第15話:記憶の破片
壊れたコンクリートの粉塵と、生温かい不快な匂いが風に混じって鼻腔を突く。
ピアーズ・ニヴァンスは、自身の肩にかかるクリス・レッドフィールドの異常な重みに歯を食いしばっていた。身長180センチを超える巨躯、そして装備の重圧。それ以上に彼を圧迫していたのは、クリスの全身から力が完全に抜け落ちているという事実だった。
「隊長……聞こえますか! クリス隊長!」
必死の呼びかけに対しても、クリスの口からは途切れ途切れの低い呻き声しか返ってこない。瞳は焦点を失い、うつろに薄暗い空を泳いでいる。
数十分前まで、彼らはBSAA東欧支部の精鋭「アルファチーム」として、このランシアンの街を制圧するために前進していたはずだった。それが今や、残されたのは壊れたアサルトライフルと、命からがら逃げ延びた自分たち二人だけ。マルコも、パノスも、数々の修羅場を共にしてきた仲間たちは誰一人としてついてきていない。
(あんな……あんな理不尽なことがあってたまるか)
ピアーズの胸の奥で、ドス黒い怒りと悔しさが渦を巻いた。しかし、立ち止まっている余裕は一秒たりともなかった。路地の奥からは、なおも異様な気配と不規則な足音が近づいてきている。
ピアーズはクリスの腕を自分の首に強く巻き直すと、足を半分引きずるようにして目の前の半壊した民家へと飛び込んだ。
木製の扉を背中で強く押し閉め、内側から朽ちかけたかんぬきをかけ、さらに脇にあった重い箪笥を滑り込ませて補強する。外の静寂と、扉を隔てた内部の密閉された空間。ようやく一息ついたピアーズは、その場に膝から崩れ落ちるようにしてクリスを床へ横たえさせた。
「ハァ……ハァ……ッ……!」
荒い息を吐き出しながら、ピアーズは胸ポケットから小型の懐中電灯を取り出し、クリスの顔を照らした。
クリスの額には、激しい打撲痕とともに黒ずんだ血がこびりついている。瓦礫の崩落に巻き込まれた際の物理的な衝撃、そして仲間が目前で命を落としていくのを阻止できなかったという致命的な精神的ショック。重度のトラウマと物理的ダメージが同時に脳へと襲いかかった結果、クリスの意識は深い闇へと沈み込んでいた。
「隊長……頼みます、目を開けてください……俺を、ピアーズを見てくれ!」
ピアーズはクリスの肩を強く揺さぶった。
しかし、クリスは苦しげに顔を歪めるだけで、その口から漏れ出たのは途切れ途切れの、意味をなさない言葉の断片だった。
「俺が……守る……いや……誰だ……お前は……ここは……どこだ……」
その言葉を聞いた瞬間、ピアーズの背筋に冷たいものが走った。
クリスの目には、自分を映す光がない。それどころか、自分が誰であるか、なぜここにいるのかすら理解できていないかのような、完全な恐怖と混乱の色が浮かんでいた。
長年にわたる過酷な任務での微細な脳損傷の蓄積、そして今回の悲劇による精神の決壊。英雄と呼ばれた男の記憶と自己同一性は、この過酷な戦場で木っ端みじんに打ち砕かれてしまったのだ。
「そんな……記憶が……?」
ピアーズは握りしめた拳を床の木板に叩きつけた。
部下を失い、記憶まで失った男。このまま彼を連れて逃げ延びたとして、BSAAとして、一人の人間として、クリスはどうなってしまうのか。
(いや……関係ない。俺がこの人を守る。たとえ俺のことも、自分の名前すら忘れてしまったとしても……)
外では冷たい雨が降り始め、屋根のトタンを打つ不快な音が響き始めた。遠くで聞こえるサイレンと、街を呑み込みつつある闇。
ピアーズはライフルを握り直し、暗闇の中で静かに横たわるクリスの前に座り込んだ。二人の過酷な彷徨と、失われた記憶を巡る長い戦いは、ここから始まろうとしていた。
その頃、トールオークスの地下深くにいたレオンたちもまた、自らの運命を変えるさらなる決断を迫られていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます