先程挙げた【なんか】に、μεράκι(めらき)さんがコメントしてくれたんですけど、考えさせられました。
こうして、作詩・詞しているのも、世の中が良くなればいいなって、自分ができる最大限の還元だと思って書いてます。
μεράκιさん、ありがとうございました。
「詩的で 哲学的で でも現代的で共感もできて、
とても考えさせられました。自分もよく考えることなので、自分なりのコメントをさせていただきます。
東洋哲学的には、この世の全ては「空(くう)」
「無」 「色即是空」。
→自分 は 無い
西洋哲学的には、物事の構造や存在、本質を論理的に定義する傾向。
→自分 は どうあるのかを追求
個人的には、
絶対的自分(自分そのもの、自分の慣習や好みとか在り方) と
相対的自分(対面、オンライン、SNS、社会の中にある時)
があると思っています。
現代は、自分以外のモノゴトが見えやすすぎて、後者を生み出しやすい。
後者があり過ぎるこの現代は、自分を見失いやすく、「無」に近づいてしまうと考えています。
だから、個人的には 前者と後者 のバランスが大事なんじゃないかなと思ってます。
どっちでもあるし、どっちもあっていい。だけど、傾倒しすぎないのが良さそう、と。
小説家の 平野啓一郎さん も「分人」というテーマで、色んな「自分」があっていいんだよー、という趣旨のエッセイを出してましたね。
と、自分で言っておいてアレですが、
本来こんなに分析しないで良い意味で
のほほん と過ごせたらいいんですよね。
良くも悪くも、自分を容易に相対視し分析できる世の中になってしまったのだと。
そんな事考えなければ、1という自分を何乗しても1で在ることができるのに、見知らぬうちに2や3を何乗もしていまい、それに飲み込まれる。
1として、0でも過剰に大きな数字でもない自分で在り続ける。
矛盾していますが、そう在るのが地味なエネルギーを使うけど、いちばん楽に自分の在り方を肯定できるのかなぁと、自分は思っています。あくまで個人の考えです。」