9月22日

 誕生日の日、出勤するとふたつの書類が置かれていた。ひとつは「ねんきん定期便」で、わたしがこれまで支払ってきた年金の額と、それに応じた年金の額が書かれていた。今の状態であれば、年金が受給できるようになる年から10年以上生き延びないと、元が取れないらしい。いつ死ぬのも一興と思っているが、この資料を見ていると、生きねば、と思えてくる。払い損ということばが頭をよぎった。

 もう一つの書類は、先般起こった豪雨災害のときの超過勤務に関する調書だった。一週間前、名古屋では大雨に見舞われた。普段は「上り坂のきつい橋だな」としか思わなかった橋の、その下に流れる川が決壊したという。公共交通機関は麻痺して、多数の生徒が取り残され、教員であるわたしたちはその対応を行っていた。勤務校は残業手当を出さないブラック私立高校であるが、非常事態への対応で超過勤務が発生した際には、三六協定に基づいて手当が支給されるらしい。学校の近所に住んでいるがゆえにその気になればいつでも帰ることができたわたしが、志願してまで生徒対応にあたった理由の九割は、その手当があるからであった。

 豪雨の日、勤務校の講堂で演劇部の様子を見ていた。雨足が強くなりはじめ、名古屋に危険警報が発令されたために部活を解散、生徒たちをひとまず講堂から脱出させたが、そのとき、「舞台横の放送ブースから水が漏れています」と生徒から報告を受けた。見てみると単なる雨漏りのそれではなく、天井に空いた小窓から大量の水が流れていた。滝だ、と思った。あとから調べると割合単純な理由で漏水が発生していたようだが、その原因が特定されるまでは、ほかの先生とともに漏水の対症療法を行うことしかできなかった。室内の浸水を避けるべく、流れ出てくる水を窓へと流すために、ときにバケツリレーをしたり、ときにプラスチックダンボールで巨大な流しそうめんのような機構を取り付けたりして、なんとか水を排出していった。漏れてくる水をもろに被ったのもあって、滝行のような気持ちにもなった。しかしこの滝の水は汚かった。そのあと少し目が腫れたのはおそらくこの滝に打たれたためだろう。

 豪雨の次の日は休校になった。豪雨の晩、わたしは生徒の見張りのため学校に残り、真夜中になってから帰った。真夜中の帰路は、湿気を帯びた風が吹いてくる、瑞々しい静かな夜だった。秋が来るかもしれないと思った。

 結果として秋はもう少し後に来た。休校から明けたあとの勤務校は、もはや完全に元通りになって、それまでと変わらずに授業が進み、生徒も文化祭の準備に精を出していった。休校の日を利用してなんとかテストの採点を終えることができたので、一瞬わたしの繁忙期が緩やかになったことを除けば、はなから何もなかったかのように、学校はその大きな図体を稼働させつづけていた。そうして、豪雨から一週間、いや二週間が過ぎていった。この間に変わったことといえば、わたしがひとつ歳をとったことのほかには、教室で文化祭のために作られているガンダムが着々と塗装されていることくらいしか見当たらないのだった。

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THE TWENTY-SEVEN CLUB 永井文鳥 @Long_BunBird

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