『文芸誤報』斎藤美奈子(朝日新聞出版)
最後の文芸評論家、なんていわれちゃってる斎藤美奈子です。ここにまとめられている書評とコラムは2005年1月から2008年5月までなのでもう古いのですけど、私がまったく本を読まずにいた時期にあてはまるので良い振り返りになりました。
特に第一章「嬉し恥ずかしデビュー作」は各新人賞受賞作品が並ぶわけだから、もう色々びっくり。いちばんたまげたのは第1回「ポプラ社小説大賞」の賞金額。大賞は驚きの2000万。にせんまん!? 桁が違いますよね。にせんまんですよ。何がどーしてにせんまん。ちなみに現在募集中の第10回の大賞副賞は200万なり。そーだよねーとなぜが胸をなでおろす。だって二千万とか恐ろしいですよ、200万くらいでちょうどいいです(小市民)
こんな新人賞があったんだと「へえー」となることもしばしば。大抵は話題作は何かしらの受賞作で、それもそうか、そうでなかったら本屋に置いてもらえないですもんね。本屋大賞と他所の受賞作とで扱いが違い過ぎるって不満もあるとかないとか……いや、知りませんけど。
「角川書店の「野性時代」が主催する青春文学大賞は「作家も評論家も引っこんでろっつーの。おめーら、うぜーんだよ」というコンセプトの賞である。/選考過程を見れば一目瞭然。なんたってこの賞は、候補作を紙面に載せて読者投票をやった後、「読者選考委員、書店選考委員、編集者選考委員計6名による最終選考会を行い、受賞作を決定」するのである。ハハハ、そりゃそーでしょうとも。文学はどーせ読者と書店員と編集者のもので、批評家は必要ないのでしょーよ。」(p30より)
何かあったんでしょうかね?(汗)
そうそう、本書の冒頭にまず「文学作品を10倍楽しく読む法」がずらーっと並んでいて、その内容がふるってます。
「小説に教訓を求めるな。」「小説のテーマを考えるな。」「登場人物に共感を求めるな。」……などなど。
具体的には例えば、「◆小説に感動を求めるな。(中略)泣ける作品が優れた作品であるとは限りません。泣くだけならゼロ歳児にもできます。大人の感覚を磨きましょう。」「◆WHATよりHOWに注目せよ。(中略)題材や筋書きは平凡でも、調理の仕方が非凡な傑作はいくらでもあります。読者に「どこかで見たお話だ」と思わせる作品は、内容ではなく書き方が悪いのです。」(p2-4)
ぐさっっときますね、これ。
こんな調子の歯に衣着せぬレビューは、辛口な中にも切って捨てるだけじゃないユーモアがあるのです。
「おそらくこの小説は偏差値が高いのだ。そして偏差値が高いと思わせたら、小説はちょっと失敗だったりするのである。」
「こういう小説は細部が命なんだから、細部をきちんとさせなくちゃ。」
「選考委員を入れずに選ぶ賞って、なぜみんなリーダブルなヤングアダルト小説に流れるのだろう。」
「魅力的な小説には、往々にして意味不明な歪みが潜んでいる。これで読者を裏切る覚悟ができたら鬼に金棒のはずである。」
「児童文学の世界も大変である。学校と家庭を行き来するだけでは、もう物語がもたない時代なのだろう。」
「チャームポイントとして、ところどころ(笑)を足すといい作品になると思う。ふざけているわけではない。批評性が必要ということである。」
そして末尾では2008年時点での俯瞰図が述べられてます。
「「ゼロ年代」「ロストジェネレーション(ロスジェネ)」などと称される団塊ジュニア以降の若い作家が文学の世界にも参入し、世代交替は相当進んだ。と同時に書かれる小説の質も変わってきた。一言でいうと、新世代の文学は「持たざる者の文学」である。WHATの面からいえば、描かれるのはフリーターをはじめとする明日の見えない若者たち。HOWの面からいえば、しゃべり言葉に近いアナーキーな日本語の氾濫。/理由はまあ、いろいろ考えられよう。/(1)20世紀末までは辛うじて残っていた教養主義が完全に解体したこと。/(2)市場原理主義、新自由主義の浸透によって生活環境が厳しさを増したこと。/(3)ネットやケータイの普及でコミュニケーションの質が根底から変わったこと。/「感動で涙が止まりませんでした」式の作品ばかりがもてはやされるようになったのも、児童文学と区別がつかないような作品が増えたのも、ケータイ小説なぞという新手のジャンルが登場したのも、右と無縁ではないだろう。水は低きへ流れるのである。(中略)だが、感動ブームが去った後には別の流れも見えてきた。「持たざる者の文学」は新しい言語感覚と身体感覚をともなった言葉表現を文学の世界にもたらしたし、さらにいえば、文芸書の読者は全体としてパイを増やしているのではないかと思える事例も出てきた。」(p367-368)
