことがないから実感できないだろうが、硬い石というのは君の強みだ。今回のことで気に病まず、自信を持ってほしい。」
「あ、あの……ジェットさん。」
「どうした?」
「もう手を離していただいて、大丈夫です……。」
ジェットの足がぴたりと止まり、視線が手に向かう。握手の時から手を繋いだままだった。
「おっと、すまない。」
ジェットはぱっと手を離した。ダイヤモンドは必死に言葉を続ける。
「あの、さっきは助けていただき、ありがとうございました。」
「当然のことをしただけだ。」
「ジェットさんは、私に触れても怖くないんですか?」
「怖くないよ。さっきも言っただろ。それに、ジェットでいいよ。」
「でも、先輩ですから。」
「それなら、君が呼びやすい方でかまわない。」
「はあ…。」
その時、仕事場の方から一人の女性が勢いよく走ってきた。
「ねーえ、そこのあなた!」
ドタドタと音を立てて近づいてきたかと思うと、その勢いのままダイヤモンドを抱きしめた。
「おい!」
ジェットは顔をしかめた。
「私はルビーよ。あなたが噂の硬い宝石さん?」
ルビーと名乗る彼女は、ダイヤモンドよりも小柄だが、豊かな曲線を持ち、編み込んだ深紅の髪を後ろでまとめていた。
「はい、そうですけど……」
「むぎゅってしてもいい?」
「え?」
「むぎゅーっ。」
ルビーはダイヤモンドへ頬ずりし始めた。ダイヤモンドはされるがままだった。
「そういう事をするなと、さっき伝えたばかりなんだが…。」
「あら、いいじゃない。傷つくのは私の方なんだから。いつも触れ合うのを避けていたんだもの……傷つけられる方が気楽だわ。」
ルビーはしばらく抱擁を楽しんだ後、ダイヤモンドの体を離した。ルビーの擦れた頬がわずかに赤くなっている。
「いきなりごめんなさいね。硬い者同士、仲良くしましょう。」
二人が握手をしていると、ルビーの背後から一人の男性が現れた。
「新入りってのは、その子か?」
「ゴールド!」
そう呼ばれた彼はジェットよりも大柄で、金色の豊かな髪と髭が目を引いた。キトンを体に巻いて、その上から一枚布を肩に掛けている。腕には立派な金飾りを付けていた。顎髭を弄りながらダイヤモンドを興味深そうに観察する。
「へえ、ヒヨコみてえだな。よろしくな、ダイヤモンドちゃん。」
ダイヤモンドは慌てて頭を下げた。
「ゴールドは丈夫だからな。こいつには気を遣わなくていいぞ。」
ジェットが悪戯っぽく言った。
「俺だって心は繊細なんだよ。」
「お前が繊細っていうんなら、俺たちは風が吹いただけで寝込むよ。」
「ははは!確かにそうだな。」
ゴールドは豪快に笑った。
「あの、私……精一杯頑張ります!」
「そんなに気張んないで。楽しくやりましょうよ。」
「そうそう、毎日美味いものを食べてな。」
その夜、ダイヤモンドを歓迎する晩餐会が開かれた。焼いた肉やオリーブ、色とりどりのフルーツがテーブルに並べられ、ぶどう酒も振る舞われた。先ほどまで警戒していた者たちも、宴が進むにつれてダイヤモンドと打ち解けるようになり、中には彼女に謝る者もいた。
「飲み物、もう少しいる?」
隣にいた白銀色の髪の女性が、空いた杯を指さす。
「ありがとうございます。」
ダイヤモンドは杯を差しだした。
「私はガラス。ダイヤちゃんも私と同じ透明の宝石なんだね。嬉しいな。」
二人はささやかな乾杯をして、しばらく会話を弾ませた。
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