初めてこういうちゃんと講評を書く企画をやってみましたが、思ったよりもそこは苦になりませんでしたね。これがさらに文字数や作品数が増えてくるとまた感じ方が変わってくるのだろうか。100作以上集まる企画なら単純に十倍の時間がかかるわけで、そう考えるとちょっと恐ろしい。
またちょうどいい機会なので僕の批評という行為に対する考え方をちょっと喋っておこうかなと思います。
これ系の話でよく聞くのは「批評も表現の一つ」だという考え方ですね。これは実際そうだと僕も思います。何かを批評することは、それに対する反論を許容するということでもある。これは当たり前のことで反論を許さないのであればそれは一個人の意見という範疇を超えてしまう。そんなものはもはや批評とは呼べない。僕も自作への批評に対して反論したくなったことは何度もありますし、それでいいんだと思っています。
その上で批評するというのはどういうことなのかと考えた時、僕は批評には作者を超える力がある、という風に考えています。
昔ある劇作家の方のお話を聞いたことがあるんですが、自分の手掛けた劇への批評に対して「自分の想像を超えてきた」と言っていました。つまりよくある「作者の人そこまで考えてないよ」というのは実際に起こり得るのだということ。この言葉自体は作品に対する深読みなどを揶揄する意味合いが強いですが、それは肯定的にとらえれば、作品を受容する側の解釈は常に自由であり、そこには作者すら気づいていなかった作品の魅力に対する可能性が眠っているということでもあります。もちろんそこには誤読や曲解といった危うさも含まれているけれど、作品を批評するという行為には互いの価値を高め合うプラスの作用もあるということです。
なんか随分と説教じみた話になりましたが、ようするに僕はそういうのが好きだということです。良いものを褒め称えるのも好きだし、微妙なものに微妙だねとはっきり言うのも好きだし、角が立つので公の場ではしませんがゴミを公然とゴミだと指摘するのも好きです。クソゲー実況とかはつい見てしまう。
まあそういうわけなんで気が向いたらまた何かやるかもしれません。その時はまたよろしくお願いします。