手を取らなかった私と、黄色い水仙の栞
1
小さい頃から、私は周りの子と少し違っていた。
背が高すぎて目立ってしまうこと、人より声がとても高いこと。
ささいな違いが、いつしか大きな壁になって、私はいつもクラスでひとりだった。
「六島(むしま)さんだよね。僕も1人なんだ。よかったら少し話を聞いてよ」
そんな私に、前の席にいた蔵本(くらもと)君は唐突に話しかけてきた。
彼は私があまり話さないタイプなのを良いことに、くだらない話を延々としてきた。
給食で出た冷凍みかんが歯に染みただとか、先生の顔がモグラに似ているだとか。
「どうしてそんなに思いつくの?」
ある日、思い切って聞いてみた。
「本を読むからさ。それは人生を豊かにする。父さんの受け売りだけど」
蔵本君は読書家だった。彼にすすめられて私も本を読むようになった。ナルニア国物語やモモ、彼が差し出す物語の中で、私は違う世界を旅するようになった。
そして、彼は時々自作の物語を持ってきた。
「ちょっとこれを読んでくれないかな。僕が書いたんだ」
その中では私が主人公にされていた。異世界に行き、宇宙人と戦い、冒険をした。めちゃくちゃだし、私は主人公って柄じゃなかったけれど、不思議と嫌ではなかった。
2
蔵本君の家にお邪魔したことがあった。
どこか寂れた一軒家で、彼以外誰も居なかった。
彼がトイレに行っている間に、こっそりと家の中を見て回った。
ある部屋の扉を開けると、本が大量に置いてあった。
モモやナルニアもそこに置いてあった。
私はその片隅に大好きな映画の原作小説を見つけて手に取った。
13歳になった魔女が別の町で暮らす話。
ページをめくってみると、中から黄色い水仙の絵が入った栞が出てきた。
「ここは、父さんの部屋だったんだ。しおりは母さんの」
蔵本君が後ろから急に声をかけてきた。
びっくりした私は、ごめんなさいと言って本を戻した。
「貸してあげるよ。父さんはいなくなったから別にいいんだ」
「それ、どういうことなの?」
「部屋の本はみんな、僕がもらった父さんの形見なんだ」
彼は、少し泣いていたと思う。
「ここの本があるから、僕の人生は豊かなんだ」
3
私は、休日になると蔵本君の家で蔵書を読ませてもらうようになった。
別に彼を可哀想と思ったからでも、彼に会いたいからでもなかった。読みたい本がたくさんあって、足が向いたからだ。
一緒に出かけるようにもなった。行った先で風景の良い場所を見つけると、彼はノートを取り出し、よく風景描写をしていた。最近小説上達のために、描写に凝っているらしかった。
秋の修学旅行、自由散策の時間に何をするのかよく話題になった。奈良の大仏を見ることになっていたのだが、蔵本君はその後で見晴らしの良い所へ行き、風景を描写してみたいと言っていた。
夏休み少し前、一緒に祭りにも行った。クラスメートに見られたけど、その時は気にならなかった。私には蔵本君という友達がいたから。
別れ際、彼はやっぱり自作の物語を渡してきた。
「返事は今度でいいから」
そう言ったけど……中身は恋愛?小説だった。
私は、困惑した。意味は解るけど、判らなかった。
翌日からクラスメートの間で噂されるようになった。
「ボッチ同士、デキてるんだって」
「女の子の方が背が高いカップルなんて、ありえないよね」
その言葉が何度も耳に残り、心に小さな棘を刺した。
一つの棘は小さくても、数が多ければ暴力となる。
なるべく気にしないことにしていたが、いつしか心に無数の傷がついていた。
私は少しづつ、彼を避けるようになった。
4
修学旅行の時に、それは起きた。
最終日の自由行動で、私は班の子に置いていかれた。
ベンチで途方に暮れていると、蔵本君がやって来た。
「僕も置いてかれた」
彼は、手を差し出してきた。
「一緒に行こうよ。県庁の屋上、絶景らしいんだ」
だけどその手を見た瞬間、心の傷がぱっくり割れた。
気がつけば、私は彼の手を払っていた。
「私に関わらないで」
思ってもいないことを口走った。私は自分を止めようとしたけど、ダメだった。
「あなたの書く物なんて、面白くない」
その時、蔵本君がした顔を、私は一生忘れないだろう。
とても、悲しそうな顔をしていた。
「ちょっと、気分が悪くて」
苦し紛れに言った私に、蔵本君は
「先生を呼んでくる」
と言って走り去った。その背中を見ながら、私は自分がとても嫌になった。
後から担任の先生が来て、隣に座ってくれた。
何か慰めの言葉をかけられていたようだが、全く覚えていない。
何故蔵本君を拒絶したのだろう。
手を取れば、きっと彼のことを好きになっていただろう。
それが嫌だった?
いいえ。それでもよかった。
彼は友達に紹介出来ないような人だった?
いいえ。私は彼以外友達なんていない。
その日以来、蔵本君は私に話しかけなくなった。
教室の隅で小さく丸まり、本を読む彼は、まるで石の下のダンゴムシのようだった。
一度意を決して彼に近づこうとしたことがあったが、彼は石ひっくり返した時のダンゴムシのようにススッと姿を消した。
5
3学期になって、彼の姿が消えた。誰に聞いても彼を覚えていなかった。存在すら幻だったように。
卒業式の日、私は蔵本君を探し出そうとしたが、彼はどこにもいなかった。
名前を呼ばれないどころか、名簿にも、アルバムにも載っていなかった。
途方に暮れながら、私は先生に彼の行方を尋ねた。
「蔵本君は、3学期に入ってすぐ引っ越したよ。彼の希望で、名前も写真も残さなかったんだ」
さよならさえ、彼は言ってくれなかった。私は言うことができなかった。
私の拒絶が彼を消してしまったようで、苦しくてたまらなかった。
どこに行ったのか先生に聞いてみたが個人情報ということで教えてもらえなかった。
私は声を失った。謝ることすらできなくなるなんて。
私は中学に入った後も孤独だった。
だが、彼から教えてもらったこと、読むことを続けた。
そして、彼がやっていたこと、書くことも始めた。
孤独は、彼と出会う前から平気だった。
うん、割と平気……
6
ある日、私はひとりで修学旅行の時行かなかった県庁の屋上へ向かった。
もしかしたら彼がいるかもしれない、そんな淡い期待を胸に。
当たり前だけど、そこに彼はいなかった。
見下ろす街はちっぽけで、そこで生きる人々がとても遠く感じられた。
今でも、曲がり角から急に彼が現れないか願う時がある。
その時はきっと、私はためらわずに手を取るだろう。
借りた本と黄色い水仙の栞は、まだ手元にある。
<了>