私の母は、もう20年間一人暮らし。現在83歳。
新幹線と在来線を乗り継いで5時間の距離に住んでいる。
耳が遠くなり、家の電話を掛けても出てくれない。
以前のガラ携帯では、メールを打てたのに、スマホに替えてからは、スッと画面を触れなくて、電話に出てくれない。
もちろん、メールも打てなくなった。
ガラ携帯のままが良かったが、母の機種の充電池の製造が中止になった上に、充電できなくなって、やむなく交換した。
若い頃は、仕立て仕事をして、私達3人兄妹を育ててくれた。
直線足踏みミシンしか無い時代。
お客さんを採寸して型紙作って、裁断して仮縫いして、お客さんに試着してもらって、修正して本縫いする。
注文を受けてから、3日後には引き渡していた。凄腕の洋裁士さんだ。
昔は既製服なんか無かった。服は家族の誰かが、布を買って来て縫って着せていた時代。よそ行きのいい服だけを、布と糸とボタンを購入して、縫ってもらうのだ。
母が預かった服の材料は、布の替えも無い。糸の替えも無い。ボタンの替えも無い。
布の裁断間違いなんか出来ない。間違って縫っても糸が足りなくなる。ボタンを1個も無くせない。緊張の連続の服製作だ。
既製服が出回り始めて、需要が減ると、小料理屋を始めた。
田舎の食堂。1人で切り盛りしていた。学校が休みの日は、私は早朝の市場への買い出しから手伝わされた。
朝は朝食を売り、昼はランチを売り、夜は酒も出す居酒屋に早変わり。
帰宅は深夜になる。私は、帰宅後に帳簿付け。母は家事。父と兄と妹は就寝中。
頑張り屋の母だった。いつでも働いていた。
最近は、物忘れが多くなり、探し物ばかりしている。
「大丈夫よ。こっちは心配せんでいいよ。」が口癖。
古い着物を解いて、私にワンピースを縫ってくれる。綿の未使用シーツで夫のワイシャツを縫ってくれる。
私は、沢山の母の縫った服を持つ事となり、既製服はほぼ処分した。
「あなたが縫ってくれた服に包まれて、残りの人生を過ごすことにしたよ。」
そう言ったら、母は嬉しそうに笑った。