こん〇〇は、小日向葵(コヒナタアオイ)です。
新しいアニメの「アン・シャーリー」を見ています。と言っても視聴環境がない(契約してない)から録画を見せてもらっている状態なので、リアルタイム視聴というわけには行かないのですが。
平行して高畑版も見返しています。そして、「こんなのもあるでよ」と紹介された「こんにちは、アン」も見ています。
んーとですね、「アン・シャーリー」についてはまだ完結してないので突っ込んだ感想とかまだ書けないんですが、非常にダイジェスト的なお話運びで、絵は綺麗で良い分「これ初見で判るの?」と少し不安になりますね。
「こんにちは、アン」については、これはもう公式二次創作ですね?作者違うし。キャラデザそのものは高畑版に寄せていますが、アンの解釈は新作「アン・シャーリー」に近い感じかなと思いました。
これはもう、個人的には「ガンダムUC」に並ぶ二次創作だという感触で、あれはアンの前日譚としてはいささか色彩に溢れ過ぎていて、本編内で断片的に語られるからこそ味わいのあった部分を台無しにしてしまったように思いますね。悲劇てんこ盛り過ぎると、本編が平坦に感じてしまいます。モンゴメリが敢えて(かどうかは知りませんが)描かなかった過去を描くというのには、行きすぎたファン精神と商業主義を感じてしまい……ああ自分の心は汚れているなと落胆してしまうのですとほほ。
これは個人の解釈ですが、アンって決して空想好きでおしゃべり好きで明るい少女なんかじゃないんです。空想することで、他人の先手をとって喋ることで厳しい現実から身を守るという方法を経験則で学んでそうしているだけの少女なんです。だからこそ、マシュウとマリラからの愛情を感じて次第に年相応の女の子になっていくんです。
色んなものに名前を付けるのも、要は自分に対して厳しすぎる世界のうち、表立って異論を示さない物に対して命名、つまり自分の世界に巻き込むことで味方を増やしている、注がれない愛情を逆に注ぐことで満たそうという変形した代償行為に思えるので、あれはとても悲しい行為であって別に空想好きの発露じゃないと思っています。
なので、新作についてはその駆け足っぷりで、高畑版では「間」で表現していたそういう空気が伝わらない気がして、ちょっと心配もしています。
まぁ高畑版も丁寧すぎて、いささかもっさりし過ぎているきらいはありますがね。マシュウが可愛いんですよ本当に。そうさのう、の連発で会話を成立させる演技と演出は本当に素晴らしいんです。
さて、拙作「妻は艦隊司令官!」ま無事第四畳まで書き終えました。ここからどうしましょうかと考えています。キャラがどう動くかによって、多分展開が変わっていくと思いますが、あんまり新キャラ出したくない(覚えられない)ので、どうなるかまだ判りません。
数日、更新のお休みを頂いてから新章に入る、いつもの流れで行きますので、追い付くには今がチャンスですよ!とか書いてみますw
楽しく書いていますので、楽しく読んでいただけたら幸いです。
それでは!