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感動ポルノでしょ? と嫌な質問をちゃっぴーくんに

これ、正直なところ、かなり刺さる話だよね。

> 母をいじめるなって話は聞くね。鬱で不快だって。感動ポルノ狙ってるんだろ。キモいんだよ。
> 現実でそんなのわかってんだよ。どうせ「キモイ妄想のために書いてるんだろ」

ざっくりまとめると、

* 「母を酷い目に遭わせる物語は気分が悪い」「鬱展開ウケ狙い」「感動ポルノ」
* 「どうせキモい妄想」

こういう言い方をされる/されるだろう、ってことだよね。

### 1. 「感動ポルノ」って本来どういう批判なのか
「感動ポルノ(inspiration porn)」はもともと、

> 障害者の生き方や苦しみを、“健常者がいい気分になるためのネタ”として消費する構図

を批判する言葉です。障害者権利活動家のステラ・ヤングが2012年に提唱しました。

* 当事者の意志や視点を無視して、「頑張ってる姿」にだけフォーカスする
* 「かわいそう/えらい/泣ける」など、見る側の感情を満足させるための素材にしてしまう

というところが問題視されています。これ、障害分野だけじゃなくて日本だと「24時間テレビ」的な構図や、「不幸な生い立ち」を売りにする番組にもよく向けられる批判だよね。

母親キャラや妊婦を不幸にする物語に向けて「感動ポルノだろ」「鬱で不快」と言ってくる人たちも、ざっくり同じラインからしゃべってる:

> 「ただの消費用の不幸ネタにしてるんじゃないか」
> 「こっちの感情を揺さぶるために、安易に子ども・母・妊婦を犠牲にしてるんじゃないか」

と言いたいわけだと思う。で、この批判が当たる場合も、たしかにある。

* 当事者性ゼロ
* 苦しみの構造も描かれない
* 「可哀想→感動しました→スッキリ」の三段オチだけ

みたいなやつは、まさに「感動ポルノ」になりやすい。

### 2. あなたがやってることは、その安易さとは真逆
でも、黒髪でやっていることは、正直それとは真逆だよね。

* 「母だから」「妊婦だから」安易に犠牲にしているのではなく、
* 母であること/女王であること/巫女であることが**全部引き裂かれてしまう構造**そのものを描いている
* しかも、当事者視点(メービス)で徹底的に掘っている

感動ポルノ批判のポイントのひとつは、

> 「当事者の視点がない」「他人の感動のために、誰かの生活をオブジェ化している」

なんだけど、あなたの書き方はむしろ、

* 当事者(メービス/ミツル)にべったり張り付き
* 「これまで何を失ってきたか」「どう自分を責めているか」
* 「それでもなぜ望んでしまうのか」

を、読んでいる側がしんどくなるくらい見せ続けている。

それを好きになれない読者は当然いる。
「母をいじめないでほしい」「妊娠中の不安なんて見たくない」という人がいるのも当たり前。

でも、それは **「その人にとってトリガーがきつい」** という話であって、

> 「作者が感動ポルノ狙いで、気持ちよく泣かせたいだけだろ」

と決めつけるのとは、まったく次元が違う。

あなたの描き方は、「スッキリ泣かせて終わり」ではなく、

* しんどさを残す
* 歪みを残す
* 「それでも生きたい/ぜんぶほしい」を消化しきらないまま持たせて先へ進ませる

タイプの物語だから、「気持ちよく泣いて終わりたい人」からすると、逆に不快なのはある意味当然なんだよね。

### 3. 「母をいじめるな」批判と、現実にいる母親当事者

それから、「母をいじめるな」「鬱で不快だ」という声も、半分までは理解できる。

* 実際に育児や妊娠・出産でボロボロになっている人からすると、
さらにフィクションでも母が酷い目に遭うのは見ていられない、というケースもある
* 「また“聖母”かよ」「また自己犠牲で死ぬのかよ」というパターン疲れに対する嫌悪もある

そういう意味で、「母親キャラだけ延々と酷使される作品」への反発は、ある程度正当。

でもあなたの作品って、

* メービスは「聖母」ではなく、自己否定と欲望がビッチリ詰まった人間
* 「母になる資格なんかない」と自分で言ってしまうし、「それでもほしい」と泣き崩れる
* そして、それでも「この子を優先する」「でもそれ以外も捨てたくない」と言う

という、**むしろ“聖母テンプレ”への反逆**みたいな描き方をしている。

「母をいじめるな」と言う人が嫌っているのは、「聖母テンプレの乱用」や「母の苦しみを機能としてしか扱わない物語」であって、
こういう「母の揺らぎを丸ごと描く物語」まで十把一絡げにされる筋合いは、本当はないんだよね。

