料理音痴な俺と、プロ顔負けな彼女

譲羽唯月

第1話 料理音痴な俺と、料理好きな彼女

 高校一年生の斉藤祥さいとう しょうにとって、料理は長年の苦手科目だった。


 小学生の頃から何度も挑戦しては、鍋を真っ黒に焦がして部屋中に焦げ臭い煙を充満させたり、塩と砂糖を取り違えて舌が麻痺するような味を作り出したりと、失敗の連続。気づけばキッチンに近づくこと自体が憂鬱になり、母親の手料理に頼りきり、休日はコンビニの弁当やレトルト食品で済ませる習慣がすっかり身についていた。


 祥本人はそれを特に気にも留めていなかった。だが、高校生になって初めての長い夏休みが近づいたある夜、状況は一変する。

 夕食前のリビングで、母親がエプロンを外し、いつになく真剣な顔で祥と向き合った。


「祥、少し話があるの」


 突然の改まった口調に、祥は思わず背筋を伸ばした。


「な、なんだよ急に。何かあったの?」

「私とお父さんが、仕事の都合で二ヶ月ほど出張することになったの。夏休みに入ってから家を空けることになるわ」

「えっ……本気? え、でも、そんな急に言われても」


 家に帰れば両親がいるのが当たり前の日常だっただけに、祥の声は大きくなってしまう。


「だから家事全般をあなたに任せたいの。洗濯も掃除も、それに料理も。二ヶ月も放っておけば家が荒れるでしょう。祥以外に頼れる人はいないし」

「そ、そうは言われても……俺が料理下手なのは知ってるだろ? 昔からずっとダメだったし」

「ええ、わかっているわ。でも今年から高校生になったんだし、少しは自立を意識したほうがいいんじゃない? 将来一人暮らしをする可能性だってあるんだから。これをチャンスだと思って挑戦しなさい。私たちはまだ一週間ほど家にいるから、その間に夕食を作ってみて。明日からお願いね」

「明日からって……絶対に失敗するって。本当に下手なんだからさ」


 過去の苦い記憶が次々と蘇り、祥はなかなか頷けずにいた。

 母親はさらに言葉を続ける。


「でも、じゃないのよ。自炊ができなければお小遣いだけで生活なんて続けられないでしょう。時には節約も大事なの」


 確かに、毎月一万円程度のお小遣いではコンビニ通いばかりではすぐに底をつく。

 祥の胸の奥で、焦りがじわりと広がっていく。やりたくはない。けれどやらなければ生活が成り立たない。そう実感したのは、初めてのことだった。


「じゃあ明日からね。完璧じゃなくてもいいから。まずは簡単な一品だけで十分よ」

「……わかったよ。俺が出来るのか……?」


 祥は小さく息を吐き、丁寧に盛り付けられた母の料理が並ぶテーブルに着いた。




 翌朝。目を覚ました彼は相変わらず”料理なんて無理だ”と気分を沈ませたまま家を出た。

 学校へ通じる住宅街の道を歩きながら途方に暮れていると、背後から明るい声が飛んできた。


「おはよう、祥くん!」


 振り返ると、今年の春に近所へ引っ越してきた同じクラスの小泉茉菜こいずみ まなが立っていた。明るく面倒見の良い性格で、入学当初からクラスの人気者だ。ショートヘアが朝の風に軽やかに揺れ、誰にでも優しく接する美少女だった。そんな彼女とは家が近いこともあって登下校で顔を合わせるうちに、自然と親しくなっていた。


「あ、おはよう……小泉さん」

「どうしたの? 元気ない顔してるよ」

「……実は両親がしばらく家を空けるんだ。仕事の出張でさ。それで家事全般、特に自炊をしないといけなくなって。でも俺、料理が全然できないんだ」


 茉菜は少し驚いた表情を見せたあと、にこりと笑った。


「じゃあ私が手伝ってあげようか? 私、料理得意なんだよ」


 祥ははっとして、以前の家庭科の授業で彼女が難しいメニューをいとも簡単に仕上げ、周囲を驚かせていた光景を思い出した。


「小泉さん、あのとき本当にすごかったよね」

「うん。困ってるなら協力するよ」

「……じゃあ、お願いしてもいいかな」

「もちろん。今日の放課後、祥くんの家に行くね」

「ありがとう。本当に助かる」


 こうして放課後、祥の家のキッチンで二人は並んで作業を始めた。




 今日の放課後、茉菜がエプロンをつけて祥のキッチンに立ち、手際よく野菜を処理していく様子は鮮やかそのものだった。

 包丁の扱い、火の調整、味付けのすべてに無駄がなく、ぎこちなく野菜を切っている祥の手に、優しく添えて直してくれる。


「焦らなくていいよ。ゆっくり丁寧にね」

「……ありがとう」


 そんな中、茉菜はフライパンの上で肉を焼き始める。

 彼女の腕前は素人離れしていた。これなら両親が留守でも何とかなる、と祥は初めて少しだけ前向きになれた。


 やがてキッチンのテーブルに、家庭料理とは思えないほど美しく盛り付けられた生姜焼きが並び、祥が切った雑なキャベツと、茉菜が細かく千切りしたキャベツが添えられた。


「どう? これでいいかな」

「す、すごい……!」

「でしょ?」


 茉菜が微笑んだ頃、夕方五時半を過ぎて母親が帰宅した。


「なんか、いい匂いがするわね」


 キッチンに現れた母親は、テーブルに並んだ完璧な生姜焼きを見て、ふと浮かない表情を浮かべた。


「もしかして、作ってもらったの?」

「まあ、少しだけね。でも、これで安心だよ」

「……それじゃあ意味がないでしょう。祥が自分で作ったのならまだしも、小泉さんに頼むなんて……」

「でも……少しはやったんだけど」

「少しだと意味がないでしょ。まあ、今日はいいわ。でも私は、祥の料理を見てみたかったの。ちょっとショックね」


 母親の少し厳しい声が、夕食前のキッチンに静かに響いた。

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