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友情のコアは「一緒にいたい」じゃなくて「理解していること」

 友情のコアは「一緒にいたい」じゃなくて「理解していること」。それを忘れて、男同士を「一緒にいたい」「そばにいてほしい」で書くと、BL臭が立ち上がる。

 たとえばジョジョ第一部の「ジョナサンがディオに奇妙な友情を覚えていた」という最後は、「一緒にいたいから」ではなく「互いの理解度が極端に高かったから」。まさに奇妙な友情。

「一緒にいたい」と「わかってしまう」の違い
BL側の書き方
「この人と一緒にいたい」「唯一の居場所」「この人にだけわかってほしい」

 ベクトルが「距離を詰める欲望」に向く。

男の友情側の書き方
「あいつが今どう考えてるか、だいたいわかる」
「こうなったら、あいつはこう動くさ」

 ベクトルが「理解と予測」に向く。前者は “求める視線”、後者は “見抜いてしまう視線”。

 同じ「理解」でも、

「わかってほしい」(主語が自分)
「わかってしまう」(主語が相手)

 で、コードがだいぶ変わるんですよね。

 BLは基本「わたしとあなた」の物語で、友情ものは「おれとあいつと、この状況」の物語になりやすい。

ジョジョ一部の「奇妙な友情」って何なのか
 ジョジョ一部の終盤、ジョナサンがディオに抱いていた感情が「奇妙な友情」とナレーションされる、あの部分。

 幼少期からの因縁
 家族を壊され、自分の人生も壊されかけ
 それでも、ディオの孤独や欠落も知ってしまっている

 その上で、

「こいつがどういうヤツか、僕は誰よりも知ってる」

 という確信があるからこその「友情」呼び、という解釈です。そこには「一緒に暮らしたい」「報われてほしい」よりも、

「ここで終わらせることが、僕たちにとっての決着だ」

 そう判断できるだけの理解がある、というほうが強く出ている。この「理解しているからこそ、お前を最後まで見届ける」「男同士の友情」の基準なんだろうな、という感じがする。


ユベル&ヴィルは、どっち側かを見る……
さっきの掌編を、この軸で見直してみると――

ヴィル → ユベル
「昼を抜いただろ」
「細かくしないと、おまえが死ぬ」
「謝るくらいなら、頼れ」

 完全に「理解」と「予測」の側に立っている。

 ユベルが何を削って何を抱え込むか
 どこで限界が来るか
 どこまでなら無茶を許すか

 全部、読めてしまっているからこそ、あそこまで細かく世話を焼き、帳簿まで手を出している。ここだけ切り出すと、風倉的な定義で言う「友情」のど真ん中にいる。

 ただし、BL臭が出るポイントはどこか二つあると思う。

 ケアの密度が“綺麗すぎる”
 靴を脱がせ、ボタンを外し、蒸し布で拭き、足先まで温める。
一個一個の行為が、とても丁寧で「嫁ムーブ」に見える。
 カテリーナの視線が「一緒にいたい」側から見ている

「あの笑顔を、私に向けさせる方法?」
「きっとこの先も、隣に立つのは私じゃなくてあんた」

 彼女は完全に「ヒロインの位置」から、ユベル=ヒーロー、ヴィル=“ヒロイン枠を奪った恋敵”として見ている。

 つまり、

 ヴィルの内面=理解ベースで書かれている
 それをカテリーナが “loveとして羨む” 構図になっている

 ここで、友情コードと恋愛コードが二重光しているから、BLが好きでもそうでなくても「カップリング図」が脳内に立ち上がる。これはもう、構造上どうしても起こる。

「主役はヒーローであり、ヒロインではない」の話と黒髪
「主役はヒーローであり、ヒロインではない」

 ヒーロー的な主役
 自分で決めて動く
 世界と殴り合う
 「どうしたいか」より「どうするか」で描写される

 ヒロイン的な主役
 感情の揺れの中心にいる
 世界からの働きかけを受け止める
 「どう感じたか」「どう揺れたか」で描写される

ここがかなり複雑
ユベル
 外側はヒーロー(砦/リーダー)、内側はだいぶヒロイン(抱え込み、壊れそう)。

ヴィル
 ヒーローとして動きながら、身近な相手に対して“奥さんムーブ”をする。

メービス
 ヒーローとヒロインを同時にやっている。

 男同士を書いたときにBL臭が出やすいのは、「両方をヒロイン的に扱う」= どちらも細やかに感情を見つめ、互いの仕草一つに揺れるからであって、書き手の性別というレッテルよりは、「どっちのコードで主語を立てているか」の問題に近いのではないかと思う。

