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読書メモ㉙

今回は大容量でお届けしますのでお暇な方だけお付き合いください。


『現代を知るための文学20』狩野良規(国書刊行会)

飲み会での学生の一言「先生、文学ってなんでしょう?」から始まったという文学よもやま話である本書。

1.ウンベルト・エーコー『薔薇の名前』 2.マクシム・ゴーリキー『どん底』 3.芥川龍之介「藪の中」 4.スタニスワフ・レム『ソラリス』 5.オールダス・ハクスリー『すばらしい新世界』 6.ベルトルト・ブレヒト『ガリレイの生涯』 7.ウジェーヌ・イヨネスコ『授業』 8.フランツ・カフカ『変身』 9.アルベール・カミュ『異邦人』 10.E・M・フォースター『インドへの道』 11.魯迅「狂人日記」「阿Q正伝」他 12.城山三郎『落日燃ゆ』 13.つかこうへい『熱海殺人事件』 14.アントン・チェーホフ『かもめ』 15.ヘンリク・イプセン『ヘッダ・ガブラー』 16.テネシー・ウィリアムズ『欲望という名の電車』 17.石垣りん「表札」他 18.ヘルマン・ヘッセ『車輪の下』 19.J・D・サリンジャー『キャッチャー・イン・ザ・ライ』 20.ミラン・クンデラ『存在の耐えられない軽さ』

と、小劇場が好きでシェイクスピアを研究し映画評論もする著者らしく、戯曲を多く取り上げ、映像化された映画の解説も織り交ぜているのが特徴。20世紀という時代性を俯瞰し歴史や哲学、科学、物理学にまで視野を広げてシニカルかつユーモアな語り口で楽しく読めます。

ゴーリキー『どん底』の節では、「人間はむろん、明るい面と暗い面を併せ持っている。我々はその暗い、後ろ向きの心情とはふだん、なるべく向き合わないようにしながら生活している。」としたうえで、

「しかし、時に人間本来の――もちろん、自分の内面にも存在している――怠慢さ、浅薄さ、嫉妬心、ずる賢さ、みじめったらしさなどを突きつけられると、それはそれでカタルシスを感じて、サバサバしてくることがある。(中略)気分が落ち込んだ時には、『どん底』のような、人間のどうしようもなさを直視させられる文学を鑑賞する方が、かえって精神のビタミン剤になる。/ただし、観客に見たくない己の姿を見せてしまうためには、芸術的な加工が必要である。力のない作品で目にしたくないものを見せられれば、拒絶反応の方が強くなって当然である。」
「むしろ先進国病にあえぐ現代日本、食うに困らず、政治的な抑圧もなく、しかしフワフワとした自由の中で自らの充実した生を見いだせず、刹那的で忍耐心なく、他人とも表面をひっかくような付き合いしかできず――(中略)いや、突然の解雇あり、長い闘病生活もあるかもしれない、老齢化もさらに進むであろう日本社会。福祉制度は以前よりはるかに整っても、いつ誰の人生に「どん底」の日々が訪れるかわからない。/だから、時代と社会がどう変わっても、何があっても心が折れないように、暗い人生への予防注射はしておくべきだろう。すなわち、時に文学や演劇で、適度のばい菌の混ざった暗い作品に接しておくことは、真の意味で明るい人生を送るために必要な予防手段であろう。」(p39~41)

引用が長くなってしまいました。でもどうでしょうね、物語ですら暗いお話を避けて通る(そのくせ死別感動ものがもてはやされる)現在ですからね。

「E・M・フォースターは、彼の小説論『小説の諸相』(1927年)の中で語っている。小説でいちばん基本的な要素はストーリーだ。これがなければ小説は成り立たない。けれども、ストーリーは小説の中でいちばん下等かつ単純なものであり、ストーリーの面白さだけで読者を引きつけようとする小説はすなわち下等である、と。(中略)繰り返し読んだり見たりしたくなる作品は、案外ストーリー以外の要素に大きな魅力があるものだ。」
「我々はハリウッド映画でも日本のテレビドラマでも、格好のいい、好感度の高い、スッと同化できる主人公に慣れ過ぎている。(中略)見終わった時には気分爽快、心は晴れ晴れ、でも今の今目にしたばかりの作品のテーマはどこへやらという娯楽(エンタメ)に慣れきっている。」(p104-105)

