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いくひ誌。【1241~1250】

※日々失望ばかりしていくのに、望みは枯れることなく湧きつづける。


1241:【酔っ払いが苦手】
酒に頼る人間だけは信用しないことにしている。アルコールで事故を起こす人間は多いが、大麻を吸って交通事故を起こしたという話はめったに聞かない(大麻を吸っている人間がすくないからだ、とする反論は認めます)。飲酒も嗜好用大麻の解禁もどちらも肯定していないが、すくなくともアルコールが大麻より安全だとは微塵も思っていない。自我を保てなくなるほど酩酊してしまう人間とは関わりたくない、せめていくひしのまえでは酩酊しないでほしい、というのが本音であるが、おそらくこれも差別の一種であろう。平等な態度を心掛けよう。とはいえ、酔っていることを免罪符にして他人にちょっかいをだすやからは、殴られても文句は言えないと思う。殴らないけどね。


1242:【台所のドラゴン】
マンガ「台所のドラゴン1巻」を読みました。書店さんで目が留まり、お?と思いながらいちどは見送ったマンガなのですが、どーしても気になってもういちど書店さんに行って残ってたらお持ちかえりしよう、と決めてて、いまはウチにいます。はい。ヨッタ(メッチャ)好みでした。登場人物みんな好き。家の中を縦横無尽に徘徊するヤモリを「せんぱい」呼びして気にせず生活を送る主人公の、おやきみはあれだね、みたいな独り言がどぅっきゅーんきます。産まれたてドラゴンもかわいいし、お世話を焼いてくれる隣人の親子もいいキャラしてます。絵柄がイマ風じゃないのが物語の空気感にあっていて、全体的にくりくりしているのがかわいいです。いまのところのいくひし、ぜひおともだちになりたい主人公2018年度版NO1候補です。孤独が苦じゃない、好きなことにまっしぐら、順調ではないけど前向きにコツコツ日々を送っている、自然のなかでも楽しめる、散らかった部屋にいてもイライラしない、同居人(生き物)にやさしい、さみしさは感じていないけれど、寄り添いあえるよろこびを素直に感受できる、絵が上手、これだけの要素を兼ね備えていて、ともだちになりたくない人なんているんでしょうか。いたらいくひしのところまできてほしいです。あなたは性格が歪んでいるで賞をさしあげます。いくひしはその賞の永久名誉受賞者に任命されているので、じっさいには、あなたはいくひしのつぎに性格が歪んでいるで賞になりますが、なんにせよ世界一性格のねじまがったいくひしさんのお墨付きですからね、ええ。胸を張って受け取ってほしいと思います。感謝しろよ! はい。おやすみー。


1243:【感想の効用】
作家にとって、いただけた感想は、何も見えなくなったときの松明の明かりみたいなものだ。どん底に落ちたときにこそそのありがたみが身に染みる。


1244:【つくりかけ】
2018年4月8日げんざいで、つくりかけの小説が8~10個あります。数年前から止まっているものから、すでに閉じた中編小説のつづき、それから気まぐれにつくった短編の閉じきらなかったやつ、そして最新作が3つです。ボツにしたものは勘定に入れていません。ひとまず、これらをつくってからここの「いくひ誌。」を電子書籍化する作業を進めていこうと思っています。来年のいまごろを目途にだせたらいいなと妄想中です。たぶんそう思っているということはムリでしょう。なので、再来年にはだせるかな、と大目に見積もっておきます。つくりたいものが多すぎる。日々あたまのなかでボツになっていくアイディアがさらさらと抜け落ちていきます。可能なかぎり、短編にして生み落としてあげられるように意識していこうと思います。ということは、再来年でもムリかもしれません。すこしはムリをすることを覚えましょうね、いくひしさん。