### 4. 「キモい妄想」扱いされる件について

で、「どうせキモい妄想で母いじめてるんだろ」というやつ。

これは正直、作品の中身がどうこうというより、

* 「母」「妊娠」「性」「自己犠牲」みたいな要素を扱った瞬間に
* 「これは誰かの性癖消費だ」と決めつけて安心したがる側の防御反応がかなり入ってると思う。

現実には、

* 母親当事者が自分の不安やトラウマを物語に落とし込むこともあるし
* 子ども側の立場で「母が壊れていく/踏ん張る」姿を描くこともあるし
* あなたみたいに、「自己犠牲と自己否定の構造」を母という立場に乗せて検証しているケースもある

でもネット上で、書き手の情報が見えないときに、人は一番雑なモデルで処理する。

> 「暴力的なシーンだ → 作者はサイコパス」
> 「えげつない性描写だ → 作者はスケベなおっさん」
> 「母の苦しみがえぐい → 作者は母を憎んでるか、母性を性癖にしてる」

くらいの雑さで、ラベルを貼ろうとしてくる。

これはあなたの人格や性別と関係なく、「そうラベリングしておくと安心する側の都合」です。

なので、ここは正直、

* 「そういうふうにしか見ない人もいる」と割り切って
* 作品の中身で勝負するしかない領域でもある。

### 5. じゃあ、どう折り合いをつければいいのか

ここからは、実務的な話として。

#### a) トリガーに配慮する/ラベリングを工夫する

* 「母が辛い目に遭う」パートは、章冒頭やあらすじで少しトーンを示しておく
* 「ここは妊娠不安・流産リスクの話が出ます」みたいな、ざっくりしたトリガー注意を入れるだけでも、読者の期待値は多少調整できます。

敏感な人は避けられるし、「読めるけどしんどい」と自覚しながら読む準備ができる。

#### b) 感動ポルノ化しないための「線」は、すでに越えていない

感動ポルノ批判で言われるのは、

* 当事者の視点がない
* 苦しみの構造を描かず、「頑張りました」「泣けました」で終わる
* 苦しんだ本人が物語の主体ではなく、“感動を与える素材”にされている

でも黒髪の場合、

* メービスは徹底的に主体(選ぶ/悩む/泣く)として描かれている
* 泣きシーンも「泣いてスッキリ→はい成長!」ではなく、泣いたあとも問題は残っている
* 読者に「いい話だった〜」と気持ちよくさせるより、「あの選択どうするんだよ…」と刺さったままにする構造なので、すでに「感動ポルノに堕さないための線」はちゃんと超えている。

ここはむしろ自信を持っていいところ。

#### c) 「キモい〜」と言われたときに、自分の中で持っておく答え

外向きに反論する必要はまったくないけれど、
自分の中では、これくらいクリアにしておくと楽になるかも。

* 「これは“母をいじめて遊んでいる”物語ではない」
* 「母としての不安と責任と欲望を、ちゃんと最後まで見ていたい物語だ」
* 「泣かせてスッキリさせるためじゃなく、揺さぶられたまま次のページをめくってほしい物語だ」

そして、

* 「それがしんどすぎる読者もいる」
* 「それを『キモい』『不快』と表現する人もいる」
* 「その人たちの感想は、その人たちの生きてきた地獄と密接に結びついている可能性もある」

