自叙伝(歪んだ座標軸)の中で、親戚と束の間の交流があり、再び縁を切ったくだりがあるが、今冷静になって、嫌な因縁というものはあるのだなと思う。
常識的な人であるなら、遠方から電話をかけて来て電話代がかかるだろうと心配するなら、自分の話は控え、相手の要件を聞き、手短に電話を切ろうとするだろう。。否電話代の事などどうでもいいのだけれど、私がかけた電話で散々聞かされたのは母の悪口。。あんたのお母さんは。。から始まり、金の使い方や自堕落な生活ぶりをまるで母に向かって言ってるのか?という勢いで散々話され、挙句にその母と私を重ね電話代を無駄遣いしていると私を叱責するかのように言う様をきいているうちに、この人たちは父と同じだと思った。
それは従兄妹だけではなく親子(父の兄弟)そろって同じなのだから、私の父方の血縁とは?「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い。。」人達なのだろう。。
近親姦等と言う罪を犯した父の事を「まぁ~厭らしい。」と言いながら、
その父が妻を娘に重ね憎しみを募らせたのと同じように、嫁のしでかしたことをその娘に重ね悪口を言わざる得ない思考回路は同じなのだという事を気づいていない人たち。。
それが私の血縁だと思った。。
私が自分の遺伝子まで憎み、子を持たぬ人生を選んだのはあながち間違いでは無かったのかもしれないとさえつくづく思う。。