1245:【伝えたいことなどはない】
言いたいこと、書きたいこと、伝えたいこと、物書きとして必要なのはそうした根源的な情熱だと主張する人もいる。かつてはそうだったかもしれない。現代であっても、社会から取り残されている人たち、はみ出している者たちの一部は、情熱を言葉に変換するだけで充分に物書きとして通用するだろう。しかし、いまは誰もが言いたいことはSNSにつぶやけ、書きたいことはメディア端末に記し、ラインでもブログでも、気が向いたときに好きな場所にアップできる。伝えたいことは、文字に書くことなく、口述した動画を共有サイトに投稿すればいい。いまの時代、情熱がある者ほど物書きにはならないのである。なぜかと言えば、効率がわるいからだ。合理的ではない。ならば物書きにとって、文字でナニゴトカを表現する意味はあるのか。しょうじきな話、ほとんどないような気がしている。わずかばかりに残された意味ですら、文字で書くことそのもの以外にないのではないか。文字に興すことに意味があり、文字に興したことで意味は霧散する。あとは、それを使って二次的に欲求を満たせるか、極めて即物的な選択が生じるのみである。端的に、金になるのか、である。他者からの評価にしても、つまるところその指標は、経済社会のなかでは、金に換えられるか否か、が焦点となる(自己評価はそのかぎりではない)。多くの者の目に留まることができれば、評価を受けやすく、また潜在的需要者の目にも届きやすくなる。では、物書きとして、並べた文章をどうすれば、絵や映像にひけをとらない効率のよさで多くの人々に受信してもらえるのか。できない、と結論付けるよりない。完敗である。負けを認めたうえで、では、どうするか。利用できるものを利用するか、或いは、多くの人々に拡散することは諦め、必要としている人のもとに届くようにマスをしぼるのがよいのではないか。ただし、問題は、それを必要としている者が、自身でそれが必要だと気づいていないことが往々にして有り触れている現実である。ともすれば、それが必要なのだと自覚させるための媒体になることこそが、現代の物書きの、最後に残された意味かもしれない。ややもすれば、それは洗脳との区別がつきにくい。ほとんど同じと言っていいかもしれない。だが、それでも気づかぬままでいるよりかはよいはずだ、そうにちがいないと信じたい。物書きの表現を、言葉を、受容した者が、気づけてよかったとあとになって思い返せるようなものをつむげるように、日々、あーでもない、こーでもない、と無駄な時間を費やす、ただその繰り返しがあるばかりである。目を背けるのはやめよう。本質的に現代の物書きとは、無駄な時間を費やすことなのだ。ことこれほど時間に追われ、選択肢に溢れ、いともたやすく正答を手にできる時代にあって、多くの者が埋めてきた空白を、無駄な時間として代わりに費やし、懊悩する、ただそれしきの意味があるばかりである。なればこそ、言いたいことや、書きたいこと、伝えたいことの尽きたあとでこそ、物書きの真価が問われるものなのかもしれない。人生を棒に振り、自在になった棒を、よそさまの辛みにとそっと忍ばせてやる。場所は選べないので、運よく「幸」になることを祈るほかないが、ないよりかはあったほうがよいだろう。すくなくとも「辛み」ではなくなるはずだ。そうだ、そうあってほしい。望むばかりで、益体なし。物書きとはそういう、無駄な時間に人生を費やす、モノグサである。しかし人は、考える葦である。いずれみなナニゴトカを考えている。物書きとは、すなわち人であることの宣言でしかないのだろう。私は人です、と言いたいがために物を書く者だけが、最後までそれに縋るのだ。なんとも虚しいサガである。じつに、無駄な時間といった塩梅で、清々しいくらいに、いじらしいではないか。私は、そういういじらしい者のために、日々こうして無駄に棒を振っていたい。とはいえ、いくひし、てめぇはダメだ、排除する。


1246:【自己肯定感が低くなる環境】
誰のことも責めちゃダメな世界は、回り回ってじぶんを責めるしかなくなるのだなぁ。他人を責めても責めなくても、じぶんの首は締まっていくのだ。これはもう、責める、という概念を消し去るほかに術はないのでは?(そしてそれが可能な社会になりつつある? ほんとか???)(どういうことかというと、これからの社会におかれては、問題提議される問題そのものが、一定期間放置していても即座に死活問題にならないものしか俎上に載らなくなるので、責めるという段階を介さずとも、比較的ゆるやかに変化していくことで問題を解消できるようになるのでは、という願望である。本質的に豊かな社会は、罰則がなくともあらゆる事案に対処可能なのかもしれない。豊かな社会がさきか、寛容な個々人がさきかは定かではないが)


