転

 記録部には、天使も多く在籍している。


 というより、統制機構職員の大半は天使だ。


 羽が生えている以外、見た目はオレたち人間とほとんど変わらない。


 男もいれば女もいる。


 子供のような姿もあれば、老人の姿もある。


 背中の羽を隠して街へ放り込めば、まず見分けはつかないだろう。


 ただし、仕事をさせると一目瞭然だ。


 とにかく優秀。


 特に計算能力と記憶力に関しては、人間が勝負になる相手じゃない。


 数百万年前の記録を一字一句違えず暗唱したり、複数世界の歴史を同時進行で照合したり。


 オレなら三日かかる仕事を、一時間足らずで終わらせる奴までいる。


 性格は実に様々だ。


 生真面目な奴。


 陽気な奴。


 天然な奴。


 人見知りな奴。


 羽がある以外は、本当に普通の人間と変わらない。


 だが、一つだけ共通していることがある。


 基本的に、みんな善良だ。


 だからこそ、オレたち人間の足りない部分を自然と補ってくれる。


 記録部が回っているのは、間違いなく彼らのおかげだ。


 以前、お偉いさんに聞いたことがある。


「――天使って、結局何なんです?」


 返ってきた答えは、少し意外だった。


「極めてヒトに近い機械だ」


 最初は意味が分からなかった。


「……機械生命体、ってことですか?」


 そう聞き返したが、お偉いさんは笑うだけだった。


「そういう理解でも、そうでない理解でも構わない」


 結局、はぐらかされた。


 あの人が知らないのか。


 知っていて教えなかったのか。


 今となっては分からない。


 案外、統制機構でも本当のことを知る奴はいないのかもしれない。


 そんな天使たちだが、当然恋愛もする。


 交際している奴もいれば、結婚までいった奴もいる。


 しかも、相手は普通にヒトだったりする。


 以前、同僚が結婚式の招待状を持ってきた。


 お相手は天使。しかも、とんでもない美少女だった。


 顔良し。性格良し。おまけに料理まで得意らしい。


 なんなんだ、あいつ。


 まったく。


 爆発すればいいのに。


 …………。


 ふう。


 ここまで書いて、一息つく。


 端末の保存ボタンを押し、椅子にもたれ掛かった。


 これは個人的な日誌。


 記録部へ配属されたその日から、毎日書くよう命じられている仕事の一つだ。


 内容は自由。


 仕事のことでもいい。


 愚痴でもいい。


 昼飯の感想でもいい。


 とにかく毎日、自分自身の記録を残せ。


 それが記録部の決まりらしい。


 奇妙な習慣だ。


 理由を聞いても『必要だから』としか教えてもらえなかった。


 まあ、仕事なら仕方ない。


 端末を閉じる。


 タイムカードを切る。


 今日も何とか定時……とは言えない時間だが、勤務終了だ。


 部署を出ると、廊下に一人の男が立っていた。


 五十代くらいだろうか。


 少し萎れたスーツ姿。


 背中には、くたびれたように小さな羽が畳まれている。


 こちらに気付くと、片手をひらひら振った。


「おいーっす」


 ずいぶん気の抜けた挨拶だった。


 確か……。


 輪廻部部長、サトー。


 そんな名前だったはずだ。


 部署が違うせいで顔を合わせる機会はほとんどない。


 その部長が、どういうわけかオレを待っている。


 ……さて。


 何の用だろうか。


 サトー部長の後ろを歩く。


 廊下は妙に静かだった。


 部署が違うから普段通ることのない区域らしく、すれ違う職員もほとんどいない。


「最近どう?」


 不意に振り返りもせず、サトー部長が聞いてきた。


「まあ、ぼちぼちです」


「そっかぁ」


 それだけだった。


 会話が終わる。


 ……何なんだ、この人は。


 沈黙が気まずいわけでもない。


 かといって、話を広げるわけでもない。


 ふらふら歩きながら、思いついたように話しかけてくる。


「本当はさぁ」


 頭の後ろで手を組みながら、サトー部長は続ける。


「別のヤツが迎えに行く予定だったんだけどね」


「はあ」


「みんな忙しくてさぁ。暇そうな子いないかなーって探してたら」


 そこで肩をすくめた。


「だったら部長が行ってくださいよ、って」


「ああ」


「いやぁ、最近のコは当たりが強くて参っちゃうよねぇ」


 頭をぽりぽり掻きながら苦笑する。


 オレは曖昧に頷いた。


「ええと、そうですね」


 部長相手にも遠慮がない職場なんだな、くらいにしか思わない。


 歩きながら、ふと疑問が浮かぶ。


 結局、この人は何の用でオレを呼びに来たんだ。


 そう聞こうと口を開きかけた、その時だった。


「―――着いたよ」


 足が止まる。


 目の前には、一枚の扉。


 見覚えのない部屋だった。


 表札を確認しようと視線を動かすより早く、ほらほらと背中を軽く押され、中へ通される。


 室内は驚くほど広かった。


 家具らしい家具は何一つない。


 ……ただ。


 部屋の中央に、一枚だけ扉が立っていた。


 壁に取り付けられているわけでもない。


 何もない空間へ、ぽつんと。


 まるで最初から世界に存在していたかのように。


 その扉の隙間から、柔らかな光が漏れている。


 サトー部長は、その扉を見ながら笑った。


「おめでとう」


「……え?」


「今日で、めでたく定年退職だよ」


 その一言で。


 何かが、腑に落ちた。


「―――ああ」


 思わず、そんな声が漏れる。


 そうか。


 そういうことか。


 オレは。


 とっくの昔に――死んでいたんだ。


 その瞬間だった。


 忘れていた記憶が、ゆっくりと浮かび上がってくる。


 名前。


 家族。


 生まれ育った町。


 誰かの泣き顔。


 誰かの怒鳴り声。


 誰かを裏切った日。


 取り返しのつかない選択。


 最後に迎えた結末。


 断片だった記憶が、少しずつ繋がっていく。


 ……詳しいことは、まあいい。


 思い返してみれば。


 なかなかどうして。


 ろくでもない人生だった。


 オレは思わず苦笑する。


「………なるほどな」


 だからか。


 だから記録部には、自分の過去を失くした奴ばかりいた。


 だから毎日日誌を書かされていた。


 だから自分の記録だけは閲覧できなかった。


 全部、繋がる。


「つまり」


 漏れた独り言に、サトー部長が静かに耳を傾ける。


「記録部の仕事は……地獄の苦役代わりだったってことですか」


 サトー部長は、少しだけ困ったように笑った。


「そう言う人もいるし、そう言わない人もいるかな。ははは」


 否定はしなかった。


 それだけで十分だった。


 オレはもう一度、光の漏れる扉を見つめる。


 何だか、不思議と怖くはなかった。


 長かった仕事が、ようやく終わる。


 そんな気持ちの方が、ずっと強かった。

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