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162話の補足として

いつも国以下略をご愛顧頂きありがとうございます。

今回は人物紹介他、雑多な補足となります。

高知県での豆腐作りは一般的に長宗我部 元親が文禄の役(1593年)にて捕らえた朝鮮の人を連行して作らせたのが始まりと言われております。
それまでは平家の落人伝説の残る山間地にて、保存食として豆腐の味噌漬けが細々と作られていた程度だという話です。
豆腐自体は奈良・平安時代には日本に伝わったと言われてますが、製造法が伝わり庶民が口にできるようになったのは、江戸時代からと言われております。

もう一点、摂関家が出仕していない点に付いては、1558年に起こった永禄への改元騒動が分かり易いでしょう。
年号の改元は朝廷にとっては大きな仕事の一つです。新たな年号を即位した天皇が宣言して終わるというものではありません。広く世に知ってもらう必要があります。
この永禄への改元は当時の足利 義輝に伝わらなかったために、足利 義輝はしばらく古い年号の弘治を使用していたと言われております。
この足利 義輝に伝わらなかったというのは、朝廷が足利 義輝に改元を相談しなかったという話です。

ですが、ここで一つの疑問があります。足利 義輝の周りには近衛 稙家や久我 晴通がいました。昵懇公家衆と呼ばれる公家もいました。

こういった状況で朝廷から足利 義輝に改元の話が伝わらなかったのです。一節には三好 長慶にのみ改元の相談をしたという話ですが、どう考えてもこれだけ足利 義輝の周りに公家がいれば伝わると思うでしょう。一応朝廷からは改元の使者は出したという話です。そこで何かの行き違いがあったのだろうと言われています。

ここから考えれば、足利 義輝の周りの公家は朝廷に関わっていなかったという考えが妥当かと思われます。
なお、九条家や二条家は経済的な困窮により出仕していなかったというのが妥当かと思われます。特に当時の二条家は正装するだけの衣服が無かったと言われても納得する困窮具合だったようです。一条家に付いては、荘園管理が忙しくて出仕する余裕が無かったと考えた方が良いでしょう。本作では主人公の荘園横領によって二条家並みに困窮している設定としております。

葉室 頼房 ─ 葉室 光忠の孫。三歳で父親を亡くす。13歳の頃には禁裏小番として天皇の身の回りの世話役をするようになっていた。祖父の頃の権勢を取り戻す事は叶わなかったものの、最終的には従二位まで上り詰める。実務官僚として優秀だったと思われる。

山口 秀景 ─ 下山田村出身。家は葉室御霊神社の神職であり、葉室家や徳大寺家に仕える。本人は足利義昭に仕え、足利 義昭の追放後は織田 信長に仕える。宇治川架橋工事の実務担当として名前が残る。息子は山口 宗永。

いつも通りマニアックな補足ですが、面白かったなら嬉しいです。
ついに公家や朝廷にまで踏み込んでしまった。この作品、一体どこに向かっているのか不安になります。

後、後日サポーター限定の方で近衛家と島津家の賄賂事情を軽く書く予定です(笑)。

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