おっぱいのヤツが終わりました。
https://kakuyomu.jp/my/works/16817330648048198609前作
https://kakuyomu.jp/my/works/1177354054921360897色々と釈明しないと色々と誤解があると思うので、この場できちんと供述しておきます。
これは「戦闘表現も人物表現も、ぜーんぶおっぱいの揺れる様子で表現したらあ!」という悪ふざけであり、
もし万が一コミカライズだのアニメだのになったら
・作画はほぼおっぱいだけ!コスパ最高!
・作り手はおっぱいだけ描けて幸せ!
・視聴者もおっぱいだけ観れて幸せ!
という空前絶後のおっぱい作品としてフェミっぽい方々から集中攻撃を受け、社会問題に……という話は良いですねもう。
とにかく、俺は別におっぱいがそこまで好きな訳ではないです。いや好きですけど。
ただ、仮に自分が無類のおっぱい偏愛家だったら、きっとこういうロジックと倫理で好きになるんだろうなってシミュレートをしてみたというか。だからこそ本当は必要な情景や心理描写も敢えてばっさり削いだみたいな……。だめですね、やっぱ言い訳だ。
色んな女の子たちと出逢い、延々と色んなおっぱい描写を探求する作品にもできたんですけどね。あのオチがあるのにそれをするのは本末転倒です。主人公は度の過ぎた煉獄に堕ちたって話だし。
もし彼がおっぱいが好きじゃなかったら、全ての人物が訳のわからないグチャグチャのものに映ったまま、永遠に彷徨ってたかもしれません。
こんな話をするとどうしても長文になるのが自分の悪癖で。
極力短くまとめると「100万文字もかけて書いた前の作品の『愛がなければ生きられない』という結論に対する『とは言え、愛だけではどうしようもねえよ』みたいなアンチテーゼ」的な感じです。
何かを愛してのめり込むのはいいけど、その結果、現実を生きる自分が振り回されて、眼が曇るのは危ういですよねーという有り触れた話でもあります。
それが、たまたま主人公にとってはおっぱいというオブジェクトであっただけで、こんな風に生きてる人って結構居ると思うんですよね。そうでもない?
前作のテーマは「何かを好きでいることは何らかの奇跡を起こせる」という創作に対する希望でした。
今作は「そればかりに固執して周りが観えなくなるのって恥ずかしくてダッセぇな」というアンサーです。
そういう失敗をおっぱいでいっぱい表現してみました、という寓話でした。
では、皆さんお乳よう。