音楽の3人の天才バッハ、モーツァルト、ベートーヴェンについて、今日は考えるところがあった。
音楽の父、ヨハン・ゼバスティアン・バッハは、ライプツィヒの教会に雇われていたこともあり、音楽を神に捧げた。
神童と謳われたヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトは、貴族に抱えられたため、宮廷に相応しい華やかな音楽が多いが、滅多に書かない短調で書いた作品に超名作も多い。
そして、楽聖ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェンは、「書きたい音楽」を書くため、フリーランスの道を歩んだというのだ。まぁ、大雑把な「シューイチ」での解説であったが、ハッとさせられるところがあった。
モーツァルトとベートーヴェン、どちらが幸せだったのだろうか?と。
貴族に抱えられていたわけだから、良い食べ物、良い衣服などはモーツァルトの方がより多く得れたかもしれない。しかし、心の充足はどうであったか!?
モーツァルトが煌びやかな音楽を紡いでいく一方、ベートーヴェンは「悲愴」「運命」などに代表されるように、人間の心に巣くう懊悩や葛藤などに光をあて、音楽に投影するという、まさに自分が「音楽に注入したいもの」を注ぎ込み、音楽内における創作の自由を引き換えに得て、貫き通した音楽家人生であったのではなかろうか?と思った。そう思うと「音楽家として」はベートーヴェンの方が幸せだったのだろうか?とふと思った。ただ、ベートーヴェンも難聴や弟カールのことなどでは、心を痛めており、こればかりは、やはり、何人たりとも、どちらが幸せだったのかなどは、計り知り得ないものであろう。
今日は、イヤホンでベートーヴェンの「運命」「熱情」「最後のピアノソナタ」「第九」を聴きながら、近くの川沿いに散歩に出た。メチャメチャ気持ち良かった。すると、今日もプロットの神が降りてきてくれた。まぁ、ついこの間まで、書こうかなと思っていた作品の内容に厚みを加えてくれる内容であったが、川の流れの如く、一度、流路が我が脳内で形成されると止めどもなく溢れてきた。高尚な内容とそれとバランスを取るかのように官能的な内容の奔流がぶつかり本編をさらに盛り立ててくれそうである。ただ、またベクトルが張りすぎてもいけないのかもしれないが、ただ、今日思いついたことが、やっぱり「自分の書きたいことだよなぁ」とそこまで、思って、再びハッとなった。おっ、ベートーヴェンの音楽が再び本質へと私を導いてくれたように思う。
Write what you want to write according to the voice from your heart indeed!
と。
今日は散歩に出て良かった♪ なぜなら、また筆を執ってみようという気になれたのだから。ベートーヴェンに感謝である。私も、私の出来る範囲で、我が小説に人生哲学や風刺・諧謔精神・人間模様の複雑さ、面白さ、苦悩との相克・挑戦を超えての歓喜といったものを注入していきたいと思う。
ここまで、ベートーヴェンへの礼賛をしてきた今回なので、最後にバランスを取るために、天才モーツァルトが最晩年に残した短いながらも天国的に美しい珠玉の名曲を紹介して結びとしたい。なぜなら、本日の散歩を経て、今の私はこの曲のごとく澄んだ明鏡止水の状態に戻れたのだから。この美しい曲を残してくれたモーツァルトにも心よりの感謝である。
https://youtu.be/OByoTbEZ8io?si=AkF7PRfxPnc0QCYX