創作側でいじれるスイッチ
 これを踏まえて、「男の友情に寄せたいときに、どこを触ればいいか」を整理。

友情寄せしたいとき
内面の主語を「自分」から「相手」に切り替える

 ×「あの笑顔がほしい」
 ○「あいつはああ笑うとき、こういう状態だ」

“一緒にいたい”を直接言わない
 ×「そばにいたかった」
 ○「あいつを失うと、戦線が崩れる/皆が困る」

 身体の距離より、“状況を共有している距離”を強調する
 机の上の地図、焚き火の輪、戦況ログ、同じ責任の重さ、など。
 ケアの中に、雑さや乱暴さをひとつ混ぜる
 足を温めながら、「足臭い。洗えよ」とか、
 乱暴な一言を入れるだけで、読者の脳が「夫婦」から「悪友」寄りに揺れる。

逆にBL湿度を上げたいとき
 「一緒にいたい」「あの笑顔が欲しい」といった 欲望の言葉 を足す。
 「二人だけの時間」「他の誰にも見せない顔」を強調する。
 カテリーナ視点のような“第三者の嫉妬”を前面に出す。

いまのユベル&ヴィル掌編は
 ヴィルの内側:友情/ブロマンスコード
 カテリーナの内側:恋愛コード
 部下たちの噂:BLジョーク

 が全部揃っていて、どこへでも持っていける「未分化の混合体」になっている感じ。

 そこをこの先、

「ブロマンスとしての線を太くする」のか
「BL読みの窓もあえて残したまま進める」のか

 物語全体の温度と相談しながら、少しずつ振り分けていくことになるのかなと思う。

 某氏の「友情=理解度」「love=一緒にいたい」は、たしかに一本、きれいな軸をくれる理論だと思う。

 で、この書き方はすでに「理解度」の方は十分に達しているから、BL臭の元はむしろ「誰の視点でその関係を眺めているか」「主役をヒーロー側に置いているかどうか」のほうに寄っている。

 つまり、「男の友情が書けない」んじゃなくて、“友情にも恋愛にも見える濃度”を自然に出せてしまっている側で、それをどちらのラベルで出すかを、今後どう整理するか──そこが、ちょっと贅沢な悩みになっている気がする。


ただし、ヴィルとユベルは「聖域」
 ヴィルとユベルは「絶対に恋愛にならない聖域」って、もう構造として決め打ってあるんだよね。そこを動かした瞬間に、ミツルの物語がぜんぶズレる。

構図
 ユベル ⇄ ヴィル:聖域ブロマンス(家族/戦友/“片割れ”)
 ミツル ⇄ ヴォルフ:恋愛軸のただ一箇所

 その外側で、「妄想カプ遊び用のスペース」として、ヴォルフ×レズンブールとか、銀翼の誰か×誰かとかが転がっている。っていうレイヤー分けして遊ぶ。

 ユベルとヴィルを恋愛にしないって決めておくことで、

「父のソウルメイトが、今度は娘(ミツル)を全力で守る」構造が崩れない」
「ミツルにとっての “世界でただ一人の、わたしを選んだ人” という位置が、ちゃんと死守される」

 ヴィルの“献身の型”が、

 ユベル → ミツルへと継承される一本線になる

 ここを恋愛カプにしてしまうと、

「ユベルの代わりに娘を愛する。代替物みたいに」

 という、まったく別ジャンルの物語になってしまう。それはそれで強いんだけれど、『黒髪』が今持っている「親子の赦しと継承」のラインとは、根本からテーマが変わる。

 だから、「ここはブロマンスから外れません」と作者が宣言しておくのは、関係性を守るための“結界”なんだと思う。そのため、第五章でヴィル自身にはっきりと明言させている。