この事例っていうのは、文庫のカバーがマンガになったら『人間失格』が売れたり、プレカリアートの急増と同時に『蟹工船』がベストセラーになったりって現象のことみたいなのですが、私はこれで読者が増えたとするのには懐疑的。だって、年間ベストセラーと、読んで良かった本の年間ランキングが違っているように、売れた=読まれたではないですからね。
でも、それから10年を経て、青空文庫へのアクセス数増加や読書アプリの登場で、売れてはいなくても読者が増えていると良いのですけどね。相対的に。
『文学賞の光と影』小谷野敦(青土社)
前回紹介した『芥川賞の偏差値』から少し遡る2012年の刊行。芥川賞関連の記事は被る内容が多いのだけど、こちらは主要出版社及び文学賞、公募新人賞の成り立ちから位置づけ、選考委員の顔ぶれ、受賞者の経歴やエピソード、国内だけではなくノーベル文学賞を始め海外の有名文学賞の紹介もしてくれてるので固有名詞で頭がパンパンに(悲鳴)! でも面白かったです。
無知な私は「野間文芸賞」の野間って誰?と思ってたのですが、講談社の経営者一族だそうで。へえー。野間文芸新人賞は芥川賞をとれなかった作家の救済賞だったそうで、今では純文学の最高峰、うまいなー野間さん。一方で、どうにも文学賞を成功させられないのは新潮社なんですって。ですが2000年以降「新潮新人賞」から野間新人賞、芥川賞、三島賞をとる作家が続いて、これは『新潮』編集長の何某さんという方が根回しが上手いからとか。へえー。でも上の『文芸誤報』によると2006年くらいには芥川・直木賞ともに文春がきていたっぽい(笑) そういう玄人っぽい目で見て賞の発表を楽しむのも読書家っぽくていいかもしれません!?
いずれにしろ著者曰く「芥川賞の九九年体制」以降、芥川賞候補は五大文芸雑誌(たまに『早稲田文学』)から選ばれるし、直木賞も大手出版社からの刊行でないと候補にならないそうなので、欲しいならばそれを知っていないとですよー。
ところで本書でいちばん面白かったのは「怨念の書」と銘打たれたあとがきです。
賞になんか興味がなかった著者は、三十を過ぎて周囲の人たちが××学芸賞などを貰ったりするようになると、自分も賞が欲しいと思うようになった。もう喉から手が出るほど賞が欲しくてしょうがない。(ダジャレですよ、ここ)
「そんな時、たまさか、本書を執筆することになった。かなりの分量、文学賞をめぐる人々のやっさもっさについて書いていくうち、私の中から、つきものが落ちたように、「賞などどうでもいいではないか」という、悟りのようなものが産まれたのである。/しかしその悟りは、ほぼ十六日くらいしか続かなかった。(中略)いや、賞というのが、人脈で貰うものであることくらい、心得ている。本当は××賞も、選考委員の悪口は貰ってから言うものであることも分かっている。」(p283-284より)
で、この数年後に「みんな死ね。」なのですねー。しかし十六日って日数が具体的で笑いました。
で、こういう、賞が欲しくなる心理についてがこちら。
「もっとも、書いた本が次々とベストセラーになるようなら、賞をそれほど欲しがったかどうかは分からない。結局人は、売れない代償のように、賞を欲しがるのかもしれない。」(p281)
アイタタタッですよ。だって、次元は全然違うけど分かるじゃないですか。ネットで読まれないから、よーし、だったら公募に挑戦だ!ってなるんですよ。webで人気になってたら………………どうなんでしょうね。それが最終的に自分にとって良いことなのか悪いことなのか。どちらとも言えないかもしれないです。
『文学賞の光と影』は全部に目を通すのは退屈かもですが、見かけた際にはあとがきだけでも読んでみてください。