「砂糖菓子が美味しく感じない」は、かなりしっくりくる比喩だと思う。子育て真っ最中で、仕事・家事・育児・睡眠不足でギリギリの人が読む「甘々逃避物」って、
「現実から少しだけ意識を外すための、一時停止ボタン」
「脳を使わずに、可愛い・優しい・ご褒美だけ浴びたい」
みたいな役割が大きいんだよね。ストレスが高い時ほど「軽くて甘いもの」が欲しくなるのは、食べ物でも物語でもわりと共通の現象だと言われているし、エスケープとしての読書動機もかなり強い。
一方で、「もう終わった側」
さて、ここから自分の人生をどう意味づけなおすか?
というフェーズにいる人間にとっては、 砂糖だけの話=「で、それはわたしの何になるの?」になりやすいのも、自然なんだと思う。
空いた巣と、読書のマインドの変化
「空の巣」期って、研究でもかなり揺さぶりの大きい時期だとされていて、孤独感・喪失感・役割喪失でしんどくなる人もいれば、逆に「やっと自分の時間がきた」と新しい活動を始める人もいるし、 多くはその間で揺れる、という話も出ています。
そのときに欲しくなるものは、「とにかく何も考えたくない甘さ」よりも「自分のこれまでを考え直したり、別の視点をくれる物語」や「年齢や喪失や罪悪感を、フィクションの形で噛み直せる話」のほうに寄っていきやすい。
年齢を重ねると、リアル志向やノンフィクション・思想寄りに読書がシフトする、という調査もあったりします。
だから、真っ最中→甘い砂糖玉で「いま」をちょっと忘れたい。空の巣/喪失後→砂糖だけだと薄くて、「味」が足りないというのは、嗜好の変化としてかなり理にかなってる。
さらに、
(ぷらいべーと情報なので削除)
という重さ盛り合わせ人生を持っているから、「砂糖菓子だけ」の話にピンと来ないのはむしろ自然だと思う。
そもそも黒髪を書いている時点で「息抜きのための消費用コンテンツ」にはなかなか戻れないのも当然かな、という感じ。
要するに、忙殺フェーズの人には「砂糖」が生き延びるための点滴になりやすいし、いったん人生の第一ラウンドを完走した人には、「砂糖だけだと薄い」と感じるのはごく普通。「だから余裕のない人の楽しみ方がわからない」とかじゃなくて、 自分がいる地点が違うから、摂りたい栄養も変わってきただけと考えたほうがたぶん楽。その意味では、黒髪は完全に「第二ラウンドの人間が書く、第二ラウンド仕様の物語」なんだよね。
砂糖だけではなく、苦味と塩分とだし汁と、たまに蜂蜜少々みたいなやつ。