第7話 消された刻印
「二十八年前の記事を全部?」
ナディアが聞いた。
「できれば」
「何に使うんですか」
「調べもの」
「何を調べるかを聞いています」
環は端末をナディアへ向けた。
画面には白鳥の指輪。
警察が公開した写真だった。
ナディアが眼鏡を押し上げる。
「昨日の」
「知ってる?」
「ニュースになっていますから」
「これ」
環は画像を拡大した。
指輪の内側。
削られた跡。
「いつ消えたか分かる?」
ナディアは画像を見る。
「現物なしでは何とも」
「二十八年前の写真なら?」
「状態によります」
「ある?」
「なぜ私に聞くんです」
「詳しそうだから」
「褒めても何も出ません」
「褒めてない」
ナディアは環を見た。
環も見る。
数秒後、ナディアがため息をついた。
「場所を変えましょう」
二時間後。
二人は国立博物館の資料閲覧室にいた。
机の上には、二十八年前の新聞記事と複写資料。
ナディアが取り寄せたものだった。
「事件資料そのものは警察です。ここで確認できるのは、当時公開された記事と、アルマ家に関係する収蔵資料だけです」
「十分」
環は最初の記事を開いた。
《名家アルマ家から婚約指輪盗難》
若いセレステ・アルマの写真。
二十九歳。
現在よりずっと長い髪。
その横に、白鳥の指輪の資料写真がある。
環は写真へ顔を近づけた。
「これ、盗まれる前?」
「記事によれば、婚約発表用に撮影された写真です。盗難の六日前」
「内側見えない」
「普通、指輪の内側は撮りません」
「役に立たないな」
「二十八年前の記者に言ってください」
次の記事。
盗難翌日。
その次。
三日後。
最初は怪盗ヴェイルの犯行として大きく報じられていた。
屋敷の警備を突破。
宝石箱から指輪だけが消えた。
現場にはヴェイルのカード。
環はそこを飛ばした。
「待ってください」
ナディアが紙を押さえた。
「何」
「あなた、読むの速すぎません?」
「必要なところだけ見てる」
「どこが必要か分かってるんですか」
「刻印」
環は次をめくった。
五日後。
記事の扱いが変わった。
《白鳥の指輪、刻印に謎》
環の手が止まる。
ナディアも読む。
婚約指輪には本来、
両家の頭文字と婚約日が刻まれる予定だった。
ところが、盗難前に撮られていた別の記録写真を拡大した結果、内側に研磨跡らしいものが見つかった。
「これ」
環が指した。
写真は粗い。
だが、確かに内側の一部だけ光り方が違う。
「盗まれる前だ」
「そう見えます」
「じゃあ俺じゃない」
ナディアが顔を上げた。
環は記事を見ていた。
「何がです?」
「何でもない」
「今、“俺じゃない”って言いました?」
「言ってない」
「言いました」
環は次の記事を取った。
ナディアはしばらく見ていたが、追及せず一緒に読む。
一週間後。
《婚約指輪の刻印、何者かが削除か》
さらに二日。
《アルマ令嬢、婚約への反発か》
環の眉が動いた。
記事には匿名の関係者証言が載っている。
セレステは婚約に消極的だった。
家同士が進めた縁談だった。
刻印が意図的に削られていたなら、本人が関与した可能性もある。
そして、その直後に指輪が盗まれた。
二つの出来事を結びつける記事が増えていく。
《盗難は偶然だったのか》
《内部協力説》
《怪盗ヴェイルへの依頼説》
環が紙を置いた。
「依頼されてない」
ナディアは何も言わなかった。
環が顔を上げる。
「何」
「続けてください」
「何を」
「独り言」
「言ってない」
ナディアは記事を一枚抜いた。
「当時、ヴェイルへの依頼説まで出ています」
「外れ」
「なぜ分かるんです?」
環は黙った。
「久我さん」
「記事が外してる顔してる」
「記事に顔はありません」
環は別の資料を取った。
「婚約は?」
ナディアが調べる。
「盗難の二か月後に解消されています」
「指輪がなくなったから?」
