ぽんぽん丸ジャンキーのみなさまこんにちは。今年はきちんと春と言えるような暖かさの日が続いておりますが、いかがお過ごしでしょうか。
今回のぽんぽん丸パッチノートではジャンキーの皆様にVer.1.000、正式リリースに向けたアップデートをお伝え致します。今回は特にキャラクターについての進展となります。
初回のロードマップでお伝えしたキャラクターたちのその後の進展をここにご報告いたします。
※リンクタップだと表示されないことがあるみたいで、もし表示されなければURLコピペお試しください。ちなみにどちらも3000文字超の自分語りなので読むのすごいしんどいです。
初回 ぽんぽん丸ロードマップ
https://kakuyomu.jp/users/mukuponpon/news/16818093094167279776
前回のパッチノートはこちらです。
https://kakuyomu.jp/users/mukuponpon/news/16818622172440711859
1,満足のいくおしゃべりデブが書けました
弔辞
https://kakuyomu.jp/works/16818622174665230253
かねてより得意キャラクターを作ると表明しておりました。あだち充のあの面々のような存在が私の物語には必要だと感じるからです。「普段何しているわからない厄介おじさん」「個性つよつよメンヘラ女性」そして「おしゃべりデブ」の三種のキャラクターを私の得意にすべく努力を重ねていました。弔辞では「おしゃべりデブ」の理想像を体現できたように感じております。
彼は自らデブと名乗り周囲の人を魅了します。そして他者のコンプレックスを同じように1つの個性として扱いその圧力から解放し自由にします。加えて彼は既存の社会構造に対してユーモアを交えながら、無垢に挑発し続けます。
弔辞では彼は死んでいますが今後生きた「おしゃべりデブ」が縦横無尽に大活躍するかもしれません。お楽しみにお待ちください。
2,メンヘラ女性の造形について
私の考えるメンヘラ女性は三島由紀夫や川端康成を救う存在であることが見えてきております。
つまりシバター的表記で言えば
【聞け三島】文豪たちを救いたい、です。
日本人のアイデンティティ狂ってません?
サムライ!とかニンジャ!とか誰も見たことも体験したこともないことが文化の代表づらしてます。ネットでもテレビでも日本の伝統技術!みたいな知らないはじめましてが面白人気バラエティとして紹介されて日本人自身が「えーすごー」とか言ってます。私達は【日本人日本観光客】です。地元で暮らしながら、日本の歴史を観光し続けてます。それはつまり伝統や技術ってもう私達のものではないということです。
歴史の重みが新しい文化を押し出し続けてます。思考停止で伝統あるものがすごいってなってます。ニューカマー文化と伝統文化を別軸で語って比較にさえあがりません。民主主義でも自由資本主義でもない、戦国や江戸の軍事独裁制の時代の文化が未だに私達を脅迫してます。
私達の居場所は日本文化のどこにもありません。いや認められていないです。
私達の文化はマクドナルドです。漫画です。
藤田田がアメリカから輸入して日本人に合うように発展させる中で生まれたテリヤキバーガーこそが私達のいただきますです。
手塚治が日本的な芸術から進化させて、鳥山明が西洋美術の流れを導入して完成させた漫画はサムライよりもずっと誇るべきです。
遥か昔から続く日本の精神なんてあってないようなもの、一旦土をかぶせて埋めたくせに遺跡から発掘して必死に引き継ごうとすることにアイデンティティなんてあるんでしょうか。それよりジャンプを聖書として読みながら、マクドを食べましょう。
つまり野沢雅子が天から舞い降りて池をコーラに、かめはめ波みたいな手からテリヤキバーガーを出す奇跡を起こすべきです。そこまでしなくてもすでに超越した存在である野沢雅子はサムライとかニンジャより信仰されて良い気がしてます。
話を戻すとメンヘラ女性キャラのディティールを考えていて気付いたんです。なぜ急に地雷服を着て、ピアスやタトゥーをして、自傷行為やオーバードーズに走るのか?服も、身体改造、自己破壊もめちゃくちゃ文化的行為です。儀式っぽい。
何も考えずにスーツを身を包み会社勤めをするよりはずっと儀式です。伝統的日本ではない新しい文化的所属を求めていると解釈できるのでは?と気づきました。異質になるしかないのは、生まれた場所に何もないから。安心できる私の居場所がどこにもないから。だからどこか遠くの誰の物でもないものになるしかないのかも。私の書くべきメンヘラ女性はそんな感じです。
