先日、『芥 Ⅱ』を書いた直後に、偶々、宇宙戦艦ヤマト全記録展やらJohn Williamsの映画音楽コンサートなどに行く機会が重なり、最近はJohn Williamsと宇宙戦艦ヤマトの音楽をよく聴いていた。
そんなわけで私のYouTUBEには、今、「宇宙戦艦ヤマト」の動画が溢れているのですが、非常にいろいろ考えさせられる動画を今朝は見た。
「宇宙戦艦ヤマト」の「衰退と復活の50年史」というなにやら、サピエンス全史と重ねあわせたくなる内容。自分のFBには、徒然と思ったところを書いたのですが、かいつまんでカクヨム的に繋がるところを書くと
1.時代とタイミング
今年は昭和100年だが、宇宙戦艦ヤマト生誕50年。だが、戦後から数えると四半世紀ギリギリ経ってない。25年前の記憶って、結構生々しいほど残ってますよね?そう考えると世界大戦の象徴とも言える大和をまだ心の傷口癒えない方々もいる中、よく作れたなという思いと、別の角度から見れば、アームストロング船長が月面着陸&地球帰還を果たしているわけで、ちょうど、時代の潮目だったんだなぁ、という感想。
2.迷走&分断
テレビ初回放映時は、「アルプスの少女 ハイジ」と枠がぶつかり、惨敗。当時は、ビデオデッキ普及前ということもあり、再放送が頻回である時代。再放送で人気が出るという珍しいパターン。しかし、初回放送時の惨敗のあおりで当初52回放送を26回に短縮した悪影響が至るところで噴出。それを映画版で補完しようとするが、テレビ版の補完だけではということで、ラストシーンを変える、主人公死亡などが相次ぎ、「テレビ派」と「映画派」の派閥を生み、ファン分断。まるでアメリカの「共和党」と「民主党」の両支持者層による分断のよう。だが、ビジネスを考えれば、古代も森雪もヤマトも必要なので、爆破や自沈したはずのヤマトはいとも簡単に直り、死んだはずの主人公たちも次々と生き返る。失笑ものだったのは、「なにもかもが懐かしい」との名言、地球を見ながらひとしずくの涙と共に天に旅立った沖田艦長が佐渡酒造ドクターの誤診ということで復活(酒の飲みすぎということか⁉)する始末。論理破綻やなんでもあり感が積み重なっていく破滅ロードに。
3.ヤマトⅢへの期待
私の芥シリーズはⅠ&Ⅱで完結なのであるが(クダラナイ小説はこれ以上は要らない^^;)、今後、庵野秀明が監督となってヤマトⅢを作るらしい。森雪の美しさだけは回を追うごとに綺麗になっていっているし、何より「シン・ゴジラ」で見せた「初代DNA」は残しつつ、「大人も鑑賞を楽しめる」ものに仕上げた手腕に期待したい。つまり、我々がワクワクしながら見た10代の記憶を損なわず、いろいろ世の中の仕組みを分かってきた我々が唸る大人の事情にも通じる作品への期待である。
まぁ、もっといろいろ書いたのであるが、やっぱり、世相の反映や筋の大切さなど、小説を書いていく上でも参考になる話だった。そして、大いに笑い、大いに考えさせられた。