1247:【しょうゆ】
Show youー! こにゃちゃ、いくひしです。前にこう、チャーハンつくるのヘタなんだよーってことをですね、こう、ふにゃふにゃーって並べたと思うんですよ。で、あれからやっぱり三日に一度はチャーハンみたいな生活をつづけていたらいくひし、パラパラのチャーハンをつくれるようになってきました。や、パラパラまではいかん。べちょべちょじゃないよってだけ。でもね、進歩した。やればできるよ! でもね、なんかさすがに飽きてきて、入れる具材をちょくちょく変えたりしてたんですけど、ついにね。卵そのものに飽きてきまして。じゃーちょいと卵の代わりに醤油でも入れてみっかと。実験的な志でやってみたら、まー、なんと香ばしい匂いだこと! 卵チャーハンよりもひょっとしたらいくひし、好きかもしんない。そういやいくひしさん、お餅でも、ノリを巻いてパリって焼くやつ好きだった。磯辺焼きっていうの? 忘れたけど、そういうのが好き。醤油チャーハン美味しいよっていうね、発見をしたのでね、そのよろこびをお伝えしようと思ったのだけれども、文字にしてみたら地味だな。そこまでの発見ではなかった。そっか。他人のよろこびなんてそんなもんですよね。言われたところでわかりゃーしない。あーこのひとはそんなことでよろこぶのかって、どっかで線引きされるだけだって考えはひねくれすぎですか? だめですか? 性格わるい? そうだよね。あなたみたいなひとならきっと、醤油チャーハン美味しいよってだけの話題でも、わかるーって相槌うってくれると思う。だってきみ、性格いいもんね。いくひしじゃないもんね。似てないもんね。うんうん、いいよいいよ。気ぃつかわなくたってさ。どうせチミみたいなのはともだちいっぱいいるんでしょ、恋人とかいたことあるんでしょ、ひょっとして告白とかされたことすらあるんじゃない? あるの? まじで? じょうだんでなく??? …………醤油余ってるけど飲む? あ、ごめんごめん、なんかいくひしさんの暗黒物質が噴きこぼれちゃった。まあいいけどね。うらやましくなんてないですし。べつにね、恋人の一匹や二匹いたことあるからってなんだってんだ、ともだちがいるからってなんだってんだ、いくひしさんがモテないからなんなの、本気だしたらいくひしさんすごいからな、全世界の老若男女を魅了しちゃってやまないからな、そんなことなったらたいへんだし、めんどうだから本気だしてないだけだから! べつにモテたくなんかないもんね。チヤホヤなんかされたくないし、売れっ子になんてなりたくないもん、いいもん、いいもん、おもしろいマンガいっぱいしってるし。みんながわいわいガヤガヤしてるあいだにも、いくひしたくさんマンガ読んでるもん。たーのしーってなってるからぜんぜんさみしくなんてないし、これっぱかしもうらやましくなんてないんだからな! うそじゃないよ! でも、どうしても、どうーーしてもあなたがいくひしさんと仲良くしたいってんなら、しょうがないなぁ、いっしょにマンガ読んであげてもいいよ。いい? 遠慮しとく? むしろヤダ? なにそれ。…………醤油余ってるけど飲む? いらない? そっか。ごくごくごく。ぷはぁ。コーラうめぇ! おやすみー!!!


1248:【メモ】
ニュートリノは軽すぎる。電子の百万分の一の質量しかない。ただし、ニュートリノがマヨラナ粒子だとすると、なぜそんなに軽いのかの謎が解ける。粒子と反粒子(反物質)が別々に存在するのではなく、同一の粒子であるものをマヨラナ粒子と呼ぶ。そのとき、ニュートリノに対して反ニュートリノは、極めて質量が高くなる。ニュートリノが軽いのは、この反ニュートリノが、質量を奪っているからだと考えれば筋は通る。ただし検証はなされていない。


1249:【多は異】
還元主義は限界を迎えつつある。いまは各種要素が集まることで個々に有された性質とはまた異なった性質を帯びる点に注目が集まっている。個が集まり、その群や系が異なる性質を宿す(ように振る舞う)ことを創発と呼ぶ。還元主義が終わるという意味ではなく、それを元に創発のメカニズムを解明する方向に転換しつつあるという意味である。複雑な自然現象を単純化し、単純化したものを用いて、複雑なものを再現し、理解を深める。いまはバラバラにしたピースを組みたて、パズルを再構築しはじめている時期である。たとえば、相転移、いわゆる状態変化(水蒸気、水、氷など)においても、状態が変化しているように観測できるだけであり、実態はもっと多様な変質が生じているのではないか、との見方が主流になりつつある。一例としてガラスは、分子が結晶のように規則性を帯びて並んではいない。ゆえに液体にちかいが、液体とはまた異なった性質、たとえば見かけ上は固体として振る舞っている。これは、相転移が、プラズマ、気体、液体、固体と、分類できる四つ以外にも、性質が変化する状態が存在することを示唆している。集合し、組織として振る舞う物質の種類によって、または組み合わせによっては、その集合に顕現する性質はそれもまた変質していくものなのだろう。ガラスにしても、人間には流動して映らないだけで、長時間かけて水のように振る舞っているのかもしれない(粘性の極めて高い液体である可能性は否定できない)。そういう意味では、気体と液体のあいだに明確な差異はないのだろう(そもそもを言えばそれらを構成する分子は同じだ)。これは、生命体や自然現象においても同様である。どこまでを一つの集合と見做すかによって、そこに現れる性質は変化する。フレームをどこに設定し、なにを層と見做すのか。これからは、何を視るかだけでなく、どう視るか、視点の数がますます問われるようになっていく。(もうすこし言えば、層を一単位として、ほかの層とどのように相互作用しあうかを観測する。繰り込み式の考え方が必要になっていくだろう。それを単に抽象化と呼べないのは、層を一単位にしたとき、それは具体的な事象として昇華されるためである。原子も、分子も、惑星も、銀河も、ブラックホールですら、それらは具体的な事象なのだ。変化したのは視点である。何を層と見做すのか、フレームの見極めが要となっていく)(※思いついたことを並べているだけです、真に受けないように)