だってこの国の文化は三島由紀夫でさえ、川端康成だって居場所がなかったんですから。どれだけ悲しいことでしょうか。そろそろ変えないといけません。むしろなぜ偉大な文豪や、今生きる人に居場所を用意しないのでしょうか。
そのために三島由紀夫や川端康成と同じ絶望が血に通ったメンヘラ女性をすっかり習得して、彼女を通して少しづつ変えていきたいと考えています。
3,厄介おじさん
このキャラクターは以前書いた独白殺しに登場します。
独白殺し
https://kakuyomu.jp/works/16818093085925547764
厄介おじさんは前述のおしゃべりデブ、メンヘラ女性の成長した姿的存在になっていくのかなというのが今のところの感覚です。
彼は特に欠けたまま人生の終盤に到達しています。人間的な充足を持っています。あるいはその逆で多くを手にしながらまったく満足していないかのどちらからです。
これは私の直観であり、物語的にするため、なので実際はそんなことないかもですが、現代人って以下どちらかになるような気がしてます。
『何かに全ベッドして負けても勝負自体に満足する』
『賭けることをせずに安定をとり社会的に多くを持ちながら後悔する』
日本における選択の多くはこのどちらかに収束する気がします。
ほんとに直観ですが、全ベッドして勝った人はいないですし、安定をとり満足する人もいない気がするんです。少なくとも私の物語にはいない気がします。
つまりどちらの択をしても厄介おじさんの完成です。私の世界では歳を重ねるということは厄介者として完成していくことなのだと感じます。人のことにあれこれ口を出すくせに、人生の憂いを自覚しているから案外精神的に脆いところがあったり。
そして私はこの厄介おじさんがいかに愛されるか、愛すかを描くのだと思います。加齢しながら、どう正しくあるのか、または正しくいる場所を作るのか、です。
4,反復する物語
上記のキャラクターが様々な物語に繰り返し登場します。キャラクター毎にアップデートを重ねながら、物語毎に違った名前や容姿や役割を担って彼らは私の物語の世界をぽんぽん跳ねまわります。
キャラクターだけではありません。物事やシンボルも反復します。これは私の好きな大江健三郎のスタイルでもあるのですが、多少意識はしつつも書いていたら自然とやっぱりそうすべきだと思いました。
私の描くスーパーマーケットにはふいにルー語をしゃべる人がいたり、眉ペンが落ちていたり、青果コーナーにA2のオレンジの絵が張ってあったりします。
本屋には妙に仲のいい妙な会話をするカップルがいるし、河川敷では説明なく全裸のおじさんが叫んでいるかもしれません。
主人公がクレームの電話をかけると存在しない地名のコールセンターに繋がってビジネス・ミステリアス・ワードであしらわれてしまうかもしれません。
私の物語は過去の作品の腫瘍をこしらえ成長して肥大化します。ジャンキーの各位においては歪に膨れあがる物語の異物に「あっ!これはあの時の!」と新規の方にが認知できない親近感をぜひ感じてみてください。
同じキャラクター、同じ出来事、同じシンボル、同じテーマを繰り返し扱うことでより先鋭化した物語を作り上げていきたいです。
この創作指標はクドくて飽きられやすいです。しかも新規の方が????ってなって全然いいことないかも。
でもなんだかそうしないといけないように感じているんです。クドさの中に信頼を築き、はじめましての関係は????からはじめてそれでも読まなければならないなんだかよくわからない力が宿るまで書き続けなければならないんです。だって誰かと生きるってそうでしょう。読者と生きるならそうすべきです。それがぽんぽん的だと感じています。
5年後に芥川賞にチャレンジする予定だとお伝えした最初のロードマップから半年が経過しました。良いペースです。手ごたえビンビン。一般的インターネット作活成長速度からは逸脱しておりますが、もうしばらく世間にバレないように日陰をじっくり歩いていきます。
なによりこのゆるりとみなさまと交流を持てる期間を私は大切に思ってます。いつの日か芥川賞作家、果てはノーベル文学賞作家となり、太陽くらい輝く遠い存在になって、でもなんか今まで通りに普通にやってきて、その結果みなさまを私の重力や熱量で尊死させる所存です。ぽんぽん丸ジャンキーを自称する各位は、ぜひながながお付き合いお願いいたします。