第7話 マルチマテリアル
猫の手も借りたい堂
ユーウェンは、ゆっくりと石盤へ手を置いた。
「…………」
何も起こらない。
「……?」
シェリアが石盤を覗き込む。
「おかしいな……」
その瞬間。
――カタッ。
石盤が、僅かに揺れた。
「ん?」
――カタ……カタカタ……。
揺れが少しずつ大きくなっていく。
「……?」
ユーウェンは、なぜか石盤から目を離せなかった。
まるで吸い込まれるように。
「…………」
――ガタガタガタッ!!
「えっ……?」
シェリアが顔を上げる。
石盤が激しく震えている。
そして、
ガタガタガタガタガタッ!!
「な、何これ!?」
本棚が揺れる。
棚に詰め込まれていた本が、次々と床へ落ちていく。
ドサッ!
バサバサッ!
「ちょっと、待って!」
建物そのものが揺れ始めた。
ミシ……ミシミシ……。
古びた柱が軋む。
天井から、ほこりがパラパラと落ちてくる。
「ユーくん!」
シェリアが叫ぶ。
「手を離して!」
しかし――。
ユーウェンは動けなかった。
石盤から目が離せない。
「…………」
何なんだ、これは。
身体の奥から、何かが溢れ出しているような感覚。
熱いわけでも、冷たいわけでもない。
ただ――。
とてつもなく大きな何かが、自分の中にある。
「ユーくん!!!」
シェリアの声が響いた。
その瞬間。
「――――っ!」
ユーウェンは我に返った。
慌てて石盤から手を離す。
――――ピタッ。
揺れが止まった。
「…………」
店内に静寂が戻る。
落ちた本。
舞い散ったほこり。
傾いた本棚。
二人とも、しばらく動かなかった。
「……今のって……」
ユーウェンが呟く。
だが、自分でも分からない。
そして気づけば、
「……はぁ……はぁ……」
息が上がっていた。
身体を動かしたわけでもないのに。
胸が大きく上下している。
シェリアが駆け寄ってくる。
「ユーくん、大丈夫!?」
「うん……たぶん」
「顔色は……悪くないね」
シェリアはユーウェンの肩や腕を確認する。
「痛いところは?」
「ない」
「気持ち悪くない?」
「大丈夫」
「本当に?」
「本当」
シェリアは少し安心したように息を吐いた。
だが、その表情には、まだ驚きが残っていた。
「ユーくん……」
「ん?」
シェリアが、じっとユーウェンを見る。
「あなた……何者なの?」
「…………」
答えられない。
自分でも分からない。
しばらくして、二人は店内の片付けを始めた。
「この本、棚に戻して……」
「こっちは?」
「そっち!」
「分かった」
落ちた本を拾い、散らばった紙を集め、舞い散ったほこりを掃く。
ようやく店内が元通りになった頃には、すっかり二人とも疲れていた。
「……ふぅ」
シェリアが椅子に腰を下ろす。
「ちょっと休もう」
「そうだな」
ユーウェンも向かいに座った。
「それで……」
シェリアが石盤を見る。
「正直に言うね」
「うん」
「あたしにも、今のが何だったのか分からない」
「……分からないの?」
「うん」
シェリアは珍しく真剣な顔をしていた。
「でも、一つだけ分かることがある」
「何?」
「ユーくん」
シェリアが指を立てる。
「あなた、魔力量が異常に多い」
「……魔力量?」
「そう」
シェリアは石盤を指差した。
「コモシンクの石盤っていうのは、簡単に言えば風船みたいなものなの」
「風船?」
「うん」
シェリアは両手を広げる。
「中に水を入れると、風船が膨らむでしょ?」
「そうだな」
「この石盤も同じ。魔力を読み取ることで膨らんでいって、その人の属性が紋章として浮かび上がる」
「なるほど」
「でも――」
シェリアの顔が曇る。
「風船には、入れられる水の量に限界がある」
「……」
「その限界を超えたら?」
「破裂する」
「そう」
シェリアは石盤を見つめた。
「さっきの震えは、それに近い」
「……石盤が耐えられなかった?」
「たぶんね」
ユーウェンは自分の手を見る。
「じゃあ……俺の魔力量が、それだけ多かったってこと?」
「そう考えるしかない」
シェリアは頭を掻いた。
「で、問題は……」
「問題?」
「どの属性が光ったの?」
「ああ」
ユーウェンは少し考える。
「……属性?」
「火? 風? 水?どの紋章が光ってたの?」
「それが……」
ユーウェンは答える。
「分からない」
「え?」
「石盤そのものが光ってた」
「…………」
シェリアが固まった。
「……へ?」
「だから、石盤全体が光ってたんだ」
「…………」
シェリアの顔から、完全に表情が消えた。
そして、
「マルチマテリアル......」
「マルチ……?」
「マルチマテリアルよ」
シェリアが呟く。
「マテリアルっていうのは、魔法を構成する上で必要になる基本元素のこと」
「基本元素……」
「通常、それぞれに対応した属性のマテリアルを持ってるの」
シェリアは指を一本立てる。
「普通の人間は、その中の一つ」
「……一つ」
次は三本。
「ごく一部の天才で三つ」
シェリアの顔が引きつる。
「四つ持っていた人物もいる」
「……誰?」
「大賢者ヘンドリック」
その名を口にした瞬間。
シェリアの声が震えた。
「かの大賢者ヘンドリックですら……四属性」
「……」
「なのに… 」
シェリアはユーウェンを見る。
「あなたは――」
言葉を失う。
「六つ……全部」
「…………」
ユーウェンは、自分の手を見る。
脳裏に、あの女神の言葉が蘇る。
――新しい人生では、魔法を使えるようにしてあげましょう。
――私の魔力も、あなたに与えます。
「…………そういうことか」
小さく呟いた。
シェリアが首を傾げる。
「何か言った?」
「いや……」
ユーウェンは自分の手を握る。
「なんでもない」
ようやく分かった。
女神が最後にくれた、あまりにも大きすぎる魔力。
「……俺」
ユーウェンは、ゆっくりと笑った。
「本当に魔法が使えるんだな」
その声には、隠しきれない喜びが滲んでいた。
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