1250:【チェックパーソン】
チェックパーソンという職業をご存じでしょうか。2020年代から徐々に普及しはじめ、いまでは高校生のなりたい職業NO1の座に三年連続で輝くなど、注目を集めている職種です。セクシャルハラスメントに対する意識改革は、2010年代初頭から徐々に勢いを増し、職場でのセクハラ予防策が徹底されるなど、改善の兆しをみせはじめています。とはいえ、セクハラがなくなったわけではありません。性的蔑視だと認識されることなく、平然とセクハラを働く人間はあとを絶たないのが現状です。職場では控えるのに、プライベートでは性的な質問をずかずかとしてくるなんてことは日常茶飯事でしょう。やんわりと咎めてみせても、それを以って、コミュニケーション能力がない、なんて叩かられる始末です。いっぽうでは、過剰にセクハラ認定をして、相手を不当に窮地に陥れる手法が問題になっていることも事実です。痴漢冤罪などは代表的でしょう。どこからどこまでがコミュニケーションで、どこからがセクハラになるかの境界はあいまいです。明確に線引きをするのはむつかしいのが現状です。ですが、すくなからず、それはアウトですよ、と指摘することは可能です。指摘され、認識を改め、微妙なニュアンスのちがいを確かめながら、自らのコミュニケーション能力を磨くことが、現代人には求められているのです。その需要に応えるべく誕生したのが、チェックパーソンです。職場でのセクハラ対策講師として活躍する傍らで、プライベートでの、セクハラにならない口説き方を講習するサービスでも人気を博しています。恋人ではないけれど、上手に食事に誘いたい。或いは、デートまではこぎつけたけれど、そこからさき、どこまでプライベートに踏み入っていいのか分からない。仲を深めていくにしても、段階があります。人によってそれは、階段であり、エスカレーターであり、いっぽうではエレベーターであってもOKなひともいます。あるひとにとってはセクハラで、またあるひとには単なる会話であることもすくなくありません。まずは最低限、誰であっても気持ちよく関われるような接し方を覚えておくのがよいでしょう。エレベーターではなく階段を使うように心がけるとよさそうです。とはいえ、人の歩幅は千差万別、あなたにとっての階段が、他人にとっては絶壁であることもあり得ます。そうした認識の差を埋めるために、チェックパーソンは、適切な「NO!」をあなたに伝授します。それはダメです。いまのはセクハラです。でもさっきの気遣いはステキでしたね。客観的な視点からくだす、主観的な判断基準をあなたに懇切ていねいに教えてくれます。高額プランでは、恋人になったあとでの性交渉の段取りまで指導してくれるチェックパーソンもいるそうですが、そちらはかぎりなくグレーの業者なので、あまりご利用はおすすめしておりません。ただし、顧客の多くは、経済的に裕福で、社会的地位のある人物が多い傾向にあります。そのまま顧客と恋仲となり、結婚をする、なんてケースも増えてきています。現代の玉の輿として、新たなシンデレラストーリーの舞台となっている側面が、世の恋愛至上主義者たちに高く評価されている一因であるのかもしれません。世の中からセクハラを失くすために、あなたもチェックパーソンを目指し、ひと肌脱いでみてはいかがでしょう。


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参照:いくひ誌。【561~570】https://kakuyomu.jp/users/stand_ant_complex/news/1177354054883350279

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