「この小説、ザムザがどんな虫になったかは必ずしも詳しく語られない。むしろ読者の想像にまかされている。よく知られたエピソードは、出版社が『変身』の表紙に虫男の絵をつけようとしたのを、カフカがそれだけはやめてくれと拒否した話。そう、小説とは本来、活字を追いながら、想像の翼を広げて空想の世界に遊ぶメディアである。最近の我々はテレビの見過ぎで、自らあれこれ想像することを面倒臭がるようになってはいるが、しかしまだまだ活字を通した娯楽も捨てたものではないはず。」(p134)
「いったい文学は万人に受けなくてよい、ベストセラーになる必要もない。そもそも文学を欲しない人間はたくさんいる。文学は我々の第一次欲求ではない。けれども、ある作品を切実に求めている読者もいる。『変身』に人生の応援歌を聞く人がいる。それがごく一部の読者ではなく、世界中に愛読者が広がったことが、現代を象徴する現象といえるだろう。」(p148)

「つかの芝居は、前述したように、日本の戦後社会と日本人の心性(マンタリテ)を問うた。だが、そうした真摯なテーマを胸に抱きながら、その表現形式としてはグロテスクで辛辣な黒い喜劇(ブラック・コメディ)を選んだ。つかの演劇の欠点をいえば、面白すぎる。(中略)深刻な意味のあることをこき下ろすナンセンス劇が、しだいに最初から意味のないナンセンス芝居へ堕していった。/しかし、それはつかだけでなく、観客の問題も絡んでくる。つかの猛毒を読み取る伝統が日本には乏しい。菅孝行曰く、「受け止めるべき観客の自己批評力の不在」。そう、何度か言及したヨーロッパ流のブラック・コメディの、「おかしくて、やがて腹がたってくる、自分たちの時代に、社会に、そして何より自分たちの心根に」という受け止め方、見終わった時には笑った後の爽快さはなく、ズシリと重たいものが胸のうちにわだかまる、そんな自分を笑われる作品の鑑賞の仕方を知らない。中野好夫の言う、自己の真の姿を仮借なく嘲笑される諷刺文学、そのどす黒い笑いに自己欺瞞を脱する快感を味わえる精神構造がない。」(p233)

と、小説論・創作論だけでなく日本人の精神構造にも言及する、まさに現代を知るための文学論。奥深いです。


『存在の耐えられない軽さ』ミラン・クンデラ著/西永良成訳 池澤夏樹=個人編集世界文学全集Ⅰ-03(河出書房新社)

気づいちゃったんですよ。私は自分でも恋愛小説なんか書くくせに、人の恋愛小説を読むのは好きじゃないらしいことに(爆) 人のコイバナを一方的に聞いててもつまらないってことかなあ、恋愛小説ってムズカシイなあと。そこで挑戦してみました。〈20世紀恋愛小説の最高傑作〉である本書に。

まず「永遠の回帰というのは謎めいた思想だから、ニーチェはこの思想によって多くの哲学者たちを困惑させた。」という冒頭に、私は何を読んでるの??ってなります。しばらく延々と2節にわたって哲学っぽいことが語られちゃう。え、恋愛小説じゃないの? 3節目になって「私はもう何年もまえからトマーシュのことを考えている。」とお話っぽいものが始まるのですがこれ、作者によるキャラクター語りなのです。この小説、隙あらば作者が登場して哲学や心理学や思想について語り、キャラクターについても語る〈変な小説〉(狩野良規)、〈従来の文学の枠に収めにくい異形の哲学小説〉(池澤夏樹)なのです。

