その日はすごく晴れていて、雲一つなかった。そして、人がまったくいない静かで青いその海にはカモメがたわむれ、ハマヒルガオが咲き乱れていた。
すると、そこに一台の大きな車が停まり中から勢いよく一人の6歳くらいの少女が降りてきた。
「まあ!なんて海ってきれいなのかしら!」
と少女はコバルトブルーの海を見ながら叫び、ボクに「早くおいでよ」という風に手招きした。
ボクは妹のその行動を見て「大袈裟だな」と思いつつも共感した。なぜなら海は本当にキレイだったからだ。
「本当だね。ボク、始めて海を見たけど想像していたよりキレイだ』
ボクは感心しながら言った。
すると、妹が「ねえ!お兄ちゃん、早速だけど、もう泳がない?私、早く泳ぎたくて仕方がないの」と言った。
「いきなりかよ」とボクは、心の中でツッコミを入れた。まったくボクの妹は何で、こんなに落ち着きがないのだろうか?ボクは妹に「犬でも待てと言ったら待つよ」と言おうとした。だが、ボクがそう言おうと口を開けた瞬間に、車から荷物を持って降りてきたパパにこう言われた。
「おーい、千紗と研!テントを張る作業と、食事の準備を手伝ってくれないか?』
ボクと妹の千紗は、迷わず元気に、「はーい!分かったよ、パパ』と言った。
ボクは妹と一緒にテントを張るのを手伝った。テントの張り方は難しかったが、パパとママが丁寧に教えてくれたので、なんとか出来た。テントを張るのを手伝い終えた僕達は
食器をそろえ、炊事の仕度も手伝った。
「おーい!研と千紗早くおいでーごはんが
できたよー!」
「やっと、できたか」とボクは思った。かなり時間があったのでボクと千紗は、体がふやける程泳いだ。だが、ふやける程泳いだにもかかわらず、ボクと千紗は泳ぎ足らない程だった。海水浴どころか、海という物がボクらにとっては初体験だったのだ。
「おいしいなー」
ボクは、カレーを口いっぱいに頬張りながら言った。
「そんなに美味しいか?」とパパが言う。
「うん。学校の給食より美味しいよ』
「そうか。ところで、研は今年で9歳だったよね?」とパパが聞いてきた。
「うん。そうだけど」
そういや、ボクはもう小学校3年なのだ。
「9歳か、なつかしいな。パパが9歳くらいの時は、よくこの海で遊んだんだ。ね? ママ?」
「そうね。よく電車を乗り継いで、この海まできたわ。あの頃はこの海ももっときれいだった」
「そうだったね。とにかく、今みたいに静かで、人気が無いなんて事は一切無かった。そういや稀にイルカが遠くの方を、泳いでいた事があったわ。けっこう大きかったわよね?」ママが懐かしそうに言った。
『そうだったかもしれない。ところで、イルカに乗った少年っていう歌がずっと昔に流行したそうだね?』
「あー、知ってるわ!その歌。歌っていた人は城みちるという人だったかしら?研?」
「ボクは知らないよママ。イルカに乗った少年なんて歌」
ボクに聞いてどうするんだ。そもそも、イルカさえも、ちゃんと見たことがないというのに・・・・・でも、本当にイルカがこの海にいた、あるいは、いるのなら見てみたいな・・・・・・と考えていたら、千紗もそう思っていたのだろう。いきなり、こんな事を言いだした。
「パパ! ママ! 私、イルカに乗った少年を見てみたい!』
「パパ、ママ!ボクもイルカに乗った少年を見たい」
気付いたらボクも、つられてそう言っていた。
「パパが子供の頃は、夜に泳いでいたらしいけど・・・・・・もう何十年も前の話だし・・・・・・それに・・・・・・」と少し困った顔で言った。
「とりあえず、今日はもう遅いし疲れたから、もうちょっとしたら寝ましょうよ」とママが言った。とりあえず、ボクと千紗は少し海で泳ぎ寝ることにした。
◆◆◆
「がばっ」せっかく気持ち良く寝ていたのに、暑さのせいで起きてしまった。
「はあー、暑いなー」そう思いながら、なんとなく隣で寝ているはずの千紗に目を向けた。だがその瞬間、ボクは目を疑った。なぜなら、隣で寝ているはずの千紗がそこにいなかったからだ。
ボクは千紗が、行きそうな場所を考えた。
彼女が、行きそうな場所・・・・そうか!あそこしかないじゃないか!たぶん、夜の海に行ったんだ。千紗の奴、一人でイルカを見に行ったのかもしれないぞ!
