私の作品を少しでもお読み頂いている方、いつもほんとうにありがとうございますm(_ _)m
ずいぶんと気味のわるい自分語りもふくめてしまいますが…、御礼となります。
11/1、執筆をはじめて、ちょうど半年をむかえました。ここまで続けられたのはコメントのやりとりをさせて頂いている皆様、お読み頂いている皆様のおかげです。いつもほんとうにありがとうございます。
さて、子どもの多くは万能感を持ち合わせているように想像します。私も違わず、なにか自身に特別な能力があったり、努力すればとりわけ優秀になれると信じて疑わないような子ども時代を経験しました。
とはいえ、能力は平々凡々、特筆すべきと言えばひときわ飽き性であることといった、秀でるための努力さえも続かない私でしたので、なにも満足にできないままふらふらとおとなになりました。
子どもの頃に親にさせてもらっていた習い事は親が納得する時期にやめ、中学生のときの部活動は数カ月で退部、いちど志したある分野への大学受験は自身でも気づかないうちにあきらめ、社会人になって転職はすでに三回。ほかにも、短期でやめたことの数々。
特別な何者になれなかったのは努力を放棄し続けた私のせいですが、そんな自身をかえりみずに、常になにかあきらめのような否定的なけだるさを抱く毎日でした。決して死を求めているわけではありませんが、生き続けることはとてもめんどうで断続的なものでした。
ですが、5/2、思い立ってものを書きはじめ、今日まで作品をつくるということを念頭におかない日はありませんでした。いつもどこかで私の作品について考え、カクヨムで出会った皆様の作品を思い起こし、私の物語の登場人物を、実存するかのようにこころのうちで語りました。この半年、目的も意味もなにもなく楽しかった。続けなければ何者にもなれないとの焦燥感もなく、気づけば続いていて、めんどうなことはひとつもありませんでした。
極端な飽き性の私がここまで続けられたのは、コメントでやりとりさせて頂いている皆様、読んでくださる皆様のおかげでした。どうしてか、顔の見える世界で嫌になってしまう色々なことが、顔の見えない執筆仲間のいる世界でなにも嫌にならなかったのです。それどころか、どんなことでも嬉しかった。どうしてなのかは、いまだに分かりません。
生きる希望とか意味とかそんな大仰なことは思っていないのですが、明日が存在してもめんどうでないのは、とても呼吸が楽な気がします。
…長々と、ヘンなことを書いてしまいました。もしここまでお読み頂いた方がいらっしゃいましたら、私のエゴにお付き合い頂き、重ねてありがとうございます。こんな自分語りをして、書き手としての品格が足りないのかもしれません。でも。
この先もどうか、
お付き合いください。