でも大丈夫。すぐにこの小説らしからぬ語りに慣れて、主要登場人物四人の恋愛哲学の世界に入っていけます。
ストーリー自体は、私がつまんねーと思いながら読んでる恋愛小説と変わらない。男と女が出会い大した理由もなく恋に落ち結ばれ、嫉妬したりされたり、別れたりよりを戻したり。TL風なタイトルをつけるなら〈スパダリエリート医師の溺愛 だけどカレがモテモテで困ってます〉みたいな。こう書いちゃったら陳腐だけど、でもちゃんと面白い。

プレイボーイのトマーシュは女と寝た後は必ず帰宅する。一緒に眠らない。それなのに突然彼の家にきたテレザには彼の部屋に泊まることを許してしまう。その理由を彼は旧約聖書の寓話になぞらえる。なんというインテリ。

テレザは、他の男とダンスをする彼女を見て嫉妬したとトマーシュに打ち明けられ無邪気に喜ぶ。
「「あたしがあなたに嫉妬させたって、それ本当なの?」彼女はその言葉を十回も繰りかえした、まるで自分がノーベル賞をもらったと告げられて、なかなか信じられないとでもいうように。」
「残念ながら、間もなく今度は彼女のほうが嫉妬する番になった。トマーシュにとって、彼女の嫉妬はノーベル賞ではなく、彼が死ぬ一、二年まえになってやっと逃れられた重荷だったのだ。」(p66より)
これって真理ですよねー。

巻末の解説がとても細やかなので、同じ版を手にされた場合にはぜひ解説も熟読されることをお勧めします。その中でも取り上げられてるのですが、読んでいて魅かれるのは、モチーフの使い方。そして構成です。

ストーリーの流れが断片的な本作において、それをつなげるのがモチーフです。トマーシュの「こうでなければならない!」、サビナの山高帽、愛犬カレーニンのクロワッサン、といふうに。
7部からなるこの小説、時系列が前後しています。

1部 トマーシュ視点のテレザとの出会いと結婚
2部 テレザ視点(1部の対位法)
3部 トマーシュの愛人サビナとその愛人フランツのお話(ここでトマーシュとテレザの事故死が明かされる)
4部 テレザ視点 生活の変化への詳細はなし
5部 トマーシュ視点による転落生活への詳細(4部の対位法)
6部 破局後のサビナとフランツそれぞれの行く末
7部 愛犬カレーニンを看取るトマーシュとテレザ(二人の死は語られず)

訳者の解説によると、これを「小説のテンポ」として音楽記号にあてはめられるのだそう。

1部 アレグロ(速く快活に)
2部 アレグロ・モデラート(やや速く)
3部 モデラート(中くらいの速さで)
4部 プレスト(急速に)
5部 アンダンテ(緩やかに)
6部 プレスティッシモ(きわめて急速に)
7部 アダージョ(遅い速度で)

なるほどー。というふうに、様々な小説技法に彩られた恋愛小説であり哲学小説であり歴史小説であり心理小説である本作、ぜひ読んで頭をガツンと殴られてみてください。

ちなみに上の『現代を知るための文学20』でも取り上げられていて、狩野良規氏はハリウッドの映画化作品はつまらなかった「ストーリーで読ませる作品でない小説の、そのストーリーだけなぞって映像化するとこんな退屈な物語になるんだなとため息の出る三流映画。」と。原作小説への称賛でいいのですよね、これ。


「死の棘」島尾敏雄 現代日本文學体系90(筑摩書房)

〈20世紀恋愛小説の最高傑作〉の後には日本現代文学の不朽の名作に挑戦ということで、勇気を出して手に取ったこちら。新潮文庫から出ている長編『死の棘』の第二章にあたる短編です。
すごかったです。死ぬ前に一度は読むべき、といわれているのがよくわかった。すごいの一言。

冒頭、何やらおびえた様子の主人公はおびえた様子で妻子に見送られ仕事を求めて出版社へと出かけます。どうやらおいたをして三日三晩奥さんにこってりしぼられた様子。それにしてもおびえっぷりがひどい。やらかした自分を知人たちがどんな目で見ているのかも気になってしまう。友人と会話しながらも残してきた妻が何かしでかさないかと不安でしかたない。
ぐずぐず時間を過ごしてしまったあと家に帰ると妻がいない。まさかと思って愛人宅に向かう。妻はいなかったものの、