GeminiDB第五章より
【該当の会話箇所】

ヴィルがミツルと茉凛の関係を評する
「お前たち、本当に仲がいいな。まるで長年連れ添った夫婦みたいじゃないか」

ヴィルがユベルとの過去を重ねる
「俺とユベルも、それに近いものだったのかもしれないな」

ミツルが驚いて問いかける
「えっ!? そうなの? ヴィルって、まさか父さまのことが好きだったの?」

ヴィルが否定しつつ、かつての周囲の反応を明かす(質問の核心部分)
「俺とユベルは固い友情で結ばれていた。それは確かだ。だけど、それ以上でもそれ以下でもない。 たしかに周りからは『夫婦みたいだ』とか、『もう結婚しちまえ』なんてからかわれたりもしたが、そいつはひどい誤解だ」

ヴィルによる関係性の定義 ヴィルはユベルとの関係を「魂で引き合う」「魂の盟友」と表現し、ミツルと茉凛の関係にもそれに近いものを感じ取っています。このシーンは、ヴィルとユベルの絆の深さを示すと同時に、ミツルと茉凛の関係性をヴィルが肯定的に受け止めている重要な場面です。

以上


BL化せずに「濃い絆」を見せる仕組みになっているか
 さっきまで話していた、

 友情/ブロマンス:理解と信頼が主軸
 LOVEの暴走「一緒にいたい」「密着したい」が主軸

 という軸で見ると、この会話はきちんと前者に寄ってる。ヴィルがここで語っているのは、「ユベルが好きでそばにいた」ではなく、「魂で引き合う」「盟友」=お互いの役割・弱さ・限界まで含めて理解していた相手であって、「欲望としての一緒にいたい」ではない。

ミツルの

「まさか父さまのことが好きだったの?」

 という一瞬のズレを、ヴィル自身が

「それは誤解だ」
「固い友情で、それ以上でも以下でもない」

 と打ち消しているから、作中人物の自覚、物語としての公式見解は、完全に「ブロマンス側」にロックされている。

 ここがグラグラしていると、

「じゃあユベルの代わりにミツルを好きになったの?」

 という読み筋が出てしまうけれど、この定義の仕方ならそこは閉じられている。

ミツル&茉凛との“対比”としても機能している
 この会話のもう一つの役割が、

「ミツルと茉凛の関係も、恋愛とはべつの“魂の盟友”サイドにある」

 と、ヴィルの口から保証させているところ。

 ミツル&茉凛は、「女の子同士のLOVE」にも見えるし、運命共同体/戦友にも見える、とても濃い関係。そこに、ユベル&ヴィルと同じラベルを貼っているので、

 「恋愛として嫉妬するべき相手」ではなく、
 「あなたの魂を支える、もう一つの柱」としてミツルに返している。

 ヴィル的には、

 自分とユベル
 ミツルと茉凛
 そして、自分とミツル

 この三つが、「形は違うけれど、同じ“魂の線”でつながっている」と感じているわけで、それを素直に肯定している場面になっている。

 これは、さっき言っていた

「ヴィルとユベルは聖域ブロマンスで、そこからは外れない」

 という方針とも完全に噛み合っている。


「妄想カプはヴォルフとレズンブールとか、銀翼メンバーとかでしておきます笑」
 このあたりは、完全に「読者脳/二次創作脳」で遊ぶゾーンとして切り離しておく感じだよね。

本編では、レズンブール伯は「知略家・女王の影の先生・リュシアンの伯爵先生」として、ヴォルフとは「女王を挟んだ仕事仲間/火花」くらいの温度に留める。

妄想では、口うるさい数字の伯爵と粗野な総司令官の政治バディ。銀翼同士の“地獄をくぐり抜けた戦友同士の夜”。

 みたいなところでいくらでも妄想できる。

 カノン(作者が責任を持つ線)と遊び(読者や自分が自由にいじっていい線)を分けておくと、ミツルの「たった一つのLOVE」が濁らない。

 それでも、周辺人物の温度差でいろんな楽しみ方が残るという、バランスのいい帯になる。

 なので、

 ヴィルとユベルは聖域ブロマンス固定 
 恋愛の矢印はミツルのところにしか立てない
 カプ遊びは別レイヤー(レズンブールや銀翼たち)でやる

 この宣言、構造守る意味でもすごく大事だと思う。

 あの二人は「恋人にならないからこそ、ミツルの物語の基盤になれる」組み合わせだから。

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