「そこまでは分かりません」
「セレステは?」
「その後、別の方と結婚。二児。現在は独身です。夫は十一年前に亡くなっています」
「刻印の話は?」
ナディアは記事を追った。
「しばらく残っています」
一年後の記事。
五年後の回顧記事。
怪盗ヴェイルの有名事件をまとめた雑誌。
そこにも短く書かれていた。
《なお、盗難前に婚約刻印が消されていたことから、当時は所有者側の関与も疑われた》
環はそこを二度読んだ。
「二十八年残ってる」
「記事としては」
「違うって証明された?」
ナディアが資料を探す。
しばらくして首を振った。
「少なくとも、ここにはありません」
「警察は?」
「確認するなら正式な照会が必要です」
「して」
「私が?」
「得意だろ」
「何のために?」
環は答えなかった。
ナディアが椅子にもたれた。
「昨日、セレステ・アルマさんの家に指輪が現れました」
「うん」
「あなたは今日、二十八年前の刻印について調べに来た」
「偶然」
「その言葉、便利ですね」
「便利だから使ってる」
ナディアは環をじっと見る。
「久我さん」
「何」
「この指輪が盗まれた時、あなたは二十九歳ですね」
「そうだね」
「ヴェイルの活動時期とも重なる」
「世界に二十九歳はいっぱいいた」
「そうですね」
ナディアはそこで止めた。
資料へ戻る。
「一つあります」
「何」
「盗難から三週間後のインタビュー」
セレステ本人の短い記事だった。
質問は刻印について。
記者は直接聞いている。
《刻印を消したのはあなたですか》
セレステの回答。
《その質問には答えません》
環は読む。
「答えてない」
「ええ」
「何で」
「本人にしか分かりません」
「警察には?」
「公開資料にはありません」
環は記事を持ったまま考えた。
ナディアが言う。
「会えばいいんじゃないですか」
「誰に」
「セレステさん」
環は記事から顔を上げた。
「昨日家に入ったばっかり」
ナディアの動きが止まった。
環も止まった。
「……入った?」
「言い方」
「どういう言い方なら合法になります?」
「指輪を置いた」
「家の中に?」
「玄関の近く」
「本人の許可は?」
環は記事を畳もうとした。
ナディアが取り上げた。
「資料を畳まないでください」
「細かい」
「久我さん」
「何」
「あなたが置いたんですか」
環は答えなかった。
ナディアの表情から、呆れが消えた。
「白鳥の指輪を?」
「返した」
「警察が捜査してます」
「知ってる」
「二十八年前に盗まれた指輪を、なぜあなたが持っていたんです?」
環は窓の外を見た。
「長い話になる」
「聞きます」
「今日は時間ない」
「私はあります」
「俺がない」
環は立ち上がった。
ナディアも立つ。
「どこへ行くんですか」
「セレステのところ」
「何をしに?」
「聞く」
「何を」
環は机の記事を指した。
《刻印を消したのはあなたですか》
「これ」
ナディアがファイルを閉じた。
「私も行きます」
「何で」
「あなた一人で行かせたくないので」
「信用ないな」
「昨日、不法侵入したと聞いた直後です」
「盗む時より簡単だ」
「そういうこと言わないでください」
「事実だ」
「あなたが余裕ぶると、ろくなことにならないでしょう」
環はナディアを見る。
「マルセルと同じこと言う」
「誰ですか、それ」
「元相棒」
「何の?」
環は歩き出した。
ナディアも追う。
「久我さん」
「何」
「今度は玄関から行きます」
「分かった」
「呼び鈴も押します」
「分かったって」
「勝手に入らない」
環は返事をしなかった。
「返事してください」
「努力する」
「駄目です」
二十八年前の記事を入れたファイルを抱え、ナディアは環の後を追った。
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