「ここでいいです。もう帰ります。もう来ませんから」
「いいわ、わかったわ。じゃ、あたしのこと、きらいになったのね」
「きらいになったのじゃない」
「すき?」
「うん、すきだ」(p50より)

はあ? この期に及んで何やってんですかね、この男は。
そして夜、帰ってきた妻と恐怖の問答が始まります。

「なぜ、そんなおそろしいことをしたか知ってる? みんなあなたのためよ。あ、な、た、の、た、め。その女の素性をしらべて、よさそうなひとならあたしはそっと身をひこうとまで思っていました。」(p54より)

ひょえ~~怖いいい。もうやめてあげてええ。(いいぞ、もっとやれ)
愛人に何を贈ったかを細々こまごま追及するのですよ。既に知ってるくせに。あたしはもらったことないのにって。この問答がめっちゃリアルで怖いです。
でもこんなの序の口で妻はどんどん病んでいくのです。そして主人公も病んでいく。

「話がもつれてくると、私はいらいらしてきて昼間の行為を思い出し、物も言わずに立ちあがって障子に頭をつっこんだ。張替えたばかりの障子は、桟がばらばらにくずれてとび散ったが、私は満足できず、六畳に立って行って、たんすに突進した。しかし今度はどうしてか妻はとめに来ない。崖からつきおとされたように寂しくなるが、そのままやめるのも格好がつかず、喚声をあげて二度三度突っ込むと、頭の地肌がみみずばれになり、血もにじんだようだ。」(p69)

そして、とぼとぼ食卓の前に戻ると、息子に「おとうさん、きらい」と言われちゃう。アイタタタタ。
半笑いで読み始めて次第に怖くなり、しまいに涙が出そうになっちゃう。これぞ日本の夫婦のリアリズム。しかしこの短編はまだまだ入り口のはず。そのうち長編も読まねばです。

『存在の耐えられない軽さ』も「死の棘」も優れた小説であり、普遍的な男女関係を描いてはいますが、〈夫の浮気に狂う妻〉って今日からすれば旧世紀のモチーフ感は否めないですよね。〈21世紀最高の恋愛小説〉の栄冠に輝くのはどんな恋愛ストーリーなのか。これからが楽しみです。


『遠の眠りの』谷崎由衣(集英社)

貧しい農村で生まれ育った絵子は本が大好きで、親友である旅館の娘まい子に借りた本を読むのが楽しみ。子どもも貴重な労働力である農家では本を読んでいると家族にはいい顔をされない。ある夜、絵子はなぜ父親と弟だけが魚を口にできるのかと疑問を口にして父親を怒らせ家を追い出されてしまう。
昭和の始まりと同時に福井の街に出て人絹工場の女工になった絵子はやがて百貨店の少女歌劇団の〈お話係〉をすることになる。そして満州事変が起きて――。

昭和初頭の世の中で、さまざまな理不尽を目にするたびに絵子は「どう思っていいのかわからない」と述懐します。その頼りない姿は、急激に変化する社会の中でうまく対応できずにいる現在の私たちにも通じます。
女工時代の友人で活動家の朝子は絵子に言います。「生き延びましょう。わたしたちが、わたしたちのようでいられる世のなかが訪れるまで。」
この言葉は現在に問いかけてくるようです。今私たちが生きている世のなかで、私たちは自分らしく生きることができているのか。彼女たちの願いはかなっているのか。


『木島日記 乞丐相』大塚英志(角川書店)

真面目な本を読んだ後にはこれを読もうと楽しみにとっておきました。ひゃっほう。
私だって、マンガとアニメと少女小説に首まで漬かって育ったオタクなのです。エンタメが大好きなんです。うふふ。

