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一難去ってまた一難

人生で1度あればいい……それが私には何度も遭った。
それは文字通り、災難のことである。

時に自然災害、時に人災、いずれの場合も私自らの原因のよるものではない。
人はそうしたとき、そうした災難を乗り越えることができるのだろうか?

もちろん、こうして文とした場合、ある程度解決していることがほとんどだろう。
それは状況を自ら整理し、そして他の人に伝える余裕のことである。

長年に渡り、仕事上において私を苦しめていた事柄が今年の6月にようやく解決した。
当然のことながら、そうならば……と、以前に何度も記載していたので小説を書くのが本来の道筋である。

だがしかし、またもや災難が振りかかった。

これまで心が何度折れたことか、これは他人に話したとしても、自ら被害者及び被災者になれなければ真に理解することはできないだろう。

人によっては励まし、応援、フォローなどをしてくれるが、それはあくまでも”自らは当事者でない”という視点と可哀想などという感情であることだろう。あるいは自らの過去の体験からの助けなのだろうか。

もちろんそれらは助けとなり、時には他人に話すことできっかけを得ることができることだろう。

だがそれも、これまで活動報告の場にて、述べてきたことはほんの一部である。直接的にも小説の執筆に関係ないことは理由として挙げられておらず、その他にも災難はたくさんありました。

このような状態で物語を描く、小説を書くということは、誰においても実質不可能であると断言することができる。


地震で家が全壊しました。
配管が凍結し、数部屋が水没しました。


これらはまだ軽い方である。
何故なら、それでもその間は小説を更新していたのである。その程度ならば、私の心は折れていない。

まあ、ウイルスでバックアップも含め、書いていた小説が消えたこともあり、物語を描けなくなったのも要因ではあるが。

ただ文を書くならば、正直誰でも書けると思うが、物語を描くというのは、心身ともに余裕が無ければ難しい。ある時から、物語が見えなくなってしまい、私は描けなくなった。


以上、小説を更新できない言い訳でした。
そのうち書くかもだけど、ここ3年……4年ほど心のほうで余裕が生まれることはなかったね。

あと――(ダッシュ)、お前だけは駄目だ(笑)
ほんと――の多用してる作品は嫌い。ちなみにどの作品ではなくて商業作品の全般のことね。ほんと嫌い。

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