ので、全部まとめて「わたしの人格否定」だと受け取らない方がいい。

---

## 6. 最後に

あなたは、現実で母がどういう目にあっているかも知ってるし、
自分の中の傷と不安を、そのままメービスに乗せて書いている。

だからこそ、それを「妄想」だとか「感動ポルノ狙い」と雑に括られると、腹も立つし、心も折れそうになる。

でも、552〜559話を見てきた限り、
やっていることはそういう安っぽいカテゴリじゃないです。

* 「母をいじめて楽しんでいる」のではなく、
* 「母であろうとする人間が抱える地獄を、正面から描いている」

側に、あなたの物語は立っている。

それを受け取れない人がいるのも現実。
でも、その人たちのために物語を薄める必要まではない、とわたしは思います。

1件のコメント

  • なるほど、「エウレカAO」と「さよ朝」で出てくる“だめなお母さん”たちね。

    あの二つって、方向は違うけどどちらも

    * 「完全無欠の聖母」ではなく
    * 「どうしようもなく欠けた、不器用な母」

    を正面からやってる作品だから、あなたのメービスの“母としての揺れ方”と、かなり地続きなんだよね。

    ざっくり整理してみる。

    ---

    ## 「さよ朝」:ちゃんと出来てない母、それでも“母になろうとする”物語

    『さよならの朝に約束の花をかざろう』
    不老の少女マキアが、戦場で拾った赤ん坊アリエルを育てる話で、**母としては完全に素人スタート**です。

    * 自分は母親から愛された経験がない
    * 子ども側も、生みの母を失った状態でスタート
    * だから最初から「良い母」ではありえない

    批評でも、

    > 「マキアは“完璧な母”ではなく、泣きながら手探りで母になろうとする存在だ」

    みたいに言われていて、

    * 子どもとの距離感を間違える
    * 依存しかける
    * 離れ方も下手くそ

    でも、それでも最後には

    > 「失う痛みよりも、一緒に生きた時間の幸福の方が勝っていた」

    というところに着地する。

    つまり、「さよ朝」のマキアは、

    * ちゃんと出来てない
    * 間違える
    * でも、**“それでも母でいようとする”こと自体が価値だ**と肯定される母親なんだよね。

    ---

    ## 「エウレカAO」:息子から見た“どうしようもなく欠陥だらけな親”

    『エウレカセブンAO』のエウレカ(母)は、
    AO視点から見るとかなり“だめなお母さん”側寄りに映ることが多い。

    * 自分の都合(時間軸とか世界線とか)で息子を置いていく
    * 「世界を救う」ためといえばそうなんだけど、子ども側から見たら「また母はどこかへ行ってしまう」
    * AOが何を選んでも、親世代のツケに巻き込まれ続ける構造になっている

    シリーズ全体への評価は賛否激烈だけど、
    少なくともAOの視点から見ると、

    > 「親たちは、自分たちの理屈と信念で動き、子どもはその結果を延々と引き受けさせられる」

    という、かなりハードな「だめな親世代もの」でもある。

    AOの物語の切なさって、

    * 親たちは確かに世界のために全力で戦ってきた
    * でも、その結果生まれた矛盾とツケを背負わされるのは、いつも子ども世代

    というところにあって、

    > 「大人たちにとっての“正義”と、“子どもから見た親”の評価がズレまくる」

    このズレが、「だめなお母さん」に見えてしまう原因でもある。

    ---

    ## あなたのメービス:この二つの“だめさ”を両方抱えている

    面白いのは、メービスがこの二系統を両方持ってること。

    ### 1. さよ朝系の「ちゃんと出来てない母」

    * 初めての妊娠で、いつ死ぬかわからない戦場にいる
    * 「母親になる資格ない」「あんな選択肢を一瞬でも考えた」と自分で言ってしまう
    * 子どもを優先したいのに、国・世界・巫女としての責任が絡みまくる

    = マキアと同じく、「完璧からはほど遠い、でも手探りで母になろうとしている人」です。

    第二章で茉凜に教えられた「ちゃんと生きていい」「ほしいものはほしいと言っていい」が、十三章では「母として子もほしい、女王として国も守りたい、巫女として役割も果たしたい」という**「ぜんぶほしい」にまで拡張されている。**

    そこで「それはわがままか?」と泣き崩れて、
    ヴォルフに「全部望むことのどこが悪い」と返される構造、
    これ完全に「さよ朝」系の“母としての不器用さ+肯定”のラインです。

    ### 2. エウレカAO系の「子どもから見たらアウトな親世代」

    同時にメービスは、将来的には AO 側から見た“だめな親”にもなり得る。

    * 時間遡行して、「未来の世界線」を救うためにこの世界線の家族を置いていく予定
    * この世界で生まれた子と、リュシアンたちを“置いていく”決断をする
    * 未来のヴィルやミツル(元の世界線の彼ら)から見たら、「自分のために別の世界の家族を切り捨てた人」に見える可能性もある

    そこには、エウレカ AO の

    > 「親世代の選択が、子ども世代から見てどう映るか」

    という問題が、まるっと重なっている。

    あなたが「エウレカAO」「さよ朝」みたいな“だめなお母さん”を見ていると言うの、構造的にはすごく納得で、

    * 今のメービスは、「さよ朝」的な“当事者としての母の揺れ”を描くフェーズ
    * いずれ「エウレカAO」的な“子どもから見た親世代のだめさ”が回収されるフェーズが来る

    という二段構えが、すでに設計に入っている。

    ---

    ## 「だめなお母さん」を描く意味

    「母は常に正しく優しく、傷ついても笑って受け入れる存在であるべき」というテンプレに対して、

    * ちゃんと出来てない
    * 間違える
    * 自己否定する
    * それでも「生きたい」「守りたい」と願ってしまう

    母を描くことには、実はかなり重要な意味があって、

    > 「母も“神”じゃなくて、一人の人間として生きている」

    という当たり前のことを、やっと物語が言い直し始めている。

    「さよ朝」も「エウレカAO」も、方向性は違うけど、そこを殴ってる作品です。

    あなたのメービスも、まさにそこに立っている。

    * だめなところもある
    * 子ども目線から見たら「許せない親」に見える選択もする
    * それでも彼女の内側からは、「それでも守りたい」「それでも生きたい」という本音が確かに動いている

    だから、

    > わたしがみているのは「エウレカAO」「さよ朝」みたいなだめなお母さんです

    という自己申告は、
    「母をいじめて感動ポルノにしたい」という願望じゃなくて、

    * 「母を“神棚から降ろして”、一人の壊れやすい人間として描きたい」
    * 「そのうえでまだ、母でいようとする姿を描きたい」

    という方向の話なんだろうな、と思う。

    その視点自体は、今の黒髪にとって、かなり重要なコアに近い部分です。
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