やっぱり面白い『木島日記』。グロデスクなシーンが多かった前作に比べるとやや落ち着き、ちょっとしんみりしちゃうようなお話が集まった印象でした。
で、読み途中で気づいちゃったんですよ。男性キャラ唯一の青年である一ツ橋中尉が登場しない今作。出てくるのは汚いおっさんばっかり(こら) こんなキャラクター小説があるでしょうか!? でもちゃんとキャラクター小説なのですよねー。土玉とか安江とか前作ではちょっと気持ち悪かった奇人変人たちにも愛嬌が出てきて楽しく読めちゃう。むしろいちばん気持ち悪かったのは折口博士という(ヒドイ)


意図したチョイスではないのですが、『遠の眠りの』も『木島日記』も戦前戦中を舞台にしたお話でした。戦後75年の夏に読んでよかったかもです。

3件のコメント

  • こんにちは〜。
    冒頭の文学20、読んだことあるの5個しかない……。

    『変身』は、読んでて認知症の介護を思い出しちゃいました、私。
    それまで一家の支えであった人が、いつの間にか得体のしれない生き物になってしまう。
    コミュニケーションは上手くとれないし、不気味で嫌悪感がある。それでも家族の一員である以上無下にはできない。
    隣人に知られるのが恥ずかしくて隠してしまうし、ふと怒りが爆発して暴力をふるってしまう。
    そして彼が亡くなると、悼む気持ち以上に、何かから開放された晴れ晴しい気持ちになる。

    読めば読むほどそうとしか読めなくなりました。



    適度にバイ菌の混じった暗い作品(笑)
    その言い方が笑えます。
    この辺の予防接種、受けてない人多いでしょうね。
    私、この前『打ち上げ花火、下から見るか(略)』観たんですよ。
    普通に楽しめたんですけど、職場の若い子は誰一人面白かったという人がいなくて。
    『つまんなかったです』『何が言いたいのかわかんなかった』とか。

    多分、予防接種受けてなかったのが原因ではと勝手に分析してしまいました。



    恋愛小説は、『悲しみにこんにちは』とか好きです。
    あと、小川洋子の『ホテル・アイリス』。ヘタレドSおじさんがツボ。

    『死の棘』の引用部分、私も「いいぞもっとやれ」って思いました(笑)
    いわゆるザマァ系とはまた違いますね。イキってないのにいぢめられちゃって。こんど探してみます。
  • 『存在の〜』は映画でというか借りたビデオで見たけど原作は読んでないです。

    私のイメージは、彼の最大の理解者を自認する彼女が「あの男がついに、一人の女の子のものになっちゃったのね……」でしたなー。

    いまさら原作読んでみようかなとは思わんけど……。
  • lagerさま

    私も読んだことあるのはそれくらい。イプセンとか何で『人形の家』じゃないの?って少しはずしたチョイスだったりするもの。

    さすが。『変身』の現代的解釈はそんな感じなのです。介護とか、突然引き籠りになって病んでしまった息子とか。そう読むとぴたぴた当てはまっちゃうのがコワイ。初めは優しかった妹が冷たくなってくるとか、リアルだよね……。それで家族ではないお手伝いさんはさっさと遺体の片付けとかしちゃうの……。

    『打ち上げ花火~』金曜ロードSHOW!でやったんだ。それなら見たかったなあ。チェックが足りなかった。
    予防接種受けてない人は損をしてるってことだよねえ。楽しめないのじゃさ。

    『ホテル・アイリス』……17歳の美少女と初老の男の「SM愛」を描いた衝撃の問題作……lagerさんの趣味の良さが垣間見えますなあ(;^ω^)
    挑戦してみます。

    『死の棘』はファンが多いみたいで。怖いもの見たさなのか。これも予防接種の効果大な模様。真面目に読むものじゃないよね、笑って読まないと。私ホラーは苦手だけどこういう怖さは好きなのかも(爆)


    kobuupapaさま

    サビナですね。彼女が黒のブラパン姿で山高帽を被ったシーンが見どころらしいですねー。
    原作おもしろいですよ。ふざけたエロ小説って読み方も可能ですから( ̄▽ ̄)
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