ボクは走った。なぜなら、ボクもイルカに乗った少年が見たいからだ。純粋で正当な理由だ。ただ、千紗が一人でイルカを見に行った事には、不満が少しあった、その不満というのは“一人で行くのならボクも誘ってくれたらいいのに”という不満だった。
ボクは、とりあえず砂浜周辺を探した。だが、なぜか千紗はいなかった。疲れてしまったボクは、とりあえず大きな岩影で休むことにした。
そして、何分かしてなんとなく海辺を見てみた。すると、なんと千紗が海の中、それも足がちょうど届く所にいたのだ。そして、なぜか彼女はしきりに手を振っていた。楽しそうというよりは狂喜的という感じだろうか。
ボクは、彼女が手をボクに振っていると思ったので、手を振り返そうと思った。だが、あることにボクは気付いた。千紗はボクに背を向けていた。つまり、海に向かって手を振っていたのだ。
「えっ?」
ボクは、よく分からなかったけど目を凝らして沖の方をよく見てみた。すると、ぼんやりと、なにかが見えた。
そして、そのなにかが、こっちにどんどん近づいてきている事に気付いた。なぜか、得体の知れない不気味な物の様に感じた。だが、それと同時に、あれが得体の知れない不気味な物なんかじゃないとも思った。
いや,それどころか、そのなにかが、ぐんぐんと近づいて来るにつれ、「不気味」なんて、思った事が嘘のように感じた。
気付いたら、その何かは、もう浜辺から20mくらいしか離れてなかった。ボクは、その何かを改めて見てびっくりした。なぜなら、いつからいたかは分からないが、それに人が乗っていたからだ。
ボクはその時、確信した。
「そうか、分かったぞ! あれが、パパとママが言っていたイルカに乗った少年なんだ!」
気付いたら、さっきまで数十メートルくらい離れていたイルカは、もう浜辺の傍まで近づいていた。
そしておもむろに、イルカに乗った少年(といっても、なぜか彼は変わった緑色の服と、変な帽子を被っていた。彼は大人のようにも見えた)は、イルカから降りて、千紗と何かを少し話したかと思うと、彼女と一緒にイルカに乗った。(どちらかというと、乗せたという感じだろうか? イルカの鳴き声がやけに大きかったので聞こえなかったが、千紗は何かを叫んでいた気がする)そして先程とは比較にならない程のスピードで、水平線の向こうへと消えていった。
ボクは、その鳴き声がやたらと五月蝿く、なぜだか無機質な感じのイルカを見ながら思った。
「ボク、イルカに乗りたかったな。千紗だけずるいや」
次の日、パパとママがなぜか狂ったように千紗を探し回っていた。
ボクが、なぜそんなに狼狽しているか聞いたら、パパとママは泣きながら「あの子がいないの、あの子がいないの・・・・・・」と、やはり狂ったように何度も同じことを繰り返すだけだった。
一応、ボクは昨日のことを有りのまま話した。
「千紗は、大きなイルカに乗って大人みたいな少年と、海の向こうへ行ったんだ! ボクも行きたかったなー」
そうボクが言った途端に、パパとママの顔が一瞬にして蒼ざめた。
彼等は、この辺りの海に幾度か人身売買が目的の密入国者の船が出た、という噂を思い出したからだった。
ボクには、パパとママの言うことは理解が出来なかった。だが、なぜか千紗は、あの日以来もう二度と帰ってこなかった。