男は、布団の上で目を覚した。夜の天井は川からの光が反射してゆらゆらと揺れている。
「ゲホッ、ゲホッ」
咳が止まらない。体調を崩してしまったのだと分かった。枕元に置いたペットボトルから水を飲む。体を起こすのも凄く辛い。でも、誰もここにはいないのだ。ペットボトルを手に立ち上がり、台所の冷蔵庫へ向かう。熱もあるのか、体が大きく左右に揺れた。
「ダメだ。何もない。…薬もないし、熱冷ましシートくらい買っておけば良かった。」
開けた冷蔵庫には、調味料以外の何も残っていなかった。体を手で支えながら、蛇口を捻り、流れ出した水をペットボトルに補充して、また布団に向かう。外から流れ込む光は妙に幻想的で心が融かされていく。
「ゲホッ、ゲホッ」
目を瞑る。そうすると意識がまた底の方へゆっくりと落ちていった。
夢だ。すぐに分かった。子供の頃、ゲーム機を買ってと親にねだった時の記憶だ。周りの子がみんな持ってるのに、俺だけ持ってなくて、どうしても欲しくて。でも、手に入らなかったあのゲーム機。妹には買ってあげたあのゲーム機。
(お兄ちゃんでしょ、我慢しなさい)
(お兄ちゃんこれ頂戴!)
(アイス、イチゴがいいの!!)
(お兄ちゃん、バニラでいいよね?)
今もずっと、あの時のまま、与えられなくて、不足しているのに。ずっと、誰かに与え続けている。
(男なんだから、奢ってくれてもいいのにね?)
(仕方ないでしょ、あの人、給料は私より安いし、お金持ってないもん。頑張ってくれてたけど、将来も考えられないし限界かなぁ…)
もう、これ以上。与えられなくて、苦しくて、息もできなくて、体から大切な血とか肉とかそれらが全部吐き出すんじゃないかって程の痛みで目がさめた。
「ッッッゲッホッエッ、……ハァハァ」
咳は止まらない。吐き出すほどの自らへの嫌悪、物乞いの目から受けるストレス、期待という重圧、気持ち悪い。自分の中の全てを吐き出して、もう楽になりたい。涙が溢れる。それは咳のせいなのか、本当に泣いてるのか。自分でもわからなくて………
半年経った今でも、あの時の咳は長引いて、僕を苦しめている。