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https://kakuyomu.jp/works/16818093092370323390/episodes/16818093093044829584『もしも会場に二階堂中尉が居たら』
──どうやら、大した収穫はなさそうだ。
公爵主催の仮面舞踏会。二階堂は人混みの中で軽く欠伸を噛み殺した。
「明日も仕事だし、そろそろ退散するか。」
小声でつぶやき、出口へと歩き出す。仮面に手をかけたその瞬間、視界の端に気になる二人組が映った。
どちらも背が高い。片方は貴族風だ──男爵か子爵あたりか。どこか動きがぎこちなく、仮面の下の顔に不慣れな様子がうかがえる。普段は眼鏡をかけているのだろう。
もう一人は、やけに姿勢が正しい。そして、手にしているのは酒ではなく水。間違いない、あれは軍人。そして、おそらく……同業者。
二階堂は仮面から手を離すと、白ワインのグラスを取り上げ、さりげなく部屋の隅へと移動した。そして、例の軍人らしき男に目を向ける。
視線の運びも、所作も、ごく自然。──なかなかの手練れだ。
「グラスの中身が水。ご婦人方の視線が、マイナスいち。」
グラスを傾けながら観察を続けていると、男の視線が、ときおりチョコレートの皿にすっと吸い寄せられているのに気がついた。
「……食べればいいのに。」
誰に向けるでもないささやきが、ワインの香りにまぎれて静かに消えた。
そして数年後の海軍、情報部。
──あの夜の仮面舞踏会。
白ワイン片手に部屋の隅から眺めていた、背の高い軍人風の男。
水しか飲まず、婦人方の視線には目もくれず、時おりチョコレートの皿にちらりと視線を送っていた。
「……食べればいいのに。」
あのときはただの観察対象の一人として、軽く流していた。
だが──
「うっっわ!!あれ少佐だったぁぁぁ!!??」
数年後、報告書を読み返していた二階堂は、書類を床にぶちまけて椅子から転げ落ちた。
「惜しいことしたぁぁぁぁ!!声かけときゃよかったぁぁ!!」
二階堂はすくっと立ち上がり、制服の埃を払った。
「チョコレート作る。あのときの。あの時あの人が見てたやつ!!せめて、気持ちだけでも届けたかったッ……!」
泡立て器を手に、二階堂は真剣な表情でボウルに向き合う。
カカオの香りに混じって、なぜか猛烈な後悔と愛しさが漂っていた。