2048年の東京はデジタルの要塞だった。量子通信網が都市を覆い尽くし、人工知能があらゆるインフラを監視し制御していた。ナツメ・レイはその中枢を担った技術者だったが、今は地下室にこもり、遮断された過去の亡霊を追いかけている。
朝の光が窓をすり抜ける。レイの手元で古ぼけた量子端末が小さく震える。
「またトレースが切れた」
画面に表示される通信ルートが次々と途切れ、空白が広がる。地下室の空気が急に重くなった。
その瞬間、都市は沈黙した。
遠くから交通管制AIの電子音が途切れ、人々の端末が同時に「NO SIGNAL」を表示する。都市中のモニターが暗転し、すべての接続が消え去った。窓の外ではドローンが制御を失い、落ちる。
レイは端末を握りしめ、急ぎ地下室を飛び出した。
地上は混乱の最中だった。AI案内ロボットが沈黙し、歩行者はうろたえて画面を叩いている。レイは視線を上げ、街の大型スクリーンに浮かぶ「アイソレーションモード発動」の赤い文字を見つめた。
国家規模の通信遮断――ただの事故ではない。
「レイ」後ろから声がした。
振り返ると、ユラ・コウが静かな表情で立っていた。彼女は地下ネットワークの専門家であり、レイとは一定の距離を置いて共闘する仲間だった。
「やはり起きたか」ユラが呟く。「BGPルートが全滅、衛星リンクも遮断された」
「犯人は誰だ?」レイは問いかける。
ユラは微笑んだが、その目は笑っていなかった。「それを突き止めるのが私たちの仕事だろう?」
彼女はレイの隣を通り過ぎ、歩き出した。レイは一瞬ためらい、彼女の背中を見つめた後、後を追った。
地下の秘密基地はアナログAI端末が立ち並び、キャンドルの淡い光が揺れている。ここには遮断されないネットワークが存在していた。ユラが端末に触れ、静かに語り出す。
「この通信遮断、外部攻撃に見えるが実際には内部で仕掛けられたものだ。BGPを書き換え、衛星リンクを妨害するジャミングが稼働している」
画面には複雑なルート図が表示され、レイはある箇所で目を止めた。
「このコード……」レイの声が掠れる。「以前、私が設計したものだ」
ユラは表情を変えなかったが、微かな動揺が目に現れた。「つまり、君の過去がまた君を追いかけてきたわけか」
二人の間に微妙な沈黙が流れる。過去にレイが設計した防衛プロトコルが暴走し、弟を失った日の記憶がフラッシュバックする。あの事故の裏に、ユラが関与していたことをレイは密かに知っていた。
「やるしかない」レイが自分を鼓舞するように言った。「この遮断を解除できるのは、設計者の僕だけだ」
二人は暗い地下道を通り抜け、中央制御センターへと向かった。通路の照明が不安定に明滅し、無線機器はジャミングの干渉で静かなノイズを発している。
中央制御センターは静まり返り、AIが無感情に点滅するモニター群の前で沈黙していた。レイは素早く端末を接続し、コードを解析する。
「仕掛けは単純だが巧妙だ。ジャミングを逆制御すれば回復できる」
その瞬間、背後で物音がした。振り返ると武装した兵士が銃を構えて立っている。
「動くな」兵士の声は低く冷たい。「国家安全保障上の措置だ」
「君たちは騙されている」レイは強く言い返した。「これは内部からの攻撃だ、国家の敵は僕らじゃない」
兵士は動揺し、ユラが静かに口を開いた。「情報は力だ、だがそれが奪われれば?」
兵士の端末が突然ブラックアウトした。その隙にレイは最後のコードを入力する。都市の通信が徐々に復旧を始め、モニターが次々に点灯する。
しかし、レイとユラは理解していた。この一時的な再接続は解決ではない。アイソレーションモードはまだ終わっていない。
「これは序章だ」ユラが冷静に呟く。
「だが始める価値はある」レイは決意を込めて答えた。
再接続の光が地下室を満たしたが、二人の距離は微妙に離れたままだった。それでも今は、それで十分だった。